幕間2 招かれざる宮中薬師、懊悩する。

「なんということだ……私が秘密通路を私用で使用していることを国王陛下がご存じでいらしたとは……」


 国王陛下から謹慎を命じられていた茶色い兎の獣人である宮中薬師は、自室で頭を抱えていた。

 謹慎についての更なるお達しが国王陛下から通達されたと、見張りの騎士団員からの通告を受けたためである。


 恐らくは、陛下が御使い様方との話し合いを終えられたのであろう。

 今の今までは、宮中に配置された宮中薬師用の個室は国王陛下からの許可を頂くまでは入室不可とされていたため、宮中薬師は仕方なく廊下での待機中であったのだ。


 国王陛下からの通達の内容は、以下のとおりである。


 宮中薬師の呼称は今のところ剥奪されず。 

 これには、宮中薬師は安堵をした。


 しかし、謹慎の期限は、未定。

 調薬は当然ながら、厳禁。

 宮中に置かれた宮中薬師の部屋からは、調薬に関するすべての材料、道具が持ち出されることになってしまった。

 特に、姫君に出していた薬については念入りに確認がなされるという。


 獣人王国の騎士団員は諸外国の害魔獣討伐なども請け負っているために肉体労働だけを得意とすると思われがちだが、なかなかどうして、冷静かつ対応の早い、理知的なものも少なくはないのである。

 筆頭は、やはり騎士団長をも兼任されている国王陛下であろう。大猩々の雄々しきお姿に、理知的なまなざし。

 とくに、騎士団員とその家族、騎士団員からの助けを得た国民からの信頼は絶大である。


 宮中薬師の様々な調薬道具たちは既に国王陛下の指定の場所に置かれ、その扉は宮中騎士が常に見張っているそうだ。

 既に御使い様方との非公式の会談を終えられた陛下御自らが鍵を施錠され、鍵をお持ちになるという。

 調薬の材料は、宮中薬師にとっては忌々しいとしか言いようのない存在である人族の宮中医師、斑雪はだれの宮中内の部屋へと届けられてしまったらしい。


 宮中医師は、獣人王国の宮中に常駐する王国最高位の医師。

 宮中薬師が最高位の薬師であり、立場は同等である。

 獣人王国の薬師は魔法薬師と薬師の両方の資格を有するが、医師もまた魔法医師と医師の資格を持つのである。

 その上、宮中医師の一族は医師の資格だけではなく薬師の資格を持つものも多い。

 先祖の薬師が大罪を犯したために薬師とは名乗らないが、先祖の分まで様々な種族を癒し、助けたいという一族の志である。

 その先祖は、女王陛下が王女殿下でいらした頃、恋をされた人族の国の魔法薬師。

 獣人差別意識を隠して王族に仕えていた魔法薬師は、卑怯にも王女殿下に呪いの薬を服用させたのである。獣人王国の歴史書には、食事に混入されたという説が記されている。

 その呪いの薬は、人族の前ではくしゃみ、鼻水、涙が、滂沱の如く。痒みも甚だしく、耐えがたしというもの。

 薬師の呪いの薬は人族には反応せず、同じものを飲み、食した王子はまったくの健康体であったそうだ。


 愛しい王女殿下の急変に、王子はたいへんに心を痛められた。

 その後、何度も何度も、二人は話し合いを重ねたという。既に、婚約の儀も整えられていたのだ。

 だがやはり、王女殿下は人族、つまりは王子の前では症状が止まらない。そして、両国の王の話し合いのもと、二人の婚姻は白紙となった。事実上の婚約解消である。


 王子は当然、嘆き悲しんだ。

 そして、婚約解消を了承する代わりにと、呪いの薬の代償として既に絶命をしていた魔法薬師の一族、存命するその全員を重罪に処することを国王に請願するほどに。

 そこまでに、王子の怒りと苦しみは深いものであったのだ。


 それもそのはず。

 人族の国の王子は、王配として獣人王国に参ることも厭わないほどに、王女殿下を愛しておられたという。

 その王子が残された魔法薬師の一族への刑を獣人王国への流刑としたのは、愛した姫君が竜の姿で飛来して、必死に願いを伝えたからだという。

 呪いのために、様々な不快の症状が出ることもかまわずに。

 素晴らしき、高潔な王女殿下のお心である。


 これが、初代女王陛下が王女殿下でいらした頃の呪いの伝承である。

 立派であられる、と考えるのは兎獣人の宮中薬師も同様だ。

 実は、宮中薬師は人族への差別意識を持つ獣人族ではないのである。

 差別意識を持つなどしたら、王女殿下に呪いの薬を処方した薬師と似た存在になってしまうからだ。それはあり得ないことなのだ。

 そして、初代女王陛下も、自分の先祖にして憧れて止まない長毛種の兎の獣人の宮中薬師も女性である。

 だから、人族であろうともあらゆる女性は宮中薬師が尊敬する存在である。

 つまりは、宮中薬師は男性の人族を毛嫌いしているのだ。

 しかし、子どもはその対象ではない。だいたいは、二十歳の半ば以上。

 呪いをかけた忌まわしい人族の年代がその頃だと歴史書に記されているのだ。しかも、それはまさに、当代の宮中医師の年齢と同年代なのである。

 だが、宮中薬師は、たとえ人族の男性相手であろうとも病を持つものに薬を調薬しないなどということはしない。

 それは、宮中薬師たる先祖に対して失礼だからである。


 それならば、なぜ兎獣人の宮中薬師は王女殿下の呪いを癒す薬を調薬しなかったのか。

 それはひとえに、王女殿下のご症状を国内に知らしめたかったからにほかならない。


 ちなみに、王女殿下の兄であられる他国に留学中の王子殿下は、鹿の獣人でいらっしゃる。

 立派な角も、聡明で誠実なお人柄も、穏やかで美しくそれでいてお強い馴鹿の獣人であられる王妃様とよく似ておられる。

 民からも大いに好かれている御方でもある。


 宮中薬師も、心からの敬愛を捧げている。

 王子殿下のご即位は国民にとっての慶事となることは疑うべくもない。

 しかし、宮中薬師は、できるならば王女殿下に国王になって頂きたいと、そう願っているのだ。


 もともと、獣人族は人族よりは長命である。その中でも、竜の獣人はさらなる長命であり、初代女王陛下は千年近くご存命でいらした。

 希代の竜の獣人であられる当代の王女殿下も、いつの日か二代目の女王陛下になられるお方と言えよう。

 それは、六代目国王陛下としてか、はたまた七代目国王陛下というお立場でか。

 はたして、どちらであるのだろうか。


 そして、王族にあの呪いのご症状が現れたのは、初代女王陛下のご即位中、王族に何名かがいらしたという記録がある。

 それが百年後、十年後とされる呪いの萌芽であった。

 しかし、初代女王陛下のようなご症状が現れたのは数百年ぶり、こたびの王女殿下のみなのである。


 竜の獣人であられること、そして、あの呪いの顕現。

 おいたわしいお姿でいらした。

 だが、それは、王女殿下の心身を蝕むような呪いではあられなかった。

 その証拠に、人型と少女の竜のお姿であれば、呪いは発動しなかったのだ。

 少なくとも、宮中薬師はそう信じている。

 

 兎の獣人である宮中薬師には、七代目国王陛下となられた二代目女王陛下のお姿を拝見できるかどうかは分からない。

 獣の兎よりは遥かに長寿ではあるが、自分は、小動物の獣人。人族よりも少し長い程度の寿命なのである。


 ならば、と。

 確実に、二代目女王陛下のおそばにあられるに、すべてを託したいと。そう願ったのだ。

 魔石の盗掘と、それをあのお方にお渡ししたこと。それはすべて、宮中薬師が自主的に行ったこと。

 けっして、あのお方からのお言葉のゆえに、などではない。


 だが、もうあのお方へのご協力はできなくなってしまうのだろう。

 自分が職務に復帰できたとしても、宮中薬師の秘密通路の使用権限は剥奪となるかも知れない。


 いったい、何が悪かったのか。


 国王陛下たちの密談用の小部屋に乗り込まなければ、まだ、見過ごして頂けたのだろうか。


 それは、分からない。

 あのお方からのお言葉だったので、大丈夫かとも思ったのだが……。


 宮中薬師は、このように色々なことを考えていた。


「だが、あのお方を理由にすることは許されない。それは間違いない。それよりも、だ」

 いつしかそう呟き、宮中薬師は御使い様方のお姿を回想し始めていた。


 偉大なる魔女様方の従魔様方のお力の凄まじさ。

 まさか、初代女王陛下がお声を聞かれたという精霊様のお声を聞く方までおられるとは。

 そして、あの皆様方ののふわふわとした毛並みの豊かさも。あれは、魔力の成せる技なのであろうか。

 もしかしたら、我が先祖を敬愛するあまり、長き豊かな毛髪に憧れすぎてしまったからだろうか。


 これからは、秘密通路を使うことはならない。それは間違いない。

 しかし、ならば、あと一度。

 それくらいならばあのお方のお役にも……。


 むしろ、謹慎中の今のほうが、動きやすいのではないだろうか。


 そう、何かを求められた訳でもない。

 宮中薬師がそのお姿を拝見したいと心から願う二代目女王陛下の傍らに立たれるはずのあのお方のお望みなのだから。


 兎獣人の宮中薬師の目は、澄んでいた。


 だが、淀まぬ目よりも澄んだ目で行う行為のほうが、淀む行為となることもある。


 そのことを、今このときの宮中薬師は失念していたのだ。



※大猩々はゴリラ、馴鹿はトナカイのことです。 

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