28.混乱と接敵

 「押すな!」「どけ!」「邪魔だ!」――悲鳴と怒号が飛び交う中を、緋色と真澄は突き進んだ。


 身長は二十メートル近くあるだろう一つ目の幻蝕は、人型の体軀でありながら、両の掌と腹部に巨大な口がついていて、その禍々しく凶悪な口腔が人々の恐怖心を増大させた。


「落ち着いてください! 指示に従ってください!」


 仮想空間を管轄する警備担当者たちが声を大にするものの、誰一人として聞く耳をかさない。


 一刻でも早く、安全な場所に逃げたいという気持ちは緋色にも理解できる。だがしかし、行く手を遮るかのように逆流する人々を避けながらの移動を強いられる現状では、少しは冷静になってくれないかなと思わずにいられないのだ。


(とにかく、被害が出ないよう、幻蝕の注意をひかないと……!)


 いらだちを抑えつつ考えをまとめようとしていた矢先、「闘装宣告とうそうせんこくっ!」という単語が緋色の耳を捉えた。


「フォローする! 緋色くん、飛ぶんだ!」


 振り返ると真澄が両手をこちらへかざしており、視線が交わった瞬間、緋色は義足の先輩隊員がなにをやろうとしているのか、その意図を正確に把握して、力強く地面を蹴り上げた。


強化バフプログラムを発動――対象の飛行能力を大幅に上昇、滞空時間を向上、衝撃耐性を付与!」


 呟きとともに、緋色の身体は飛び上がった。一つ目の幻蝕の身長を追い越すように、あっという間に地面から三十メートルの高さまで到達すると、瞬時に全身でバランスを取りながら、体勢をキープさせる。


闘装顕現とうそうけんげんっ!」


 声とともに現れた大太刀を両手に構え、緋色は一つ目の幻蝕に向かって突進した。


「猪突はやめろ、一ノ瀬! 攻撃は葛城が合流するまで待て!」

「わかってます! でも、注意を引きつけないと!」


 民間人に被害が及ばないよう、あえて囮としての行動を取る。緋色の考えは姫崎にも理解できるものだったが、彼女は特機の隊長として、隊員の安全にも気を配らなければならない。


「鷹匠、民間人に対し防御陣地プロテクトフィールドを展開しろ」

「あちこちに散らばっている現状では、全方位フォローするのは困難です」

「さしあたり、幻蝕の進行方向だけでかまわん。オペレーターは現地警備担当者と連携して、避難誘導にあたれ。危険が集中しないよう、誘導は三方向に分けて実施せよ」

「了解」


 的確な指示のもと、特機の面々は慌ただしく動き出す。まず鷹匠が巨大な半透明の六角形をしたドームを作りだすと、それを視界に捉えた警備担当者らが思わず声を上げた。


「皆さん! 特機の皆さんがシェルターを作ってくださいました! どうぞこちらへ!」


 だがその指示は、分散して避難誘導を図ろうとした姫崎の思惑と異なる。オペレーターが連携を取ろうとするよりも早くに発せられた警備担当者の呼びかけは、かえって人々を混乱させたのである。


 真澄の作り出した防御陣地に人々が殺到する。押すな、止まるなの叫びの中、転倒する者や将棋倒しになったりする人々が続出した。


 過密する群衆の悲鳴と怒号をディスプレイ越しに眺めながら、姫崎は内心で舌打ちを禁じ得ない。


「私としたことが、群集心理を踏まえた上で指示を出すべきだったな」

「警備担当者への連絡が遅れた我々の責任です。申し訳ありません」


 オペレーターリーダーの神山が頭を下げる。ゆっくりと頭を振って、姫崎は応じた。


「いや、あの状況下で連絡を図るほうが困難だ。私の指示が至らなかったな。鷹匠、聞こえるか」

「こちら鷹匠」

「防御陣地の範囲を広げてくれ。どのぐらいまで対応できる」

「リソースを限界まで使っていいのなら、幻蝕の俯角140度までは対応可能です」

「わかった、直ちに実行してくれ」

「緋色くんと美雨のサポートが困難になりますが」

「承知の上だ。この際は民間人の安全を最優先とする」


 つまり、後衛ガーディアンの強化プログラムなしで戦闘にあたれということか、と、その危険性を把握しながらも、真澄は行動を起こさざるを得ない。


「防御陣地を再構築……」

「聞いての通りだ、一ノ瀬、葛城。鷹匠がサポートできない以上、民間人の待避が完了するまでの間は直接戦闘を避けろ。一定の距離を保ちつつ指示を待て」

「正直、厳しいです、隊長っ!」


 脳内に届く姫崎の声に、緋色は反射的に声を上げた。幻蝕を中心にして360度、上昇と下降を繰り返しながら、相手の注意を引きつけてきた緋色にとって、これ以上の注文は無茶というものだったからだ。


 いまや緋色は、巨人型の幻蝕にとって小癪な存在でしかない。目障りなハエを始末するように右腕を振りかざした巨人は、緋色を叩き潰すべく、その体軀に不釣り合いの速度でかざした腕を振り下ろした。


 どぉんという重い音とともに、地響きが一帯に伝わっていく。巨人が腕を上げたあとには、ぺしゃんこに押し潰れたハイブランドショップが残り、破損したプログラムがモザイクと化してあちこちに散らばるのだった。


 幻蝕の右の掌にある口腔がもぞもぞと動き、がれきを吐き出しているのを眺めながら、緋色は息を漏らす。


「ご覧の通りです、隊長。一定の距離を取ろうにも、向こうが見逃してくれないみたいでして」

「だったら攻撃あるのみってねぇ!」


 返ってきた声は姫崎のものではなく美雨のもので、次の瞬間、緋色は幻蝕へ向かって突っ込んでいく、二刀流の女剣士の姿を瞳に映したのだった。


「美雨先輩っ!?」


 顔全体を覆うような一つ目へ、美雨は二本の刀を突き刺そうと試みる。しかし、見た目にそぐわぬ敏捷さを誇る幻蝕は、優雅なまでに上体を反らし、その反動を利用して女剣士に頭突きをお見舞いするのだった。


「にゃろっ!」


 二本の刀を交差させ、それを受け止めた美雨は大きく後方へ跳び下がり、上空で体勢を整え直した。


「でかい図体なのに素早いわねえ」

「美雨先輩、飛行型の幻蝕は?」

「討伐したに決まってるでしょう? 一撃よ、一撃」


 当然のように言い放つ美雨を見やって、緋色は苦笑する。それもそうか、“狂犬”だなんだと言われているが、この人は特機のエースなのだ。ランクE程度が群れていたところで、あっという間に討伐するだろう。


「ま、そんなわけで……」


 軽く肩を回しながら、赤色のロングヘアをした女剣士は続ける。


「本番といこうじゃないの、緋色。二人であいつをぶち殺すわよ」


 物騒な物言いはどうにかならないものかと思いながらも、緋色は首を左右に振った。いやいや、尊敬すべき偉大な先輩はかくあるべきだな、と。


「了解です」


 応じ返した緋色は呼吸を整え、大太刀を構え直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る