第6話

 1972年 11月。宗形薫から松本信乃へ

 

 親愛なる信乃様  

 あなたが凡庸?

 そうだな。あなたは雑誌やCMで活躍するモデルには、なれないかもしれません。でも滅多にいない女性です。

 先日送った写真のあなたは、大人びて気高い貴婦人のあなたですが、今度は可憐なあなたを撮りたいと思っています。

 龍くんはあなたを、白い小さな花だと言いました。私にはあなたが、白い小さなお花にみえるときもあれば、朗らかな小鳥に見えるときもあり、気高い年下のお姉さまと思えるときも、好奇心豊かな毅然とした少年だと思えるときもあります。

 一緒にいると、次々と魅力的な顔が現れて、カメラに手を伸ばしたくなる。それであなたといる時、私はいつも、そわそわしているわけです。

 お許しをいただいて、ファインダー越しにあなたを見ているときも、気持ちは落ち着きません。私をじっと見る、あなたの澄んだ瞳。産毛の生えた、桃のような頬。表情豊かな小さな唇。柔らかい後れ毛と細い首。白い小さな手。繊細で可憐、瑞々しく清らかな。あなたのあちこちに、触れてみたくなるから。

 ああ、こんなことを書くと。また用心させてしまうかもしれませんね。

 この前言った通り、あなたが嫌がるようなことは、けしてしない。どうか安心してください。

 私はすてきな女の人たちと、恋をするのが好きだけど。お友だちはお友だちで、すてきなものです。

 わたしは大好きなあなたと、一緒にいたいだけ。

 あなたを身近で見て、あなたの声を聞くと、心が弾む。あなたの言葉を読んでいると、あなたを知りたいし、私を知ってほしいと思う。私が望むのは、そういうことです。

 セックスをする気になれないお気に入りを、 龍くんは永遠の恋人と呼びます。彼にとって友だちとは、そういうもののようです。

 私と恋をする気になれないのなら。私の永遠の恋人になってください。


 それにしても。知毅さんは、あなたとの婚約を破談にして、あなたに触れる権利を手放したとき、残念でたまらなかったことでしょう。

 なるほど。チカと知毅さんは、実に様になる一対です。まるで、血の繫がっていない、ジークムントとジークリンデのよう。

 でも知毅さんにとってあなたは、チカより、理想的な女性に見えている気がします。

 彼が好きになる女性はまず、戦前風の躾を受けたあの若様に、無作法、無教養を感じさせない人。かつ無私な価値観な持ち主で、どんなときにもその価値観に貫かれた言動をとれる、確かな気性の持ち主。そしてあの人の世話を焼いてくれそうな人、つまりあの人に惚れこんだ、親切な女。

 今どきの十代の女子に、そんなきっぷの良い貴婦人が、そう簡単に見つかるわけはなく、成人するまであの人は、年上の相手とばかり付き合っていました。年下のガールフレンドは、たぶんあなたがはじめて。

 心惹かれる、初々しいオトメを発見したことは、彼にとって、大事件のようでした。

 あなたがどちらも好きで、どちらも選べないと感じていたことは。彼、感じ取っていたと思う。

 いつも自分中心に世界を見ているから、身近な人の気持ちには鈍くなりがちな、男らしい男ではあるけど。観察力は十分にお持ちの人だもの

 でも彼は今でもあなたを、自分を幸福にできたかもしれない女性、素晴らしい女性と思ってる。私にはそう見える。

 龍くんもまた、今でもあなたを、素晴らしい人だと思ってる。あなたが小学校の教師になったと、私がそう教えた時、彼は呟いた。彼女なら、子供たちに慕われる教師になるだろうと。その時の声と顔の、優しかったこと。


 どちらも選べなかったことに、あなたは今でも罪の意識を感じているみたいだけど。

 そんなもの、感じる必要はあるのかな。

 知毅さんはおそらくあなたの気持ちを知っている。なのに、あなたのように、真面目で優しい人の心をよく考えず、龍くんにあなたを譲った。

 あなたは彼には少し勿体ない。私にはそう思えるけど。相手が良い人だと思えば、その相手のために尽くせる。あなたたちは、どちらもそういう人ではあります。つまりどんな人とも、それなりに幸福になれる人です。彼が何も言わず、あなたと結婚していたら。私はそう思います。

 そうしたら、あなたは今でも二人の傍にいて、龍くんの義姉として、龍くんに優しく尽くしていたでしょう。

 知毅さんのしたことは乱暴すぎる。私は彼を何度か、そう責めました。でも、何を言われているか。彼にはわからないみたい。まったくね。

 そして龍くん。

 彼はあなたを今でも大好きだけど。あなたを求めていなかった。あなたは知毅さんのものだと思っていて、そこから出ようとしなかった。

 あの二人は私の一族にして友だちだけど。龍くんは私にとって特別な人だけど。どちらもあなたにたいして、失礼極まりなかった。一人の女として、私はそう思っています。


 愛するということは与えること。力がない人は、それは愛情だとわかってもらえるだけのものを、相手に与えることができない。愛されても、愛することはできない。愛することは豊かな大人の特権であり、義務といえるでしょう。

 その知力と精神力において、龍くんは子供時代から、人に与える人、豊かな大人だった。

 成長するにつれて体力も体格も大きくなり、十代で祖父から、一生豊かに暮らせる遺産を継承した。おかげで、血族の大人にそねまれ、早くに孤立することになりましたが、成人を迎えたときには、たいていの人を、楽々と愛す人となった。

 気が多い人で、実によく「素晴らしい人」を発見する。

 公平無私に、人の美点を認めることができるからでしょう。

 彼は自分を第一に考えるエゴイズムが、驚異的に薄い。

 発見した人に愛されなくても、見返りを求めず、時間と心と物を、惜しみなく与える、おかしな人です。

 人の男というより、人に多くを与え、人によって殺される、一匹の龍。いつからか、私には彼が、そう見えてきました。

 そんな人にも、特別な人間はいます。

 彼は愛する人に、彼の中の様々な愛情に、順位をつけることをしませんが。彼が本当に困ったとき頼る人間は、まずは知毅さん、それから一天さんと久世くんだと思う。

 悔しいけれど、私の力は三人ほどには認められておらず。私の愛情は、その三人の愛情ほどには、龍くんに響いていない。


 知毅さんは、小学生だった頃から、二歳年上の、龍くんの父親だった。龍くんを良く心配し、様子を見に来て。龍くんの行きたい場所に連れて行ってやり。龍くんのために、大けがをしたこともあった。

 四十近くなれば、人柄がもう少し練れて、優しい人になるかもしれませんが。目下のところは、さほど思いやりのない、自己中心的で、時に結構乱暴なことをする、つまりは若い男です。女全般に礼儀正しく親切ですが。それは彼が受けた、紳士教育の成果にすぎません。でも彼はどういうわけか、龍くんにたいしては、子供の頃から、奇妙に愛情深かった。

 あの夢のせいかな(あのおかしな夢の話、聞いたことありますか?)。

 二人とも、女に慕われるところは、十分持っている。そして、きわめて強く、二人で結びついている。あんな男二人に思われたあなたを、私は気の毒に思っているし。二人の身内として、あなたに申し訳なく思っています。あなたを不愉快に思うなんてとんでもない。


 再来週から、しばらくイタリアです。

 出発前に、あなたにお目にかかり、中華街かグランドホテルで食事をして、元町をぶらぶらしたいと思っています。待ち合わせる日時を決めたいから、近いうちに電話をします。

 お目にかかったときに、一天さんの話をしましょう。あの人は面白い人だし。あの人とあの二人の関係も、私にはとても面白いものなのです。


 ではでは。

 

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