第5話
1972年 11月。松本信乃から宗形薫へ
お写真。ありがとうございました。
写真って、撮る方の力で、こんなに変わるんだなぁって、びっくりしました。
大学を出て、小学校にお勤めをしている現在。職場では「センセイ」と呼ばれていますが。わたしはいまだに自分が、愚かな幼い子供のように感じます。私が十二歳だった頃、二十二歳の人は、今の私より、数段立派に大人であったような気がします。私も三十を超えた頃には、今よりはもう少し、大人になれているのでしょうか。
この写真の人は、実物のわたしより堂々としていて、頭が良さそうな大人に見えます。
薫さんにはわたしが、こんなふうに見えるのだとしたら、嬉しい。
じっと見ていると、見たことがない自分を、見せていただいた気もします。
大学一年の夏、薫さんの作品を宗形さんの家で見つけた時から、私は薫さんのファンでしたが、やっぱり薫さんは凄い。被写体が、いたって凡庸なこのわたしであることで、そう再認識いたしました。
そしてです。
頂いたお手紙を読んで、さらに驚きました。
宗形さんのご結婚のことは、蓮實さんから伺っておりました。
そのニュースに、驚いたわけじゃありません。
手紙に書いてあったことに驚いたのです。
仰る通り、わたしは宗形さんが好きです。
婚約をなかったことにしようと。兼平さんにそう言われた時、この気持ちに気づきました。
わたしは知毅さんの許婚だったのに、あの方に『弟』と紹介された方に、心を奪われたわけです。
しかもです。気持ちが悪いと思いませんか。
知毅さんのことも、わたしはいまだに好きなのです。
親がお膳立てした出会いではありましたが、はじめてお目にかかった日に、わたしは兼平知毅さんに、ぽーっとなってしまいました。会うたびに尊敬と好意は高まりました。求婚されたときは、舞い上がるような気持ちで、大学を出たらあの方の妻になると決めました。その気持ちもまた、わたしのなかに、まだ存在します。
向島の植物園で。婚約をなかったことにしよう。兼平さんがそう言われた日。
あの日。兼平さんは宗形さんはわたしを好きだと、そう言いました。
「君を俺の妻に迎えられないことは残念だが。妹になるのだと思えば嬉しい」
あの方はそう仰った。
わたしの心が、あの方から宗形さんに、軽々しく移ったと、兼平さんはそう思っていらっしゃる。あの方は、そんなわたしの軽さを許して、わたしと大事な宗形さんを、結び付けようとなさった。そのために、わたしとあの方の家族に、嫌になったとだけ言って、自分が悪役になって、婚約を破談にしてくださった。たぶんそうです。
でもわたしは、あの方が好きで、宗形さんも好きなのだと。どちらも選べない。二人が好きなのだとは。
そんな気持ちは。ご存じないと思います。
そう思いたいです。
宗形さんは人の気持ちに敏い方です。もしかしたらと、思わないでもありません。ご存じではと思うと、恥ずかしくてたまらない気持ちになります。
兼平さんは、宗形さんの心の動きには、とても敏い。もしかしたら、あの方の言う通り、宗形さんはわたしに、いくらかの好意を、寄せてくださったのかもしれません。でもわたしの気持ちに、気づいてらしたとすれば。そう考えると、今でも居たたまれない気持ちとなります。
どちらにも、もうお目にかかれない。わたしはそんな現在を、悲しく思いますが、その現実に、安堵してもいるのです。
わたしはお二人とも、諦めるしかないのです。どちらも選べないのですから。
宗形さんにも兼平さんにも、もうお目にかかるつもりはありません。
向島で兼平さんに会った三日後。薫さんとは約束があって。庭園美術館でお目にかかりましたね。あそこのお庭で、わたしはあなたに、兼平さんとの婚約が、破談になったことを申し上げましたね。この方とも、もうお目にかかることはないのだと、そう思っていたわたしは、淋しい気持ちで、お別れの挨拶をいたしました。でも、あなたは仰った。
「私はあなたを、知毅さんに紹介されたけど。もう私の友だちだと思ってる。でもあなたにとって私は、知毅さんの身内でしかないのかな」
薫さんがわたしを、友だちと思っていらっしゃるなんて。あの時は随分戸惑いました。
あなたはわたしと、ずっとお付き合いしてくださっている。
でも。この手紙で、わたしのことを、不愉快に思われたかもしれませんね。今この手紙を書いていて、そのことが怖いです。
薫さんが宗形さんを、とても大切に思われていることは、ずっと感じてきました。 わたしは薫さんに、宗形さんと結婚してほしかったな。いつかそうなるのではないかとも、思っておりました。
一凛さんは、兼平さんと結婚なさる。そう思っていました。兼平さんはあの方を、妹のようなものと仰いましたが。あのお二人はお似合いすぎて。仲が良すぎて。お二人を目の前に見ているときは、兼平さんが私と婚約したことが、とても奇妙なことに思えました。
宗形さんと一凛さんが結婚なさったと聞いた時。私は驚いたし。あのお二人も、とてもすてきな一対だとは思いましたけど。でも少し、がっかりしました。
蓮實さんも、宗形さんと一凛さんの結婚には、戸惑ってらっしゃるみたいです。
あの方も、わたしと同じ希望を持ってらしたのかも。
薫さんは蓮實さんとも、もう長いお付き合いのようですが。蓮實さんのことは、どんなふうに思ってらっしゃいますか。
知毅さんにあの方を紹介されたとき、わたしはちょっと、どぎまぎとしてしまいました。アラビアのロレンスの、P・オトゥールとオマー・シャリフみたいだなとか。お二人が並んでいる様子に、そんなことを思いました。
宗形さんと兼平さんの並んだ様子が。お二人とも大きくて立派で。わたしはとても好きなのですが。蓮實さんと知毅さんも、蓮實さんと宗形さんも、すてきですよね。
蓮實さんはわたしにとって、どこか不思議な方です。
男の人と話す時、自分の気持ちを率直に伝えることを、わたしはよく、諦めてしまいます。話しているとすぐ、やっぱりわからないんだなとか。そういう気持ちがこみあげてくるのです。でもあの方には、ついつい話し込んでしまうときがあります。
とても察しが良くて。多くの男の方がわからないことも、わかっていただけるような気がして。
そんな男の人に会ったのは、二人目です。一人目は宗形さん。
宗形さんはあんなに大きくて、逞しくて、男らしい方なのに。
蓮實さんだって、宗形さんと兼平さんよりは小柄で、優しそうに見える方ですが。やはり大きくて立派な男の人です。
なのにお二人とも、聡明な女性の理解力をお持ちです。そして男の人の親切と、女の親切を、持ち合わせていらっしゃる。
どちらもわたしにとっては、お目にかかったことがない、他にこんな人はいないだろうと、そんなふうに思える人です。
知毅さんも、賢明で親切な方です。やはり滅多にいない方とも思われますが。あの方は本当に男の方で。あのお二人のような、ああいう不思議は、あの方には感じません。
別のところで、どちらにも、どこか似てらっしゃるのだけど。
どこかが似ていて。でも全然違っている。
親しくなる、運命的な相手とは、そういうものかしらん。
皆さんを見ていると、 わたし、そんなことを考えます。
長くなりましたね。 薫さんと話していると、色々なことをとりとめもなく、ついお喋りしちゃいますが。手紙でも、そうなってしまうみたい。
今日はこのへんで。
またお目にかかれる日を、楽しみにしています。
近いうちに、横浜をぶらぶらいたしませんか。
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