第7話 酔った振りをしないで

 いつの間にか、毎回一番風呂に入るのは私になっていた。

理由は単純で、私はお風呂洗いが好きだけれど、他のメンバーはお風呂洗いを面倒くさがるからである。

 

 基本的に掃除は好きだ。少しでもなにかが汚れていると気になって仕方がない。

そう言うと大抵『A型?』と聞かれるけれど、私はAB型だ。血液型というのは、分かりやすようで分からない。


 そのときも私はお風呂から上がって、次に入る人を決めてもらおうとリビングに向かっていた。

しかし階段から降りて最初に見た光景は、かなり異様なもので。


 「......どうしたの、これ」

私の声を聞いて、胡桃が助けを求めるようにこちらを振り向く。

幸はどこか吹っ切れたような顔で「ああ、なんかもう、どうしようもないよね」と言い水を飲んだ。


 ダイニングテーブルに突っ伏して寝ている心晴と、異常なほど幸に密着している赤い顔の麗香。

テーブルに置かれたビールの空き缶を見るだけで、もうこの状況に対する説明は必要なかった。


 「......心晴は何本?」

恐る恐る聞くと、幸はやけに冷めた声で「二本だけ。ただ疲れてただけでしょ」と答えた。

「嘘でしょ?流石に」

首を横に振る幸。


 そんなはずはなかった。

なぜならテーブルの上には七本空き缶が放置されていたからだ。


 「幸、飲んだ?」

再び幸は首を横に振る。

まさか、と思い胡桃に目をやると「違うよ!!」と大声で否定された。


 「二本除いたら、五本あるよね?空き缶。全部、麗香?なんで止めなかったの?」

「心晴がちょっと飲ませてって言って飲み始めたんだけど、二本目を飲みかけて寝ちゃって。面白がった麗香も飲んでたんだけど、止まんないのね、あの子」

「止まんないって......止めてよ」

呆れた声でそう言うと、幸は面倒くさそうにため息をついた。


 「明日休日じゃん?自由にさせてあげようと思ってたんだけど、麗香がこんなに酷いって知ってたら止めてたよ」

麗香はずっとタンクトップ一枚で、幸の肩を噛んでは舐めて、噛んでは舐めてを繰り返していた。


 なぜかは分からないけれど、幸を心配するより先に、その光景に苛立ちを覚えた。

誰でも、良いんじゃん。そう心の中で呟く。


 「麗香。やめてあげな」

無意識に怒りを含んだ声でそう言うと、麗香はとろんとした目でこちらを見て、数秒私を見つめたあとに「佳世乃だ!」と嬉しそうに声を上げる。

途端に麗香は立ち上がり、そのまま私に抱きついた。


 その瞬間、安心してしまった。

私は幸より上だ、と、思ってしまった。


 そう思ってしまうのがなぜなのかを考える隙も与えず、麗香は私をソファに座らせる。そして私に抱きつくようにして膝の上に座った。

エゴサしていたあのときと同じだ、と思う。麗香はこの体勢が好きらしい。


 タンクトップ一枚で抱きつかれ、いつもより肌の感触が鮮明に伝わった。

「麗香、苦しい」

私がそう言うと麗香は抱きしめていた手を緩め、私をじっと見つめる。


 麗香は、数時間前自分が言っていたような『凄い顔』をしていた。

今にも溶けてしまいそうな顔だった。


 「佳世乃、口、開けて」

呂律の回らない舌でそう言う麗香。

「なんでよ」と言うと、麗香はしびれを切らしたように自分の指を私の唇に当てた。


 そのまま私の口をこじ開ける麗香。

ぬるりと入ってきた彼女の指が私の舌を触る。


 どっと身体が熱くなった。

私は焦って彼女の手を掴み、無理矢理口から指を抜かせる。


 「うわ麗香、本当酔うとまずいね。存在が十八禁」

自分から麗香が離れた途端に調子を取り戻した幸は、楽しそうにそう言った。


 「何してるの」

私の言葉を聞かずに、指を戻そうとする麗香。

その手を動かせないように強く握りしめる。

「何、してるの」


 麗香は真っ直ぐ私を見つめた。

真っ赤な顔についた眠そうな目をゆっくり瞬かせる麗香。ファンには到底見せられないな、と思う。


 「もう、良い。寝る」

麗香は唐突にそう言うと、呆気なく私の膝から降りて階段に向かった。


 突然のことに頭が追いつかなかった。

階段を上る、ふらついているような彼女の足音が聞こえて我に返る。

「麗香!」

名前を呼んでも麗香は戻って来なかった。背後から幸のため息が聞こえる。


 私は苛立ちに身を任せて階段を駆け上った。

好きなだけ人を困らせといて、勝手に寝るなんてあまりにも自分勝手だ。

限度というものを私が教えてやらなければならない。


 「麗香!」

寝室のドアを勢い良く開けてそう叫んでも、そこに麗香は居なかった。

彼女はどこに行ったのだろうか。怒りより困惑が脳内を占めかけたそのとき、ドアを乱暴に閉める音が聞こえた。


 麗香だった。

彼女はドアの後ろから唐突に現れ、いとも簡単に、私をベッドに放り投げるようにして寝かせた。


 「なんなの」

混乱の末に出てきた言葉だった。

「なんなの。麗香、何がしたいの」


 暗闇の中でかろうじて見える麗香の顔は、歪んでいるようにも笑っているようにも見えた。

「ねぇ、佳世乃。もし、もしの話だよ。もし、」

甘い声が私の耳を撫でる。


 「あたしが今、酔ってなかったらどうする?」

思わず息を呑む。

何を言っているのだろう、この人は。


 酔っていなかったら?今彼女は素面だと言いたいのか?あり得ない。

そう、あり得ない、と頭では分かっていても、私をこうしてベッドまで連れ込めるほどに冴えている彼女の頭と、唐突に真剣なものになった彼女の声が、もしかして、と私を混乱させる。


 「......あり得ないよ」

「じゃあ、あたしは、酔ってるね。酔ってたら、あたし、自我が保てないもんね」

何、と声を漏らす。

暗さで目視できない彼女の表情が恐ろしいものに見えた。


 「ねぇ、だから、今あたしは頭がおかしいから」

麗香は私をベッドに押し倒した。

耳元に心臓があるのかと思うくらいに、心音が五月蠅かった。

それが恐怖によるものか、それ以外によるものかは、もう考えられない。


 「だから、許してね。」


 一瞬、彼女の舌より柔らかいものが、私の唇に触れた。

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