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第3話 着ないで
母親に娘が居て、もしその娘を愛していたならば、彼女が大衆の前で露出の多い服を着ることを、母親が喜ぶはずはないだろう。
まるで自分がその母親になったような気分だった。
彼女はその衣装を着ることを前々から承諾していたらしいけれど、このリハーサルの控室で着替えるのが、メンバー同士でお互いの衣装を見合う最初の機会だった。
「あんた、ヤバいね」
何でもかんでも騒ぎ立てる心晴が深刻な表情でそう言うくらいには、麗香の衣装は過激だった。
申し訳程度に胸元を隠すブラトップに、ローライズなショートパンツのせいで、敢えて見られてもいいものを履いているとはいえ下着が半分ほど見えている。
そんなオールブラックの衣装を身に纏う麗香は、スタイルの良さが悪い意味で際立っていた。
他のメンバー達もデビュー日に比べると露出は増えたものの、麗香とは比べ物にならない。
物凄く不愉快で、怒りが湧いてくる。
当の本人はきょとんとして、
「可愛くない?これ」
と衣装を見ながら言う。
その頬を引っ叩きたくなる衝動を押さえながら、麗香の目を見て言った。
「ねぇ、なんでその衣装オーケーしちゃったの」
「え、だって可愛いじゃん。あたしオールブラックが一番似合うし」
そうじゃない、と喉までこみ上げた言葉を押し込む。
その何も分かっていないような甘い顔を見ると、無性に怒りがこみ上げてくる。何も知らない新人アイドルにこんなものを着せる運営が信じられなかった。
「麗香、かなり、こう......」
なんと言えば伝わるだろうか、と今の麗香に当てはまる表現を必死に脳内で探す。
「破廉恥だよ。」
真剣に放ったその言葉に大声で笑う三人。
少し恥ずかしくなって、笑い事じゃないんだから、と心の中で呟く。
目のやり場に困り、麗香の瞳を見つめていると、彼女は
「そんな目で見てるの?」
と満更でもなさそうに言う。
違う、そういうことが言いたいんじゃない。
どうしようもないほどにもどかしくて、私は勢いよく「当たり前でしょ?!」と言ってしまった。
私はとにかく麗香にまともな衣装を着てほしくて、思いついた言葉をすぐ口に出すような乱暴な話し方で彼女をまくし立てる。
「ねぇ、すごい駄目だよ。地上波で着る服じゃない。あのね、本当に......駄目。フリも思い出してみなよ。あの動きでここが強調されるとか、この衣装を着てるせいでファンが目のやり場に困るとか、考えた?ちゃんと」
麗香はパチパチと瞬きをして、「そんなに駄目?」と私の瞳を見つめる。
「私は胡桃も心晴も幸も、かなり肌出てると思うけど。もちろん佳世乃もね」
そう言って麗香は私の腰回りを撫でた。
「ほら、お腹全部出てるじゃん。結構心配してたのに、あたしのことばっかり言うんだから」
慣れた手つきが癪に障り、私は無意識に怒りを含んだ声で
「今度からはちゃんと考えてよ、自分の衣装。成人してるとはいえ、麗香も私もまだ二十歳なんだから」
と言ってしまった。
そのまま私の腰を撫でる彼女の手を掴み、壁に押し付ける。数センチまで顔を近づけ睨みをきかせた後、手を離した。
側にあったパイプ椅子に座り込むと、胡桃が前に来て私の顔を揉み始める。
「まぁ今回の衣装はかなりまずいと思うけどさ、もう変えられないんだし、そう麗香ちゃんを責めるのはやめてあげなよ、かよちゃん」
そう言う胡桃の衣装を見つめた。全員オールブラックで統一するのもいいけど、胡桃ならもっと黒でも可愛いスタイリングがあるはずだと思う。
「勿体なくて、嫌なの。麗香にはスタイルを売りにして欲しくない。胡桃ちゃんの衣装だって、私はもっと何百倍も胡桃ちゃんが可愛くなれること、知ってるのに」
うわ、と声を漏らす幸と胡桃。
「なんか麗香ちゃんがかよちゃん好きなの......分かるなぁ」
胡桃は私の頭を小さい子供を扱うように優しく撫でた。
「まぁ、だからこそ。かよちゃんが大好きな麗香ちゃんは自分のことあんまり考えられないからさ、許してあげてよ」
「......私はスタイリストさんがすごく嫌」
二つ歳下の彼女は、まるで理解のある大人のように深く頷くと、また優しく私の頭を撫でる。
「そうだね。胡桃も嫌。だから、一緒に麗香ちゃんを守ってあげようね」
うん、と流されて頷く私。
「でもそんな佳世乃が感情的になるとは思わなかったよ」
幸が水を飲みながら呑気に言う。
「あたしもびっくりだよ。壁ドンされたとき、キスでもされるかと思ったし」
麗香もすっかり調子を戻してそう言った。
こいつは、と再びため息をつきそうになる。
いつもそうだ。お調子者で、呑気で、明るく振る舞ってるくせに、自分のことなんて少しも考えない。
私がいないと、麗香はまともに息も吸えないくせに。
「まだ出るまで一時間半くらいあるけど、他の人達のリハ見に行く?」
時計を見ながら幸はそう尋ねたものの、メンバーの反応は曖昧で、彼女は苦笑しながら「三十分前には行くからね」と警告するように言う。
「暇なんだけど。衣装着るの早すぎたんじゃない?」
眠そうに欠伸をする心晴。メイクを施せば隠せる程度ではあるものの、彼女の目の下には黒いクマが確認できた。
最近はハードスケジュールでまともに寝れていないメンバーも多い。
私達でもかなり大変なのに、もっと人気なグループはどれほど多忙なのだろうか、とふと思う。
今まで推してきたアイドル達が数人、頭を過ぎる。
ファンには想像できないくらいに大変だったことだろう。
「一時間後だっけ?ここ出る五分前には起こして、寝るから」
心晴はそう言ってソファに寝転がった。
私は移動中の車内でよく寝ているけれど、彼女は車酔いが酷いらしく、家以外で寝ているところを見たことがなかった。
よく休んでね、と心の中で呟いて、パイプ椅子に置かれていた心晴の上着をソファの上のお姫様に掛ける。
「グッドナイトー」
麗香は大きな欠伸をしながらそう言った。
「自分だって欠伸してるくせに。麗香ちゃんもあんまり寝てないでしょ、ソファもう一つあるし寝たらどう?」
そう言ったのは最年少の胡桃だった。
私以上にしっかりしている胡桃に感心させられることは度々ある。
どこでそんな優しさを学んできたのだろう、と考えると、最終的には『アイドルって大変』の結論にたどり着く。
胡桃はダンスが安定しているため、デビュー前から練習生の中で話題の人物だった。最初は我儘で子供すぎる、とあまり良くない噂が流れていたし、実際にいつか彼女と会った時も噂通りの印象を受けた覚えがある。
成長したんだな、と敢えて適当に考えておくことにした。
「ちょっと眠いだけ。そんな疲れてるとかじゃないから、まぁ大丈夫」
「かよちゃんも幸ちゃんも。寝れるときに寝なきゃいけないからね」
「そう言う胡桃もね」
と全員の気持ちを代弁する麗香。
「胡桃ショートスリーパーだもん。ちょっと眠くても目薬させば問題ないしね」
そう言いつつも彼女は欠伸をしていた。
皆大変だな、と他人事のように思う。
「私もさっきタクシーの中で寝てたけど、皆休みたい時は休まないといつか倒れちゃうよ」
「佳世乃が膝枕してくれるなら寝てあげても良いよ」
早速私の言葉に甘える麗香。
自分から言っておいて、どうせ膝枕なんてしたら寝ないくせに。
私は「はいはい」と適当に受け流してスマホを手に取った。
麗香がこのまま地上波に出てしまったら、ネットはどんな反応をするのだろう、と思いながら。
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