第17話




 ーー言わなきゃ、言えっ、言うんだ!


 震える口を必死で開こうとする。

 このまま過ごすわけにはいかない。


 それでも、

 覚悟をしても自覚をしても、どうしても口が開かなかった。


「……ごめん。やっぱ、なんでもない」


 殺されるのは怖くない。どうせレーベたちがいなくなったら、稼ぐ手段や身を守る手段の無い深月は遅かれ早かれ野垂れ死ぬ事になる。それならばいっそみんなの手に掛かった方がましというものだ。

 今は死ぬのは怖くない。けれど、みんなが離れていくのがどうしようもなく怖い。

 自分に向けられているみんなの親愛の目が憎悪に、失望に変わったら。そう思うだけで体が震え、心が耐えられないほど怯える。


「大丈夫ですか?」


 血の気が引いて顔色が真っ青になっているのだろう。アイリスがのぞき込んでくる。


「初めての状態異常ですもんね、無理して起き上がらなくて大丈夫ですよ」

「深月、大丈夫カー?」

「深月様、今日はどうかもうお休みください」


 レーベに促されてベッドに潜る。

 ごめん、みんな。必ず自分の罪を告白するから、

 一夜だけ、一夜だけみんなとの思い出に浸る時間をください。




 気づけば日付が変わり、朝日が出ている。

 結局一睡もすることはなく、ただじっとこの世界に来てからのことを思い出していた。

 何度かみんなが様子を見に来てくれたが、それは布団のなかで寝たふりをしてやり過ごした。


 昨夜ずっと思い出に浸って、思ったのはいかに密度の濃い幸せな時間を過ごせていたか。いきなり知らない世界に着の身着のままで放り出されたにもかかわらず、あんなにも楽しくて輝いた毎日。まるで自分が物語の主人公になったかのようだった。、それはレーベが、アイリスが、ネルが、ノエルがいたから。

 おそらくあのまま日本で暮らしていたら味わうことがないような一生分の楽しさを喜びを貰った。他人がどう言おうとみんなと過ごした日々は世界で一番幸せだと胸を張って言える。

 もう心の整理はついた。

 夢のような毎日を送った償いをしよう。


 ベッドから起きて一つ体を伸ばすと部屋の扉がノックされた。


「深月様。起きておられますか?」

「ああ。起きてるよ」


 入ってきたのはレーベ一人。


「アイリスとネルは?」

「あの二人は深月様に何か栄養のあるのもを食べて頂こうと街に買い出しに出ています」


 ホント、ボクにはもったいない程魅力的な娘たちだ。みんなに嫌われる勇気が湧いてくる。

 ちょうどいいのかもしれない。


「レーベはさ、なんでボクなんかを好きになったか不思議に思ったことはない?」


 一番最初に出会って、一番助けてもらって、一番ボクの被害にあっているのはレーベなのだから、この話も一番にするべきだ。


「ボクはさ、」


 大きく息を吸い込む。


「運動したり興奮したりすると動物を引きつけるフェロモンが出る体質で、『ミツキフェロモン』なんて呼ばれているんだけど。それはたぶん動物だろうがモンスターだろうが関係なくて、相手の意志を無視して強制的にボクに惹きつける。この世界でいう『魅了』みたいなモノだ。だからレーベみたいなスゴいモンスターがボクに従うのは、全部『ミツキフェロモン』のせいなんだ」


 一度止めるともう一度口を動かす勇気はない。淡々と最後まで言い切って、レーベの反応を待つ。

 言ってしまった。これで完全に見捨てられる、言わなければよかったと後悔が頭を巡った。

 あれほど決意して口を開いたはずなのに、まだみんなとの毎日に未練を引きずってしまっている。そんな自分に反吐が出る。

 俯いて床を見つめる。恐くてレーベの方を見ることはできない。


「……ああ、なるほど。それで」


 そうこぼれ出たレーベの言葉からは何の感情も伺いしれない。


「ーーだから私は貴方を好きになったのですか……」


 続いて出た言葉に、心臓が握りつぶされたような痛みを覚えた。

 目を強くつむって下される審判を待つ。レーベの力なら深月の命を奪うことなどたやすいだろう。

 アイリス、ネル悪い。真実はレーベから聞いてくれ。ボクは言うことはできないみたいだ。

 レーベなら痛みもなく一瞬で葬ってくれるだろうとか、せめて帰ってきたアイリスとネルがボクの死体に怒りをぶつけることができる程度には形が残っていて欲しいかな。なんて考えてしまう。


「深月様」


 いつのまにか、そっと抱きしめられた。

 思い描いていたのとはまったく逆の展開。なにがなにやら。

 意味がわからずきょとんと目をしばたたかせた。


「私が深月様と初めて会った日、村までの道すがら、私に子を産む能力が無いという話をしたのを覚えてますか?」

「あ……、ああ。覚えてるよ」


 あけすけで生々しくて、かなりインパクトあったから。


「それはベヒーモスには子を産む必要がないからです。寿命がなく、ベヒーモスを殺せるような強いモンスターもいない。一代で完結してしまっているのです。おわかりになりますか? 海の中を生きる魚に地を歩く足が必要ないように、番を見つける必要もない私には誰かを想う気持ちなど元々無かったのです」



「ーーそれなのに、私は貴方に恋をした」



「二万年も生きていると様々な雄に出会います。私を倒そうと挑んできた大地を割り山を斬る人間の勇者、私を捕まえようと何万もの兵士を連れた亜人の王、神獣を見ようとやってきた空を覆いつくさんばかりの巨竜、そのどの雄でもなく私は貴方に恋をしたのです」


 先ほどお前の心を弄んだと告白したばかりだというのに、レーベがボクに恋をしているのだという言葉が、どうしようもなく、泣きそうなほど嬉しい。

というかもう泣く。


「私は状態異常になる事がないのでこの気持ちが『魅了』と同じかどうかは分かりません。ただこれだけは断言できます。私は、貴方に恋をするためにこの世に生まれて、二万年も待っていたのだと」


 それを聞いて完全に涙腺が決壊した。こらえる暇なんてなくつぎつぎに涙がこぼれる。泣き顔を見られたくなくて、こちらからもレーベに抱きつき顔を埋めた。

 レーベは髪を梳くように頭を優しく撫でてくれた。


「そういえばまだちゃんと言ってませんでしたが、愛してます。深月様」


 ああ、もうクソッ、なんでこんなに愛しいんだか。我慢できなった。抱きついている手をレーベの首に回し、そのまま頭をぐっと引き寄せて唇を重ね合わせた。

カチンと歯がぶつかったムードなんて欠片もないぶつけるような口づけ。

レーベの体は一瞬硬くなったが、レーベの方から抱きしめる力が強くなってそのまま受け入れてくれてくれた。

 唇に感じる感触はただただ柔らかくて暖かくて、愛おしかった。


 少し恥ずかしいけれどそれ以上に嬉しい、面映ゆい幸せな気持ち。

 そろそろ手を放して離れようとしたが、ギュッ、力を込められたレーベの腕がそれを許さない。

 あれ? なんだろ? 少し寒気が。ゴゴゴゴゴッ、とレーベからみえないオーラが出てきている気がして、雲行きが怪しくなった。


「ーーーーッ!?!?!?!?」


 急に熱い舌が口内に侵入してきた。

 驚いて上半身を後ろに反らし離れようにもガッチリロックされていて、反らそうとすると逆に覆い被さってくる。

 レーベの背中をタップして終了の合図を送っても全然止める気配はなく、それどころか舌の動きはどんどん過激に大胆になっていく。


「じゅる……、……ちゅ……れろ…ぴちゃ……ぴちゃ……」」

「んんーーーーーッ!! ん、んんーーーーーッッッ!!」


 すでに深月の抵抗は必死。足をバタバタしたり、体をひねって脱出を試みようとするがまったく動けない。


「ーーふぅ。ごちそうさまでした」


 ポンッ。と擬音がなって、レーベが満足するまで口の中を陵辱されてようやく解放された。


「お、おおおおおお前ッ!? いま何したッ!! 舌ぁっ!?」


 すぐさま大声で抗議するも、伝えたいことがうまく言葉にまとまらず要領を得ない。

 そこへ。


「レーベバッカリズルイッ! 私モ深月トチュウスル!!」


 勢いよく部屋の扉が開いて、飛び込んできたネルがタックル(抱擁)をしかけてきた。ぐはっ、と肺の中の空気が押し出される。

 グイッ、と指で顎を上に向けさせられて、唇を押しつけられた。こういう仕草は男女反対なんじゃなかろうか。


「深月ハ私ノ心ヲ救ッテクレタ、ダカラショウガナイ。ソレニ深月ハ優シイシカワイイ、ダカラショウガナイ!」


 しょうがない。というのは深月に惚れた理由をネルなりに話してくれているのだろう。

 そんな風に言ってくれるのは可愛いし嬉しいし愛しいのだが、


「深月ト居ルト、胸ガポワァ、ッテナッテ、トッテモ暖カクテ安心スル!!」

「わかった……、わかったから一旦離れて……っっ!」


 息が、息ができない。


「イヤッ!」

「ぐえっっ!!」


 より強く抱きしめられた。


「ホラッ!? 『魅了チャーム』ナンカジャナイ!」


 そう言ってエヘヘ、と笑う。


「どういう意味……ーーだっ!?」


 必死で酸素を確保しつつ、ネルの発言の意味を問うた。


「チャームナライヤッテ言エナイ、ケドネルハ今イヤッテ言エタ!」


 ? よくわからない。

 ネルの独特の話し方や言い回しには慣れたつもりだが、まだまだらしい。


「『魅了』状態だと正面から反抗できなくなるんですよ。でも今のネルちゃんは正面から拒否の意志を示した。だから深月様の力は『魅了』なんかじゃない。って言いたいんだと思いますよ」


 非常に気まずそうに部屋に入ってきたアイリスが説明してくれた。


「……いつから居たの?」

「その、わりと最初から。深月様を好きになったことを不思議に思ったことはないか? って聞いていたとこから。なにか深月様が真剣な表情で入り辛くて」


 ああ、それなら全部聞いていたのか。

 それなら意図せずにみんな同時に言えたみたいだ。


「それで、話を聞いてアイリスはどう思った?」

「別にそんなの気にしないでいいじゃないですか。確かに深月様に出会った時は不自然なくらい胸が高鳴って、私の運命に人はこの人だっ! って思いましたけど。別にそれは全然嫌な感じじゃなくて、そもそも実際に強いフェロモンを出す雄に私たちモンスター娘は惹かれるようにできているわけで。そんな私たち相手に人間の常識を当てはめて悩むだけ無駄ですよ」


 拍子抜けするほど呆気なくボクの悩みを蹴り跳ばしてくれた。

 こっちが死ぬほど、それこそ死ぬ覚悟を決めてまで悩んでいた事をそんなあっさり。確かにモンスターと人間ではその辺の感覚は違うのかもしれないけれど。


「そうですねぇ……、例えば超イケメンで背が高くて家が大金持ちで運動神経抜群、そんな人に私が好きになったとしたらどう思います? 不自然だと思いますか?」

「なんだよそれ、ボクへの当てつけか?」


 今でたものは全部ボクに無いものだ。


「違いますよ……、なんでそんなヒネた見方するんですか。いいから答えてください」


 おとなしく言われた通りに想像してみる。……かなりおもしろくない、想像した相手の男をこの手で締め殺したくなった。でもアイリスが聞きたいのはそんなことじゃなくて、その光景が自然なのかどうか。ーー悔しいけれど、なさけないけれど、


「なんか自然だ。ボクの横に居るよりもずっと」


 分かっていたことなのに、締め付けられるように胸がシクシク痛む。改めて、ボクではみんなに釣り合わない。


「それじゃあ、深月様を好きになることとその架空の完璧イケメンを好きになること、なにか違いがあると思いますか?」

「そんなの、全然ちがうだろ」

「違いませんよ。なんにも違いません。顔だって身長だって親だって才能だって、全部その人が生まれながらに持っているものです。深月様の『ミツキフェロモン』、でしたっけ? なんですかそんな私たちを虜にするためだけの才能はっ、そんなの惚れるに決まってるじゃないですかっ」


 前半は真面目に、後半はおどけた口調で伝えてくれた。

 アイリスの言うことは理解できた。でも納得できるかというとできない。生まれで決まるような事で、みんなに釣り合うとは思えないから。


「それでも自分の中で引け目があるなら、ご自分を磨かれてはどうですか? そして深月様自身がふさわしい男になれたって思ったら、その時にこう言ってくださいよ。『どうだ? あの時ボクに無理矢理惚れさせられて良かっただろう?』って」


 急に顔を寄せられ、そっと一瞬触れるだけのキス。


「それに、今更放り出されても私たちが困っちゃいますよ」


 こういう風に余裕ぶってお姉さんぶっている行動はなんだか子供扱いされてるみたいでかわいくないが、顔を真っ赤に紅潮させて、恥ずかしさを無理におして言っている事がまるわかりなところはスゴいかわいらしかった。

 こんな魅力的なモンスター娘たちに釣り合うようになれなんて、まったくどれほど高い目標なのか。

 それでも、ボクの一生を賭けるに値する、これからの緒方深月の目標だ。


「見てろよっ! ぜってーお前たちにふさわしい男になってやるからな!!」


 せっかくの男らしい宣言も鼻声なので格好がつかなかった。


「ところで、その、……深月様は私たちの事をどう思われているのでしょうか?」


 そんな意地の悪い質問を、レーベは恥ずかしそうにけれど嬉しそうにしながら深月にくれた。

 ネルは何か期待している目をしているし、アイリスなんか露骨にニヤニヤしちゃって。お前ら絶対わかっているだろ。


 正直に話すのはなんだか手玉に取られたようで悔しくて「お前らの思っている通りだよ!!」とぶつけるように叫んで布団をかぶって引きこもってやった。

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