第4話 海の王たち

 魔の森の泉のほとりで、フルートたちと大きな魚は向き合っていました。海に住むマグロです。

「ワン。あなたも人間のことばが話せるんですね」

 とポチが尻尾を振って話しかけると、マグロは子犬を見ました。

 魚の顔は表情を作ることができませんが、少年たちにはなんとなくマグロがほほえんだように見えました。

「はい。私は東の大海たいかいで海王様にお仕えしています。海王様の魔法から生まれた魚なので、人のことばを理解して話すことができるのです」

 とマグロが言います。


「東の大海?」

 フルートは泉の長老を見上げました。学校で世界のことはいろいろ勉強しましたが、東の大海という名前の海は聞いたことがなかったのです。

 長老が答えました。

「おまえたち人間がユーラス海と呼んでいる大海原のことじゃ。このロムドの国からはるか西の彼方かなたにあって、海底に海王の城がある。海王というのは名前のとおり海の王じゃ。世界中の空を天空王がべているように、世界中の海は、大昔から海王と呼ばれる王が代々治めてきたのじゃよ」


「ですが、現在の海王様は、世界の海の半分しかべることができずにおられます」

 とマグロが続けて話しました。

「今の海王様には双子の弟がいらっしゃるのです。渦王うずおうと呼ばれる方で、外見は海王様とうり二つですが、ご気性はこのうえもなく傲慢ごうまんな乱暴者で、海王様とは正反対です。海王様との仲もよろしくありません。渦王は、本来なら海王様のものである西の大海を我がものにして、海の半分をべています。そして、機会さえあれば東の大海も自分の領地にして、海のすべてを自分の手に治めようと考えているのです」


 ゼンは呆れた顔をしました。

「また王様と弟のケンカかよ。人間ってヤツはよくよく兄弟喧嘩が好きだな」

 半年前、風の犬の戦いのときにの当たりにしてきた、エスタ国王と王弟エラード公の確執かくしつのことを言っているのです。

 すると、マグロは大真面目に言い返しました。

「海王様は人間ではありません。渦王もです。お二人ともいにしえから海で生きてきた海の民なのです。海の民は海中を自在に泳ぎ、我々海の生き物と共に暮らしています。ただ、渦王はそんな海の民の生き方に逆らって、海底ではなく海上の島に城を築いています」


 海の中で生きる民、と聞いて、フルートとゼンは顔を見合わせました。

 海さえまだ見たことがない彼らに、その中で暮らしている人々を想像するのは難しいことでした。


 すると、ポチが口を開きました。

「ワン、ぼくは昔、海辺の町で人魚の話を聞いたことがあります。それから、半魚人って呼ばれる、魚と人間を合体させたような人の話も。それも海の民なんですか?」

「彼らも海の一族ですが、海の民とは違います。海の民は見かけは人間とそっくりですが、髪の色は鮮やかな青色をしていて、海の魔法を使います。特に王族の魔力は強力で、海王様は海を自在に操ることができます。それは渦王も同じで、二人のお力はほとんど互角です。ですから、困っているのです」


「兄弟同士で力を張り合っているから?」

 とフルートが尋ねると、マグロは生真面目きまじめに答え続けました。

「海王様は決して張り合ってはおられません。ただ、渦王が事あるごとに海王様に挑んできて、自分の力のほうが上だと示そうとするのです。渦王は激しい方です。怒り狂うと、大きな渦や津波を引き起こして海を翻弄ほんろうさせ、多くの命を奪います」


 けれども、大陸育ちのフルートとゼンには「津波」ということばもわかりませんでした。

 そこで、ポチが説明しました。

「ワン、海にはいつも波があるんですが、それがものすごく大きくなることがあるんですよ。何メートル、ときには何十メートルもの高さになって海から岸に押し寄せてくるんです。そうすると、陸のものは波にさらわれて海で溺れてしまうんですよ」


「とんでもないヤツじゃないか!」

 とゼンが声を上げ、フルートも考え込む顔になりました。

「それで……ぼくたちに何をしてほしいの? ぼくたちになんとかできることなのかな?」

 海をまだ見たことのない自分たちに、海の王たちの争いごとが仲裁できるとは思えなかったのでした。


 すると、マグロが言いました。

「今までは、いさかいが起きても、海王様のお力でなんとか収まってきました。ときどき二人の王がぶつかり合って大嵐が起こりましたが、いつも最後にお勝ちになるのは海王様で、渦王はまた西の大海に引き下がっていったのです。ところが、今回は違いました。渦王は卑怯ひきょうにも、東の大海の生き物たちに呪いをかけてしまったのです」


「呪い?」

 フルートたちは同時に聞き返しました。

 彼らは半年前に天空の国を魔王の呪いから開放してきています。呪いということばは聞き逃せませんでした。

 マグロは悔しそうな声になりました。

「海王様のご家来たちが話せなくなる呪いです。しかも、ただしゃべれないのではなく、言うことばがすべてなぞなぞのようになってしまう魔法なのです」

「なぞなぞ!?」

 フルートたちはまたいっせいに声を上げてしまいました。ちょっと予想もしていなかった話です。


 マグロは話し続けました。

「私の仲間や海の民たちは、皆まともなことが話せません。何を聞いても、要領を得ない謎のことばを答えるばかりです。私はたまたま海王様のご用で別の海に出かけていたので、呪いをまぬがれることができました。けれども、東の大海にいて人のことばをしゃべれる生き物たちは、海の民も海の一族も、私のような魔法の生き物も、すべて、まともなことばを奪われてしまったのです」


 フルートたちは顔を見合わせました。

「なんつぅか……呪いって言うより、ほとんど嫌がらせだよな、それ」

 ゼンの感想は率直です。

「海王にはその呪いは解けないの?」

 とフルートは聞いてみました。渦王と海王の魔力がほぼ互角なら、渦王の呪いも海王に解けるのではないかと思ったのです。

 すると、マグロはますます悔しそうな声になりました。

「海王様は行方不明です。城のどこにも、東の大海のどこにも、お姿が見あたらないのです。渦王が自分の城に王をさらって監禁しているのに違いありません」

 フルートたちはまた顔を見合わせました。兄弟同士でそこまでするとは、なんとも穏やかではない話です。


 マグロは続けました。

「海の民は大昔から天空の国の人々と交流があります。海と空はいつも向き合っている二つの大国だからです。それで私は天空の国に向かって助けを求めました。すると天空王からお返事があって、泉の長老を通じて、金の石の勇者とその仲間の皆様に助けを求めるように、と言われたのです。きっと東の大海にかけられた呪いを解いて、皆を救ってくださるから、と」


 すると、泉の長老が口を挟んできました。

「天空王はわしにも頼んできた。おまえたちを呼んで、ぜひ東の大海の呪いを解き、海王を助け出してほしい、とな。それで、金の石を通じてフルートに呼びかけたのじゃ」

「なぁるほど。それで天空王は俺にこれを落としてよこしたんだな」

 とゼンはうなずいて、背中の矢筒の光の矢を揺すりました。


 泉のほとりの小さな草原には、春のような光があふれ、風がそよいでいました。

 彼方の海で物騒な兄弟喧嘩が起こっていることなど、つゆほども感じさせない穏やかさです。

 ただ、風の中に今まで少年たちが嗅いだことのなかった、不思議な匂いが混じっていました。ちょっと生臭いような、でもなぜだかとても懐かしい気がする匂いです。

 泉にあふれる海の水から立ち上るしおの香りでした。


 泉をつかさどる老人が、深い目で子どもたちを見下ろしながら言いました。

「おまえたちは、我々がなんでも知っていて、なんでもできるように思っているのじゃろうな。だが、実際には我々にはかなりの決まり事があり、制約があるのじゃ。わしは水のおさのひとりで、世界中の泉や川辺で起こっている出来事を知ることができるが、海の出来事まで知ることはできん。同様に、天空王も世界中の空と地上の出来事はすべて知っているが、海の中までのぞき見ることはできん。海は海王たちの領分だからじゃ。海で争いが起きているからと言って、海の民に求められてもいないのに、勝手に助けに行くことはできんのじゃよ」


 フルートは、それを聞いてちょっとまばたきをしました。

 考えるように言います。

「じゃ……それが目的で、渦王はことばを話せなくなる呪いをかけたんでしょうか? 東の大海の人たちが天空の国に助けを求められないようにするために?」

「かもしれんな」

 と泉の長老が答えます。


 ゼンは腕組みをしました。

「まあ、天空王や長老の代わりに俺たちが海に行くのはかまわないんだけどよ。問題は、俺が泳げないってことなんだよな。渦王をぶっ飛ばして海王を助けるのには、海に入って行かなくちゃいけないんだろう? でも、俺は山育ちだから、まともに泳いだことがないんだ。夏場に谷川のふちで飛び込みをしたりはするけどよ。城のある海の底までは泳げないような気がするんだよな」

「ぼくもほとんど泳げない」

 とフルートも困った顔になりました。

 フルートが育ったのは乾いた荒野の真ん中の町です。小川や水路はありましたが、小川は浅いし、水路は流れが急なので泳ぐことはできなかったのです。


 長老は笑い出しました。

「たとえおまえたちが泳ぎの達人だとしても、海王の城までたどりつくのは不可能じゃよ。海はとてつもなく広くて深い。行ってみればわかるが、あそこはまったく別の、もうひとつの世界じゃ。とても人間の泳ぎでどうにかなるような場所ではない」


 すると、マグロがどこからか金の小箱を差し出しました。

「海王様の城からこれを持ってまいりました」

 長老はうなずきながら箱を受け取ると、青い宝石をちりばめた蓋を開けました。

 中には大粒の丸い玉がいくつも入っています。

 それをつまみ出しながら、長老は言いました。

「これは海の民の秘宝の『人魚の涙』という真珠じゃ。本物の人魚の涙というわけではないが、そう呼ばれておる。これさえ飲めば、水中でも陸上にいるように楽々と息ができるようになる。それぞれ一粒ずつ飲むがいい」


 フルートたちは目を丸くしながら真珠を受け取りました。

 普通の真珠は白いのに、この魔法の真珠はあきれるほど青い色をしています。

「これを飲むのか? 俺、薬を飲むのがすごく苦手なんだけどなぁ。いつものどにひっかけるんだ……」

 とゼンは恨めしそうな顔をしましたが、それを飲まなければ海に行けないのですから、しかたありません。長老が魔法で出した水で、なんとかかんとか真珠を呑み下します。

 フルートとポチは、ゼンよりは楽に真珠を呑み込みましたが、粒が大きかったので、やっぱりかなり呑みにくい思いをしました。


「海中には水の抵抗があるから、陸上のようには動きにくいものじゃ。わしからは、これをおまえたちに贈ろう」

 と長老が手を振りました。

 青い光が淡く散り、子どもたちの上に降りかかって消えていきます。

「陸上では何も感じんだろうが、水中に入れば、おまえたちが魔法で守られていることはすぐにわかるはずじゃ。マグロと共に東の大海へ行くがいい。渦王の手から海王を助け出して、海を呪いから救うのじゃ」

 長老に重々しく言われて、フルートたちはうなずきました。それぞれの背筋を緊張が走り抜けていきます。


 マグロが泉の上に頭を出して待っていました。

「私たちマグロは海を最も速く泳げる魚です。私の背中にまたがって、私の背びれにつかまってください。あなた方を乗せて泉の底の通路を通り抜けて、東の大海まで一気に泳ぎ出ます」

「今、この泉は魔法で東の大海とつながっている」

 と長老が続けました。

「マグロの速度ならば、三十分ほどで海に出られるはずじゃ。だが、行く手で何が待ち受けているか、わしにはわからん。渦王がわなをしかけて待っているかもしれん。くれぐれも気をつけて行くのじゃぞ」


 少年たちはまたうなずきました。

 フルートは胸の金の石を握りしめます。

 魔法の金の石が目覚めたということは、世界中を脅かすような危険が迫っている、ということです。

 兄弟喧嘩だからといって、油断するわけにはいきませんでした。


 すると、そんなフルートに長老が続けました。

「天空王からの伝言じゃ――。金の石の勇者たちが正義と平和のために戦うとき、約束どおり、天空の民は勇者たちの力になる。勇者が天に向かって呼べば、いつでも助け手が現れるであろう。だから、困ったことが起きたらすぐに呼ぶように、と天空王は言っておったぞ」


 フルートは思わず長老を見つめ返しました。

 代わりに身を乗り出してきたのはゼンでした。目を輝かせて聞き返します。

「それってつまり、呼べば天空の国からポポロが来るってことか!?」

「ワンワン、きっとそうですよ! だって、ポポロは天空の国の貴族になったんだもの! 貴族は、困った人たちのために、いつでも地上を助けに来られるんです!」

 とポチも嬉しそうに尻尾を振ります。


「おそらく、そうじゃろうな」

 と長老は言って、黙ったままでいるフルートを見つめました。

 フルートの中に何かを見いだそうとするようなまなざしでした。

「どうするな、フルート? 今ここでポポロを呼んでも良いのじゃぞ。『人魚の涙』はまだある。ポポロもおまえたちと一緒に海へ行くことは可能じゃ」

 フルートは、ためらうように視線を泳がせて、すぐにうつむいてしまいました。

「いえ……今は呼びません。きっと、ぼくたちだけで大丈夫です」


「おい!」

「ワン、フルート!」

 ゼンとポチが驚いて同時に声を上げました。

 ポポロは少女ですが、れっきとした勇者の仲間です。これから旅立とうというときに彼女を呼ぼうとしないフルートの気持ちがわかりません。


 けれども、フルートは仲間たちとも目を合わせないようにしながら、泉に向かいました。

「ポポロは、呼べばきっとすぐに来てくれるよ。渦王がどんな奴なのか確かめてからでも遅くないさ」

「ワン、そんな」

「おい、ポポロをのけ者にする気か? いくらポポロでも、きっと怒るぞ! 呼んでやれよ!」


 すると、金の鎧の少年は、一瞬ゼンを振り返りました。

「……ごめんね」

 すまなそうな声でそれだけを言うと、フルートはマグロの背に手をかけて、泉の中に飛び込んでいきました。大きな背びれにつかまって、魚に何か話しかけます。

 ゼンとポチは、ぽかんとそれを眺めてしまいました。

 フルートはもうこちらを振り向きません。

「ったく。なにがどうしたって言うんだよ、ホントに」

 とゼンは髪の毛をかきむしりました。


 泉の長老は何も言わずに、考えこむような目でじっと子どもたちを見つめ続けていました。

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