2-8 ヒトの現実
「どうしたの?」
「うわー!」
「捕まえたぞ!」
目の前でキツネがネコに抱きつかれ、ただちに耳をハムハムされた。
今、この場所ではネコを鬼とした「捕まったら耳をハムハムされる」鬼ごっこが繰り広げられている。
騒々しい友人らを横目に、イヌは目の前で揺れるフワフワの耳介を見詰めた。
「オコジョくんの声が聞こえたの。多分、『助けて』って」ウサギも上目遣いで年上の少年を見詰め返す。「おにーちゃんは、聞こえなかった?」
足の速いオコジョは、鬼ごっこ再開と同時に一目散に道路の先へ逃げ出した。彼に何かあったのだろうか。
「にーちゃん! 助けてー!」
「しーっ! 静かにして」
「えっ!?」
救護を求めてきたキツネには、悪いが鬼の餌食になってもらう。
少年と少女がもみ合う音と声よりも、もっと、ずっと遠くの音を探す。
風の吹く音。鳥のさえずり。もっと向こう。
意識を集中し、気配を求めた。
すると、
イヌ耳が、聞いたことのある低い音を捉える。
普段は聞かない、けど、記憶にある音。
懐かしい記憶にもひも付くその正体は、
「車だ」
車が走る際に発するエンジン音。自分が乗ったことのある車よりもずっと静かだが、間違いない。
……近づいてきているようだ。
音の響いてくる方向へ体と耳を向ける――丁度、オコジョが逃げていった方向だ。
砂がむき出しの道路を二、三十メートルほど進んだ所にある突き当たりに、やがて発生源が現れる。
黒塗りで光沢のある、長い移動体。
「管理局員が視察に来ていただけ」という可能性はある。しかし、
「
傍らのフクロウの言葉が事実を伝えた。猛きん類の獲物を逃さぬ視力と反射神経によって、暗い窓の奥にある影を捉えたのだ。
「助けに行こう!」
「うん、わかった」という声は背中で受け止める。
今、友達がさらわれた。
恐ろしい現実を前に、だが「誰かがいなくなった」と聞いた時に感じた恐怖や焦りはない。
むしろ興奮にも似た使命感が、
全力疾走するイヌの横を小さな影が通り抜ける。ネズミだ。先に曲がり角へ到達した彼女は、突き当たりにある建物の壁に両手両足を付けたかと思うと、そのまま壁を駆け上がり、二階の窓枠にぶら下がった。ネコと同様、体重に対して指先の筋肉が発達していることで可能となった芸当である。更にネズミは小柄で指も細いためか、ネコのように壁を力強く蹴って上がるのではなく、細かなくぼみや突起に指や足先を掛けてよじ登ることができた。
ネズミに少し遅れて角を曲がると、
もっと足が速ければ――動物の脚力に恵まれなかった体を呪った。
その時、
「さっきの黒い奴を追えば良いのか!」上から声。ネズミだ。
「うん!」
「この道を進んで、一つ目の横道に入ったッチ!」
「わかった!」
小さな少女は思いのほか頼れる行動力の持ち主だった。
ネズミに指示されるまま一つ目の脇道へ曲がった。やはり車はない。ただ、幅三メートルもない道は突き当たりまで続く一本道のため迷うことはなかった。
細い道を直進しながら上にも目を配ると、屋根から屋根へ身軽に跳躍するネズミが。縦横無尽に駆け回ることに慣れているようだった。
突き当たりに差し掛かると、再び上から「黒い奴は左に曲がったぞ!」
北へ進んでいるようだ。ネズミの導く通り進む内に、建物の一つの窓が開いた。民家の住人であろう大人の
いずれにせよ、
手を振りながら声を張り上げる。「友達がさらわれました! 警察に連絡してください!」
大人は驚いた顔をしたが、悪ふざけではないとわかってくれたのか、うなずいてすぐ引っ込んだ。
これで、すぐに警察が駆けつけるだろう。トリの翼を持った警察もいる、早ければ数分だ。
後は、時間を稼げばいい。
敵の動きを止めるのだ。
人手を増やす。
ならば――
「黒い奴が止まったぞ!」
再びネズミが建物の屋上から顔をのぞかせて報告してくる。
彼女が示した角を左へ折れると、遂に黒い車体の背面が目についた。
――今こそ、自分に宿した能力を発揮する時だ。
身体能力には恵まれなかった自分が、
聴力、きゅう覚と共に手にしたイヌの力。
教わらずとも細胞が知っている。
「それ」を使えば、仲間が来ることを。
自分の居場所を周知する手段。
天を仰ぐと、口をすぼめながら一気に吐き出す。
その周波数は窓を微震させて屋内へ貫通し、かつ空気を伝わって遠方まで届く。
「それ」は、ヒトが「遠ぼえ」と呼ぶ、イヌに特有の発声法であった。
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