帝都ヴァンパイア浪漫譚 ~半吸血鬼は乙女の血を吸いたくない~

青木桃子

第一章 伯爵家の住人

第1話 洋館に住む異人さん

 神々のおわす島国――。


 鎖国という閉鎖的な時代から、近代化の波が押し寄せると、西洋文化の新たな風が吹いた。


 はじめは反発する者も多く、大きな波もあったが、喉元過ぎればなんとやら――。世の中の風向きが変わると、徐々に人々に受け入れられ……はや数十年が過ぎ。


 帝都では新しい時代の美人画が売れ、おしゃれに自由恋愛にと、ロマン文化が生まれた。近代化の象徴だった瓦斯灯がすとうから、電気が普及しはじめる、そんな頃――。




 ――帝都から遠く離れた港町の丘に、古びた洋館が建っている。アーチ形の赤レンガの門からのぞく広い庭園には、深紅の紅い薔薇。白色、黄色と、色とりどりの薔薇が咲いていた。


璃世りよさん、知っている? あの洋館に異人さんが住んでいるらしいよ 」


 女学校からの帰り道、噂好きな学友のきく鶴子つるこ藍川璃世あいかわりよに話しかけてきた。


「菊さん、たしかあの洋館は貿易商で財を成した永倉えいくら家の別邸じゃなかった?」

 璃世は洋館を見ながら怪訝な顔をした。

「たしかに成功者と言えるけど、永倉家はもとはお公家さんですよ」


「そうなの~そうなの~お公家さん」

 鶴子は調子よさそうに合いの手をいれる。菊は璃世にうっとりと語る。

「そうそう、洋館に住む殿方は海の向こうからやってきた異人さん。翡翠ひすい色の瞳に黄金に輝く髪色の美青年。毎夜パーティを開き、ご令嬢を口説いているんですって」


「きゃー。わたしも素敵な殿方に口説かれたい!」

「鶴子さん、お静かに。はしたないですよ」


 ぴしゃりという璃世は好奇心旺盛で、想像力が豊かな乙女。茜色の矢絣やがすり柄の着物に紫色の女袴を翻し、髪は大きなリボンをひらひらなびかせ、人差し指を唇にあて考えた。


「きっと、異人さんは仮面をつけた謎の怪人なんですわ! 実は吸血鬼で、仮面舞踏会の夜に令嬢を口説いては血をいただいているのよ。血も滴るイイ男ってね」

「それをいうなら水も滴るでしょう。璃世さんったら怪人だと思わせて、実は吸血鬼だなんて! まるで異国の小説のようなお話ね」

「ふふふ。菊さんにはわかっちゃった?」

「ねぇ。ちょっと何の話なの。鶴にも教えてよぅ。吸血鬼ってなに?」

 鶴子は首をかしげる。


「あら、鶴子さんに洋書を紹介しなかったかしら。吸血鬼はね、何世紀も前から生き続けてきた不死の怪物で――。欧羅巴ヨーロッパに住む由緒ある伯爵が、実は若い美女の生き血をすすって何百年生きる吸血鬼だった……っていう。異国で人気の小説を読んだのよ」


「璃世さんは、本当に異国の本が好きなのですね」

「ええ大好きよ。憧れだわ。行ってみたいな他所の国~♪ ねえ、さっそく本を紹介したいので甘味処に寄って甘いものを食べに行きませんか」

「いいわね、先生に見つからないように行きましょう!」



 ***



 石造りの橋を渡り、和と洋、それぞれの良さが調和した街並み。着物のご婦人、男性は洋装にトンビの外套、街には市電が走り、馬車や車が行き交う。往来がはげしいので急いで横断しなければならない。


 三人は黒いブーツで軽やかに走り抜け、お店に着くと、周りを確認しながら暖簾のれんをくぐって、椅子に座りメニューを見た。


「わたしはあいすくりん」

「プリンがいいわ」

「断然、あんみつ」


 注文してから、みんなでそれぞれ好きな本の紹介をしあって回し読みをした。


 こうして楽しく過ごすのもあと一年ほど。女学校を卒業すれば親が決めた許婚の家に嫁ぐことが決まっていて、死ぬまで口ごたえもせず、夫と家を支え続けなければならない過酷な日々が待っていた。


 時代は目まぐるしく変わるのに、いまだ女性に対する地位が低い。そんな世の中に嫌気がさしたのか、女学生同士で心中する事件が起きたと巷で話題になった。


 暗い状況にいったん目を背け、話に花を咲かせる十七才の乙女たち。


「……そういえば、あの洋館にある書庫には、たくさんの異国の小説があるんですって。写本じゃなくてしっかりした作りの本なんです。知り合いのご令嬢がその宴に出て目撃したらしいの」

「菊さん、すてきな情報をありがとう。わたし興味がわいてきました。なんとかその宴会場に入れないものかしら。士族だから華族の方しか無理かなぁ。うちは士族といっても下級だから平民だし」

 璃世は一瞬期待したものの貴族社会という現状にすぐ萎えた。あいすくりんを恨めしそうに見つめる。


「でも……璃世さん、ひとつだけ可能性があるわ」

「なあに?」


 菊はいたずらっぽく笑って璃世に耳打ちした。

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