幕間 とある策謀家(自称)の苦悶

「おかしいではないか!」


 その日、ドノバン・クレエアは大いに荒れていた。

 ここは彼の書斎であるから、どれほど騒いでも文句を言うやからはいない。

 だからといって内心の混乱はどこかへ行ってくれるわけでもなかった。

 伯爵家の当主としての矜持も何もかも放り投げて、現実逃避したい気持ちを必死にこらえ、ドノバンは目の前の報告書を読む。


 そこには、辺境伯領の冒険者ギルドが画期的な保険事業や魔導具のリースを行い、かつてないほどダンジョン探索が盛り上がっているむねが記されていた。


さかしまにもほどがある……!」


 再び絶叫をあげ「痛たたたた……」と胃をおさえるドノバン。

 彼と〝結社〟の計画によれば、ギルドを活発に支援していた成金子爵の死亡を持って、ハイネマン辺境伯領での経済は緩やかに滞り、やがて減退する計算であった。

 そうなれば国境線の防御はおろそかになり、〝結社〟の手引きで他国が攻めやすくなる。

 辺境伯は無能の烙印を押され、双璧であるクレエア家は王に重用され、非常に近い位置まで距離を詰めることが出来るはず。

 これがドノバンの描いた図面だったのだが……しかし、そうはならなかった。

 まったく逆の結果、空前の冒険者ブームが到来してしまったのだ。


「なぜだ……どうしてこんなことに……」


 真っ青な顔で、アルコールの注がれたグラスを手に取る。

 酒量が増える一方だと思いながら口を付け、彼は顔をしかめた。

 明らかにグレードが下がっている味わいだったからだ。


 そう、辺境伯領が活性化を初めて以降、クレエア家は落ちぶれる一方だった。

 これまで防諜の守護者として尊ばれてきたドノバンだったが、最近では多くの謀略を素通しさせてしまっている。

 こちらこそが本来の形であり、国を蚕食さんしょくするために率先してやっていることなのだが、周囲はまるでドノバンが無能になったかのように扱うのだ。


 初めこそ調子が悪いときもある、体調が優れないのでは、よい医者を紹介しましょうなどと口にしていた取り巻きたちも、いまでは一定の距離を置き始めていた。

 おかしい、こんなはずではと何度も繰り返すことしか、ドノバンには出来ない。


 彼には思いつけない。

 長女、ラーベ・クレエアを放逐したときから、風向きが変わってしまったことに。

 否、たとえ気が付いても、認められるわけがなかった。

 それしか知らないで生きてきたので、いまさら変更は利かないのだ。

 だから、必死で手紙をしたためる。


「リーゼ……お前だけが頼りだぞ……」


 エドガー・ハイネマンという優秀な猟犬は、今回の一件で〝結社〟に感づき、やがて芋づる式にクレエア家へと到達するだろう。

 ドノバンにも、そのぐらいのことは解る。

 対策も打っているし、何度も嫌疑自体は晴らしてきた。

 知らぬ存ぜぬ、あるいはスケープゴートを立ち上げればいいのだ。


 それよりも重要なのは、愛娘たるリーゼのこと。

 彼女は現在、第三王子へと急接近をかけている。

 クレエア家特性の〝薬物〟を用いて魅了し、堕落させ、王族だけが持つ情報をいくつも抜き取っている最中だった。

 これさえ上手くいけば、悪徳の大家としての悲願、王権の奪取は叶うのである。


 だから、そのための方策と娘への激励を彼は綴り続ける。

 やがて手紙を書き上げて、ドノバンは暗闇へと叫んだ。


「〝影〟よ、これをリーゼの元に! それから、絶対にあの失敗作のバケモノを王都に近づけるな!」


 〝影〟は頭を垂れた。

 手紙と一緒に、薬物を受け取りながら。

 ただ、命令を遂行するのみと考える。


 たとえそれで、この身が――この家さえもなくなろうとも。

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