第59話 悪戯なお華さん

 翌日、また早起きして準備を終えた俺は駅への道を歩いていた。


 夏休み中の2日連続早起きは低血圧の俺達には厳しいと思うが今日はしっかり起きれた。……まあ緊張で寝れなかっただけなんだけど。


 あくびをしながら駅前に着くと、人だかりが出来ていた。芸能人とかが来てるのか、と思ったが俺は1つの考えに辿り着く。……まさか——


「なあ、俺達と遊ばね?」


 人と人との間をくぐり抜けてなんとか前の方まで来ると、冬奈が金髪の男どもに絡まれていた。


「嫌よ。人を待ってるの。だから早く帰ってくれない?」


「え〜少しだけだからさ! ね?!」


「お前みたいな女も嫌いじゃねぇ。なあ良いじゃねぇか」


 心から怒りが溢れ出してくる。前のナンパは出来るだけ優しくしたがあの時とは俺の気持ちや状況が違う。あいつらには少しお灸を据えてやろう。


 俺は人だかりの中心にいる冬奈達の元まで歩き始める。


「嫌だって言ってるでしょう?」


「チッならしょうがねえか。力ずくでやるしかねぇな——」


「ッ!」


「おい」


 冬奈へ伸ばされた男の手を掴む。男はこちらを見て怪訝そうな顔をした。


「あ? 陰キャが俺の手を掴んでんじゃ——痛ててて! なんだこの力!」


 俺の手を無理矢理振り解いた男は掴まれた部分を抑えながら後ずさる。他のやつらもたじろいでいた。


「邪魔してんじゃねえよカスが!」


「黙って3秒以内に立ち去れ。次はお前のその手、折るぞ?」


「ヒイッ!」


 溢れる感情のまま脅しの言葉を口にすると、男達はつまづいたりしながらも走って行った。


 男達が立ち去ったのを確認し、振り返って冬奈へ声をかける。


「大丈夫か——」


 そこで、俺の言葉は止まった。理由は簡単。冬奈があまりにも可愛かったからだ。


 水色っぽいカジュアルなショートスリーブクロップブラウスにダボっとした少しサイズが大きめな黒のテーパードパンツ。髪はハーフアップになっており、少し出ているお腹が妙に扇状的に見えた。


「ええ、大丈夫よ。助けてくれてありがとう。……でも、褒めるのなら口でね?」


 俺は冬奈の言葉にビクッと体を跳ねさせ、顔を背けたまま「どういたしまして」とぶっきらぼうに返す。すると、少し後に冬奈の優しくも控えめな笑い声が聞こえた。


「凄く、可愛いです……」


 俺のその言葉に冬奈は少し頬を赤らめる。


「ありがとう。……その、翔梨もかっこいいし、さっきも凄くかっこよかったわ。まあ、周りの人達に怖がられてたけど」


「……マジ?」


「ええ。圧を出し過ぎたわね。それに心の中も大変な事になってたわよ?」


 逆にその時の俺の心の声聞きたいな。どうなってたんだよ。


「まあ良いか。行こう、冬奈」


 そう言って俺は冬奈の前に自分の手を出した。その俺の行動に冬奈は目を見開いたが、すぐに手を握ってくる。


「ええ」


 手を繋ぎながら水族館への道を歩いて行く。夏休みだからか子供は目を離したらすぐに迷子になってしまいそうなほどに水族館に居る人は多い。


 俺達はあらかじめ取っておいたチケットを受付の人に出す。受付の女性はチケットを確認した後、ニヤニヤとしながら俺達に返してきた。


「カップルさんですかね?」


「い、いや、俺達はカップルじゃ——」


 その女性の言葉を慌てて訂正しようとすると、冬奈が俺の唇に白くて細い指を当ててきた。


「冬奈……?」


「ふふ、まあ良いじゃない。ね?」


「んふふふふ。では、行ってらっしゃいませ〜」


 絶対に勘違いしている女性を横目に、俺達は水族館の中へ入って行く。


「なあ、冬奈? さっきの、訂正しなくて良かったのか?」


「ええ、良いわ。私は嫌じゃないしね。それに——」


 冬奈は俺へウインクをしながら、悪戯に微笑んできた。


「今日のデートの終わりには、そうなってるでしょ?」


「ッ!」


 その蠱惑的な声に、俺の顔が熱くなっていく。やばい、これはやばい。持つかな、俺の心……。


「持ってくれなきゃ困るわ。楽しみにしていた翔梨とのデートが台無しになっちゃう」


「……平然とそんな事を言えるの、尊敬するよ」


 なんとか絞り出した言葉した言葉に、冬奈は「これでも、結構恥ずかしいのよ?」と恥ずかしげに返してきた。


 この水族館は中々広く、色々な魚達がいる。イルカや亀などは勿論、ホッキョクグマなどもいる。


「へえ、こんな魚が居るのね」


 冬奈は熱帯魚ゾーンにある1つの水槽を見ながらそうつぶやいた。


「ネオンテトラか。結構温厚で飼いやすいらしいぞ?」


 ネオンテトラはその名の通りネオンのようなメタリックブルーに光ってみえる体側が特徴の熱帯魚だ。


「へえ、そうなのね。あ、こっちにも居るわよ、翔梨」


 あちこち歩き回り、説明などを見ては色々な表情をする冬奈を見て、俺も自然に口元が緩む。


 だが、何故か冬奈の顔が急に赤くなり、俯いてしまった。


「どうしたんだ?」


「……いや、はしたない姿を見せてしまったなって……」


「いや、可愛かったぞ?」


 俺がそういうと、冬奈は口を尖らせて不満げに唸った。


「翔梨のくせになまいきよ」

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