宰相室専任補佐官15 マカロンに隠語はありますか


 いつものように部屋の準備をして書類整理を行う。

 あの日膝枕をしてもらった翌日が休みで、あれ以来初めてレオン様に会う。

 失態に多少緊張もするが……。


(子供扱いされてるだけよ! 私も普通にすれば良いんだから!)


 ほんのり熱を持つ頬を感じながらも、何度も暗示をかけた。

 しばらくすると扉が開き、レオン様が入ってきた。



「おはようございます、宰相閣下」

「おはようシャルロット」

「先日はお見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした。色々とありがとうございました」

「ん、もう大丈夫か?」

「はい! あ、こちら昨日買い物に出たのでお土産にお裾分けです。どうぞ」



 カラフルマカロンを差し出すと、レオン様は少し複雑そうな表情をした。



「──あの……マカロン、苦手でしたか?」



 いつも甘いものを自分にくれるし、たまに本人も食べているので問題ないかと思ったが、マカロンは得意ではないのだろうか。



「──今補佐室に寄ったら、ステファンの机の上にこの包み紙があった」

「はい。先ほど先輩にも渡しました」

「…………シャルロットはステファンと仲が良いのか?」

「仲ですか…? 特に悪くはないと思うのですが。仕事上関わることも多いですし、信頼できる方だと思います」

「……そうか。仲が良いのだな」



 ……マカロンをあげると仲が良いという意味になるのだろうか。

 もしかして、初めて会ったあの時の「シェリー酒」のように隠語があったりするのだろうか。

 少し俯き加減で延々とマカロンを見つめるレオン様は、少し怖い笑みを浮かべてらっしゃる。



「あの……アイリーン課長にも渡しましたけど……」



 一体どんな隠語があるんだ!? と恐る恐る伝えれば、レオン様はゆっくりと花が咲きほころぶかのようにふんわりと微笑んだ。


 ──目の毒でしかない。眩しい。自分の鼓動がうるさい。



「そうか、アイリーンにも……そうか。ははっ、ありがたくいただこう。あ、正午にアイリーンと打ち合わせをするからよろしく頼む」



 先程のアイリーン課長が言っていた件だろう。直接スケジュール確認ができたようだ。

 レオン様は打って変わってご機嫌よろしく、ご自分の席につき早速仕事に取り掛かり始め、書類をめくりながらマカロンを食べていた。

 コーヒーだけ入れ、私も席で仕事を始めるが、しばらく心臓がうるさいままだった。


 ──あの笑顔は反則。




 書類チェックをしていると、直接持ち込まれた中に不備を発見した。

 早く修正してもらおうと書類を持ち席を立つ。


「書類持って行ってきます」


 書類から目を離さず、こことここを修正してもらって……ついでにあのファイルも貰ってこようか、他に不備はないかな、と書類をめくりながら部屋を出ようとしたら。



「シャルロット」

「はい」

「忘れものだ」

「はい?」



 立ち上がり両手を広げるレオン様に、今私は完全に『一抱擁』のことを忘れていた。

 いつもはジリジリと詰め寄られ、しぶしぶ観念したように頬を染めながら胸に顔を寄せるのだが……今日の私は一味違うことを見せつけてやる!


 ……あと、急いで不備を訂正しに行きたいというのもある。


 私はツカツカと歩み寄り、『これは保護者これは保護者……お父様全然こんなにかっこ良くないけど! これは保護者っ! あの時の親子を思い出せ!』と自分に暗示をかける。

 そしてためらいもせずレオン様に飛びつき、腰に手を回しギュッと力を込めた。


 ──やっぱりこの香り、好きだ。


 たしかに抱擁は落ち着くし、心が満たされていくのを感じる。

 いつもならレオン様がギュッと抱きしめてくれるところだけど、私が抱きついたからかそれはないみたいで。


 しばらくした後パッと私は手と体を離す。



「では行ってまいりますね」



 少し照れてえへへっと笑ってしまった後、スタスタと部屋から出た私は──その後レオン様がしばらく硬直したままだったことは知らない。



◆◆



 その日から『一抱擁』の時には、レオン様が広げた腕の中に自分から入っていくようになった。

 一回目は私に手を回してくれなかったレオン様も、それ以降は優しく抱きしめ返してくれるようになり、完全にお互いがお互いを抱擁する図の出来上がり。


 あの親子の図を毎回思い出しつつ、『うんうん、癒し効果……出てる! 落ち着くー……』とこのままずっとしていたいけれど、そんな暇はない。


 この抱擁は基本的に三秒ルールを自分の中で決めている。

 その三秒を数える速度が、徐々にゆっくりになっている気がするけど、癒しのために仕事に支障が出ても困るから。

 今日も今日とて、『一抱擁』。


「では行って参ります」


 そう言い、回していた手を離した。



「あぁ、私もこのまま会議に出るから。今日は多分長丁場になりそうだ」

「かしこまりました」

「うん」

「…………あの?」

「ん?」

「はな……離して、いただけますか?」



 三秒後に私は手を離したのだけど、レオン様の腕が離れない。

 あまり長いと緊張してしまうし、ようやく照れずに『一抱擁』ができるようになったのに、また顔が赤くなってしまう。


 それなのに、さらに腕に力を入れぎゅうっと抱きしめる彼は、体を屈め、顔を私の頬の横に近づけた。


(ちか……近いっ! ちょ、良い匂いするからやめてっ!?)



「夜まで長いから……たんまりとシャルロットを補充しておこうかと思って」

「ひゃ……っ! え、あ……そう、です、ね!?」



 言っている内容はどうでも良いし何も耳に入っていない。

 それどころではない。

 顔がくっつくほどの距離ということは、つまり。


 声が耳元で聞こえる、ということ。

 低音バリトンボイスが脳に直接響き、変な声が出てしまった。


 ガチッと硬直してしまったままの私を抱きしめ、さらに頭を撫で始め、もうレオン様が私に巻きついている状況。

 最後にさらにギュッと強く抱きしめられ「さぁ、いこうかな」と耳元で囁いたあとに手を離したものだから……。


 ──腰が抜けるかと思った。


 真っ赤で呆然としたまま囁かれた耳を手で押さえる私に、クスクス笑いながら書類と手帳を持ち通りすがりに頭を撫で、扉の前で振り向いた彼。



「その顔、ちゃんと戻してから外に出るように。では、先に出る」



 そう言ってニヤリと笑みを浮かべて扉を閉めた。

 私が最初に出るはずだったのに……。


 一人真っ赤な顔をして立ちすくんでいたが、「……その顔ってなに?」となんとかフラフラと鏡の前に移動した。

 鏡の前には、紅潮した頬と潤んだ瞳、トロンとした顔の、だらしない自分が映っていて。


 なんて顔をしてるんだ、と恥ずかしくてさらに全身が熱を持つ。



「その顔ちゃんと戻してから、って……じ、自分がそうさせたくせにーっ!! すぐいたずらするんだから……っ」



 もうっ、もうーっ!! と一人で真っ赤になりながらムキーっとなっている。

 レオン様はきっといたずらっ子だ。

 何か仕掛けて私が動揺するのを見て面白がっていると思う。


 学院時代に誰でも彼でも驚かそうとするひょうきんな男子がいた。レオン様はひょうきんではないけど、きっと根は同類のいたずらっ子なんだろう。


 何度も耳の奥であの声が蘇り、またしても赤くなるを繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻すのに二十分もかかった。

 かなりの時間ロス。


 それなのに、今度は香りが蘇ってきた。



「…………なんのコロン使ってるのか今度聞いてみよ」



 ──コロンを真似するのくらい、良いよね。

 好きだって、バレたりしないよね。


 少しだけ切ない気持ちになり、チクリと痛む胸を押さえながら、ようやく宰相室を後にした。


 

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