第13話 高一の夏休み


 初めての体育祭は、とても爽やかな体育祭日和だった。

 俺は1500mと選抜リレーに出て、二位で二位だった。

 久しぶりに喉が切れそうになるほど走った。全身汗だくで、鉢巻きが邪魔で、少しだけサッカーがしたくなった。


 家に帰ってシャワーを浴びると、夕ご飯までベッドで横になってスマホを眺めた。

 中学のチャットグループがまた動いている。

 ゲイであることを意識して距離を取った俺に、クラスメイトは連絡をしてこなくなった。

 そもそも俺には人と共有したくなるようなわくわくする出来事もなかったし、流行りにも乗れないでいたから、送ったところでつまらなかったんだと思う。

 クラブを辞めて、落ち込んだ気持ちがピークの時に、ほとんどのフォローも外してしまった。そして高校入学前の春休みに残っていたのも全て外した。

 チャットグループからも抜けてしまおうか、どうせ見ないんだし。

 

 ゲイになった俺はうまく友達が作れない。

 普通の会話はできるけど、放課後に誘われたりするとつい断ってしまう。

 俺にとっての適度な距離感は、お友達と呼ぶには数歩足りない。

「はあ」

 ああ止めよう、落ち込んでもいいことはない。

 唯一、孝一とはたまに連絡を取り合っている。

『元気?』とか、真結ちゃんの写真とか、アイスと空の写真とかが何の説明もなく貼られて、俺はそれに短くコメントをして、こちらからも時々どうでもいい写真を送ったりする。

 正直来ると嬉しいし、こうして時々やり取りを見返したりしてしまう。


 スマホのお陰で距離は感じないけど。それでも人物としての詳細が急速に曖昧になっているのを感じる。

 全てを押しのけて湧き上がってきた、抱きしめたいという強い衝動をもう思い出せない。

 俺目がけてボールを蹴り上げる姿も、笑った顔も、声だってハッキリとは再生できない。

 あんなに動揺して藻掻いたのに、眉間を痛める程グラビアアイドルに嫉妬したのに。

 会わなくなるとこんなにも簡単に忘れていく。

 ほっとして、同時に寂しい。

 卒業してたったのふた月でほとんどの感傷が無くなって、ようやくあの頃の自分を思い返すことができる。

 俺は男が好きで、孝一を好きになった。

 気が付いた順番は逆だったけど。


 孝一とのメッセージを開いて、サッカーが恋しくなったと打ちかけて、止めた。

『体育祭で走ったらめちゃくちゃ疲れた』

 そう打って、倒れた猫のスタンプを送った。

 課題をやっているとスマホの画面が光った。

『もっと運動しろよ! ところでさ、来月真結の発表会があるんだけど、俺行けないんだ。祐行けない?』

 メッセージと犬がお願いしているスタンプが続けて送られてきた。

『いつ?』

『7月30日、夏休み中で悪いんだけど』

『いいよ』

『ありがとう! 真結喜ぶわ!』

 椅子の背もたれに寄り掛かり、「あー」と声が漏れた。

 俺のせいで純粋な親友と呼べる関係ではなくなってしまったけど、こんな風に妹のことを頼んでくれる。

 多くの人とは途切れてしまったけど、まだ孝一との繋がりが残っている。

 ほっとして、やっぱり嬉しい。

 俺の考察では、孝一で自慰をしなかったからだと思う。もしもしていたら、きっとこのやり取りも後ろめたさがあっただろう。

 上手くやったよ、なんとか初恋を切り抜けた。今も誰にも言えないし、いつも少し不安を感じるけど、それでも何とかやれている。普通に紛れてなんとかやってるよ。

 何度も自分を励まして、また課題に取り掛かった。



 

 夏休みに入って、頼まれていた真結ちゃんの発表会に行った。

 子ども楽団にいたころよりもずっと大きな会場で、複数の中学の合同発表会だった。

 少し早くに会場の市民ホールに付くと、看板の前にいた真結ちゃんを見つけた。

「祐君!」

 俺を呼んだのは間違いなく真結ちゃんだったけど、かなり背が伸びて、中学生らしい顔になっていた。

「大きくなったね」

 真結ちゃんは白い歯を見せて笑って、「祐君もまた伸びたね」とチケットとパンフレットを渡してくれた。

「お花持ってきたんだけど、後で渡す機会あるかな?」

「わー嬉しい! 今貰っていい?」

「もちろん」

 花の入った紙袋を真結ちゃんに渡すと、中の花束を見た真結ちゃんの顔がパッと笑顔になった。

「紫大好き! バラまで入ってるー!」

「まだ紫が好きで良かった」

 小学生の頃、真結ちゃんはいつも紫の物を持っていた。服も靴もバッグも。

「今は色んな色が好きだけど、やっぱり紫が一番好きだよ!」

 無表情で夜の曇り空を見上げていた子と同じとは思えない笑顔に、俺はしみじみとした。

 真結ちゃんはお花を丁寧に袋から取り出して、「お兄ちゃんに送るから、一緒に写真撮ってくれる?」と、二人で並んでセルフィーを取った。

「んーいい匂い! 写真、SNSに上げてもいい?」

「いいよ、やってたんだ」

「うん! お兄ちゃんもやってるよ!」

「へえ、探してみようかな」

 孝一はああいうのをやるタイプじゃなかったけど、高校に行って変わったのかな。

 投稿は気になるけど、探さない方がいいような気もする。

 ふと見ると、真結ちゃんが人混みに目をやっていた。

「誰か探してるの?」

「あー……うん。中屋先生」

「え?」

「友達の担任なの。それで」

「ああ、相変わらず見に来てくれるんだ」

 クラスみんなの活動を全部大好きなんだと言ってくれる、嘘つきで優しい先生。

「うん、そうだって聞いてる。でも今年は――」

 真結ちゃんが何か言いかけたところで、「真結ー!」と向こうで同じ制服の女の子が大きく手を振っている。

「あ、行かなきゃ!」

「うん、頑張ってね」

 手を振って見送って、それから辺りを見回した。俺も久しぶりに先生に会いたいな。

 俺の現状を先生に話したらなんて言うだろう。いや、そんなに話せることもないか。嘘ばかりついて、普通に紛れてなんとか生きてるってだけだ。


 会場内でも全体を見渡してみたけど、見知った顔さえ見つけられなかった。

 俺に頼むということは、今日も両親は来ていないんだろう。こんなに立派なホールで演奏するようになったのに。

 孝一が寮生活になって、真結ちゃんは今、あの両親と三人で暮らしている。なのになんで片方でも来ないんだと、急激にむしゃくしゃとした。

 もっと大きい花束を送ればよかった! バラを二本なんてケチなことをしないで、あと十本くらい追加してもらえばよかった!




 残りの夏休みは予定していた短期講習に行った。

 甲田たちは相変わらずで、一度女の子との海でのバーベキューに誘われたけど、それを断るともう誘ってこなくなった。

 空いた時間には市営の体育館に行ってランニングマシーンで走った。体育祭で喉が千切れそうになったのが悲しかったからだ。炎天下を走る勇気はもう無かった。

 丁度いいスピードで走っていると頭がからっぽになって、やっぱり少しサッカーがしたくなる。

 気を紛らわせるためにオーディオブックを再生した。最近はSFを聴いている。

 そんな毎日を送っていると、母さんに、「友達とどこか行かないの?」と言われてしまい背中が冷えた。

 しょうがなく映画館に出かけた。

 一人で見る映画は思いのほか快適だったけど、友達と行った風を装うのはあまりに空しくて、みんな部活で忙しいんだよと嘘を吐いた。



 一度、和田さんに誘われて、隣の市の大きな本屋さんに行った。

 和田さんに勧められて読んだ歴史ファンタジー小説の、挿絵作家の原画展が催されていたからだ。

 正直絵に興味はなかったけど、母さんに、「友達と出かけてくる」と言えたし、実際の原画は思っていたよりもずっと迫力があって綺麗だった。


「付き合ってくれてありがとう。ホントは興味なかったでしょ」

 一階のカフェでケーキセットを食べながら、和田さんが申し訳なさそうに笑った。

「うん、そんなにね。でも見てみたら凄く迫力があって綺麗だった。文庫本のサイズになっちゃうのが勿体ないね」

 ミルクレープにフォークをずぶずぶと刺していると、和田さんがふふっと笑う。

「笑うとこあった?」

「高瀬君って嘘が無くていいよね」

「そう?」

 返しながら、心の中でため息が出る。

「興味ないのにどうして来てくれたの?」

「え?」

 嘘が無いと褒められたのに、さっそく嘘を付かねばならない気配に落ち込んだ。

「全くなかったわけじゃないから。小説も面白かったし」

 これはぎりぎり嘘じゃない。本当の本当は親に問題ない高校生活を送っていると見せかけたかった、だけど、これはさすがに和田さんの笑顔が消えそうだ。

「小説って人に勧めても滅多に読んでもらえないじゃない? だから高瀬君が読んでくれて、こんなところにまで付き合ってくれてすごく嬉しい!」

 ケーキにフォークを刺しながら、和田さんの気分を害さない、かつ嘘じゃないコメントができたことにホッとした。

「本を読む人自体少ないしね」

 温かいコーヒーを口に含むと、いい香りが鼻腔を抜けた。

 高校生になってコーヒーを美味しく感じるようになった。

 成長期で味覚が変化したのか、前に中屋先生が淹れてくれたコーヒーがまずかっただけなのかは分からない。

 勃起に頭を抱える俺の前で、美味しくないコーヒーを飲み干す先生の姿が鮮明に思い出されて、懐かしさと取り合せのシュールさに、口の端で笑みが溢れた。

「そうなんだよねえ」

 和田さんが残念そうにして、艶っとした唇の奥にチーズケーキを運ぶ。

「友達なんて子供の頃に読んだ絵本以来読んでないって言うんだよ? 後は教科書だって」

「それは凄いね」

 読書をしなくても読解力は付くらしい。俺は本は読むけど、人の気持ちには鈍感だしな。

 読書が趣味だと言うと、相手も返答に困っているのが分かる。でも他に無いんだからしょうがない。

「動画ばっか見てるわ俺ー」とか言うべきなんだろうなとは思うけど、俺が見るのはBGM用のまとめ動画ばかりで、流行りのYouTubrとかも知らないし、墓穴を掘りそうなので言わない。

「高瀬君はなんで本を読むの?」

「なんで?」

 そんなの考えたことが無かった。何でだろう。

「現実逃避、かな」

 これは嘘ではない。でも別の理由も混ざっている。

 前に男同士のキスの動画に目を留めてしまったことを俺は未だに気にしている。

 みんなが時間を費やすSNSには、そういう唐突に自分を動揺させるような仕掛けがある気がして苦手なのだ。その点、文章には予感がある。

「そんなに現実が辛いの?」

「いや、そんなことないけど」

 否定して、やっぱり嘘を吐いてしまう。

 いや、どうなんだろうな。

 俺にとってゲイであることは辛いことなんだろうか。

 興味のない女子からの告白を断るのはストレスだし、女遊びを楽しむ友人しかいないこともストレスだ。和田さんと原画展を見に来ることは別にストレスではないけれど、こうして会話の中で小さな嘘を吐くことは、やっぱりストレスに感じる。

 ゲイと知られたくない。その為に嘘を吐いているのに、嘘は嘘で俺を苦しめる。

 普通でいたいと思うのがそもそも間違いなのかな。人と関われば、どうしたって嘘が必要だ。かと言って人と関わることを止めてしまったら、恋人だって作れる気がしないのに、友人まで居なかったら、俺はやっていけるんだろうか。


 やっぱり現実逃避なんだろうな。

 現実世界の俺は、いつも不安を感じている。

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