Ⅲ年 「特練Ⅲ」 (2)混乱

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」に所属する中学三年生。

 同期に援けられ、また背中を押される形で団長に就任。

 同期との信頼関係は深まる一方で、新たな方針で始まった特別練習では下級生との歯車が噛み合わない。

 早々に弱音の漏れる駿河と同期は難局を乗り越えられるのか。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 僕等幹部の心配は、残念ながら再び起きて了った。


 例年になく新人の練習欠席が目立つようになった。

「馬鹿野郎、理由も分からないで応援団の練習休むなんてことがあるか!」

 セージュンがリーダー部二年責任者のネギを怒鳴りつけている。


「何故、お前が一人一人聞かない!」

「聞いてはいるのですが、家庭の事情などと言われるとそれ以上踏み込めずに…」

「ならば家まで電話をかけろ。良いか、出てこない新人と話をしろ。」

「あぁ…、新人の家に電話をかけるのは俺等がやるわ。」

 新人監督のイチが横から入った。


「新人の世話は俺とショコの役目だ。俺らで電話をかける。ネギは学校の中で一人一人の様子を見てやれ。」

「はぃーっ!」

 ネギは練習の輪に戻っていった。


 僕はベーデを呼んだ。

「女子は、新人の集合具合はどう?」

「女子は、集合に問題はないんだけど。」

「けど?」

「私語が多いわね。」

「其様なに多いのか?」

「それはもう、以前では考えられないくらい。」

「女子部で何か指導法を変えたとか、あるのか?」

「いえ、ないわ。これまで通り。でも、集中力が落ちていることは事実。多分リーダーの影響もあると思う。」


「此の儘だと、『一糸乱れぬ』がモットーの一中のリードと演舞に影響が出るのは間違いないわね。」

 途中からショコもやってきてそう告げた。

「…。」

 僕は言葉を失った。


 「鉄拳」と「竹刀」の威力だけでなく、その存在感としての重さが、かくも大きなものであったことを今更ながら思い知らされた感があった。

 昨年通りに戻すことは簡単だ。しかし、ここでいたづらに元に戻せば、単に「頼る」昔に戻るだけでなく、「私達には出来ませんでした」ということを、「拳」と「刀」に対して認めることになる。

 一年の時、幹部の言葉にあった「武は、導く手段としては飽く迄「凖」であるべきで、積極的に用いるべきではない。無いに越したことはない。」という言葉を思い出す。「乗り越えよう」とする「重し石」を、「拳」と「刀」以外に見出すことは出来ないのか。

 人は、殴られなければ従えないのだろうか。強制されなければ努力出来ないのだろうか。

 自ら向上心を持って、己を磨き上げていくということは出来ないのだろうか。残念ながら殴られながら育ってきた僕らには実体験としてはそれが分からなかった。


「分かった。女子部でも新人を中心に声かけを徹底させて。二年で一年をマン・ツー・マンで指導出来る?」

「ええ、考えてみる。」

 ショコが戻っていった。


「駿河。」

「え?」

「貴男、試されてるわよ。」

「そうだな。」


 ベーデの重い一言に、それほど時間が残されていないことがわかった。僕は今、団内で起きていることを整理する時間が欲しかった。

「ヤーサン、練習、任せて良いかな。」

「おう、大丈夫だぞ。打ち合わせか?」

「鳥渡な。全体練習までには戻るから。」


*    *    *


 僕は、先日、練習を見に来られた末長さんに言われた言葉を思い出していた。


「団長は孤独だ。軽弾みな言動は出来ない。団の最後の頼りだからだ。最終判断者だからだ。」


 そして、其の孤独をどのように乗り越えたのか、聞いた時の一言があった。


「自分と向き合ってみろ。自分が団長としてすきことを、期待されていることを静かに考えてみろ。」


 僕は、一人きりで団室の椅子に座って考えた。

 人の集団としての在りようが、一朝一夕に変わる筈がない。これは明らかに、鉄拳の廃止等が影響しているのだと分かっていた。しかし、それを再び復活させることは、自分が団長として選出されたことを最初からひっくり返して了うことにもつながる。

 特練おいこみは既に始まっている。定期戦も待っては呉れない。

 言葉だけでは、鉄拳を越える結束は生まれないのだろうか。

 いや、鉄拳は真の結束ではない、力による一時的な衝動と圧力以外の何物でもない。

 しかし、現実、言葉だけでは下級生は道を見失っている。

 では、どうしたら、下級生は信頼すべき上級生の姿を見出せるのか。


*    *    *


「本当に壁にブチ当たったらな、最後は、辻先生パヤさんの所に行け。其処で相談してみろ。」


 それが末長さんのアドバイスだった。何故、片淵先生ブッサンでも華和先生エビさんでもなく、音楽科の辻先生パヤさんなのか不思議だった。

全体練習までは、まだ一時間ある。僕は、音楽教官室の扉を叩いた。


「ちは、三年、駿河です。」


 辻先生は、教官室の奥の椅子でレコードの手入れをしているところだった。


「おう、駿河。そろそろ来る頃かと思ってたよ。」


 普段いつものようによく通る声で、先生は言った。


「まあ、座りなさい。どうした?」

「失礼します。団が…団の運営が滞っています。」

「そうか。」

「原因は、僕が大きく運営方法を変えたことにあると思っています。」

「うん。」

「僕は、団長職を降りるべきなのか、それとも続けていくべきなのか…」

「駿河は、今、何を一番必要としている?」

「はっきりわかりません。それが辛いです。」

「単語だけでもいい。何か思い浮かばないかい?」

「光、でしょうか。自分が進むべき道を照らして呉れる光が欲しいです。真っ暗で先が見えない、皆目見当もつかないんです。」

「それは、答え自体そのもの、ということ?」

「いえ、自分で答を見つけるための一筋でも細くても良い光です。契機です。それが欲しいです。」

「そうか。此方においで。」


先生は、僕を第一音楽室に連れて行った。

第一音楽室は小講堂とも呼ばれていた。二階・三階吹き抜けで天井が高く、中央の三本の通路を挟んで五人掛けの長机と長椅子が並ぶ、真ん中にキリスト像を置けば、直ぐにでも礼拝が出来そうだ。周囲のガラスは卒業生の寄贈によるステンドグラス。周囲を覆われた蔦の御蔭で夏でもヒンヤリとした清冽な雰囲気のある場所だった。


「此処に座ってご覧。」

ギャラリーの一番前、中央の席に僕は座った。


「今からかけるのは、バッハが作った曲をグノーという人が編曲したアヴェ・マリアという曲だ。」


窓の外は丁度、第一体育館の屋上になっていて、防音の二重ガラスを通してかすかに特練おいこみの声が聞こえてくる。


「心を空っぽにして、頭を真っ白にして、ゆっくり考えてご覧。焦らなくていい。」


 先生パヤさんが小講堂を後にし、一人になった室内にアヴェ・マリアが響いた。僕は、讃美歌というものは人の心に救いを与えるものと漠然と考えていた。

 これを聴けば救われるというのだろうか。

 世界史と美術史で習った宗教にも思いを巡らせてみた。

 何故人々は宗教に救いを求めたのか。宗教を信じるが故に、殉教した人も決して少なくはない。殉教することで、自らを、人々を救うことが出来たのだろうか。

 そもそも人の苦悩とは何だろう。苦悩から救われ度いから祈るのだろうか。苦悩を救い度いから祈るのだろうか。人は何に縋り、何に救いを求めているのだろう。そして、何を得た時に救いを感じるのだろう。

 応援団は、何故彼様なに苦悩に満ちあふれているのだろう。好きこのんで苦悩の道を歩まなくても平坦な道は幾らでもある。苦悩から救われ度いのならば、其処から逃げれば良い。しかし、それに任せることは彼らが一度入団した動機を僕らが裏切ることにならないか。下級生が入団した動機は何だったのか。自分が入団した動機は何だったのか。

 何を感じること、信じること、そして行動することで夫々の救いになるのだろう。

 何度も何度も繰り返し、アヴェ・マリアが流れていた。不思議なくらい、頭の中の混乱は解れてきた。しかし、それはまだ、混沌としたものが漸く解けてきただけで、解決への道は遠そうだった。

 もう全体練習の時間だ。僕は、先生パヤさんに礼を述べ、音楽教官室を後にして練習場所に戻った。

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