Ⅲ年 「選任」 (5)御託

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」に所属する中学三年生。

 気になる同期「ヨーサン」との交流で得たイメージを基に、「ベーデ」にも背中を押される形で団長に就任。

 新年度の「運動会」も無事終わり、慰労会と新年度の発足を兼ねた席で、彼等の本音が出始める。

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 それは、ベーデとコーコが常時いつも、僕を肴にして悪戯を仕掛けてくることだった。


 例えば、休み時間、コーコに廊下に呼び出されて応じる。するとベーデが少し離れて一緒に居る。それだけで十分に警戒していると、コーコがようやっと笑いを堪えているという風体で、ベーデを背にして、口に手を翳し小さな声で『アノネ、ベーデがゴーチンのことが好きだって。』と言う。

 如何にコーコが笑い上戸だとはいえ、ここまで堪えきれなくなっている時点で既に話が怪しい。

 『ほーぉ、成る程』と返して、当のベーデを見遣れば、普段のキツい顔で此方を睨み『ちゃんと聞いてあげなよ!』とか怒っている。

 話の辻褄が全く噛み合っていないから、コーコに『ちゃんと打ち合わせしてから出直して来い』と言い、両肩を掴んで回れ右をさせ、ベーデの方に押し遣る。

 到頭堪え切れずに笑い転げながら、お茶運び人形の如く自分の方に戻ってきたコーコに、ベーデは眉を顰めて『あんた何て言ったのよ?』と聞いている。コーコは腹を押さえつつ、『べ…、ベーデがゴ…、ゴーチンのこと好きだって。』と、矢渡のことで白状する。『バカッ』。ベーデは真っ赤になってコーコの頭を叩き、誤解されては堪らない、とばかりに仕方なく本当の計画を白状しに来る。

 計画では、コーコに真顔で『私はゴーチンが好きだ』と告白させ、僕の反応を見て楽しもうと思っていた。ところが、いざ本番になってコーコに裏切られ、自分の名前を出されて了ったというお粗末な顛末だった。


 まあ、三年になってからというもの、此様なことが日常茶飯事だった。やれ三中あおいのチアから付け文を預かってきたから返事を書けと持ってきたので、三中あちらの知り合いに問い合わせてみれば、其様な娘は居ないことがバレた。

 ご丁寧に次は実在の名前を使ってきた。失礼を覚悟でそれとなく本人に遠回しに確かめてみれば、手紙など一切書いた憶えはないと言う。

 どうにかして、僕の慌てる姿を見たかったのか、余程暇だったのか、一年の頃の慎ましやかというかクールな面影はどこへやら、ほぼ毎日の如く、僕の学級に来てはちょっかいを出していた。此方もいい加減辟易した頃、一度、『俺が本当に慌てる様を見度いのなら、どちらかが俺に真剣に告白してみろ? そうしたら、本気で驚いてやるから。』と言って遣ったことがあった。


 幹部になれば団活動だけではなく、進学準備でも忙しいというのに、其様なドタバタを毎日やっているものだから、新人から『駿河先輩と三条先輩はお付き合いされているんですか』と、真顔で聞かれたこともあった。『あのね、お付き合いしていたら、もっとロマンチックな様子に見えるだろう? これは闘いなの、然も、迚『とて』も愚かな。良いか、真似しちゃ駄目だぞ。』と言い聞かせた。


 其様なベーデの悪戯に、常時いつも付き合って喜んでいるコーコは、ケラケラと笑ってばっかりいる明るい娘で、応援団の特練でも弱音一つ吐かない体力と、三年生午後の補習クラスでも常に一組、席次も学年で五位より下になったことはないという智性の持ち主だった。常時つねに問題の解答を真っ先に書いて了うヨーサンほど目立ちはしないものの、才色兼備の一人であったことは間違いない。彼女に付け文をする男子も多いと聞いてはいたが、『私は内村良一イチと付き合ってるから』の一言で斬り捨て、淡々としていた。

 ケラケラと笑っているだけで、よく底なしの体力と知力が備わるものだと不思議に感じ、此処ぞと思って、其の秘密をイチに問い質してみた。

 イチは、顔を寄せて、少し声を低め、

「アレか? アレはお前…、男でもそう簡単に真似出来ねぇぞ…。」

という答を返してきた。


「先ず練習後だ、真っ直ぐ家に帰って食事と風呂ゆを済ませるだろ? 特練おいこみの時期でもなけりゃ八時前だ。それから十二時まで予習だ。然も、三ヶ月先のな。彼女は復習ならテスト前の一週間に集中して思い出すだけだ。他の日は常に三か月先の予習をしてる。練習のない日は、帰って食事まで筋トレだ。夕方に日本橋に行ってみろ、走ってっから。風呂から後は練習のある日と一緒のタイムテーブルだ。土日は俺らと同じ塾だな。家に帰れば平日に同じ…。だから彼女にとっちゃあ、学校や応援団は、寧ろ息抜きくらいにしか感じねぇんだろ。」


 イチは、もう俺には追いつけない、と言うような遠い目をして語っていた。イチとコーコは小学校一年生の時から一緒だ。名前が《内村亮》まで一緒なので、よく『二卵性の双子ですか』と聞かれたらしいが、全くの他人。

 双子であろうとなかろうと、紛らわしいので《内村・イチの方》と《内村・コの方》と呼ばれていたのが、其のイチ、《コーコ》と渾名になったそうだ。


「けどな、此のことぁ、絶対本人に言うなよ。そういう泥臭ぇ努力をしてるっつうことを知られるのを恥だと思ってる奴だから。『努力は人に見せるものじゃない。自分自身だけのもの』っつうのが美学なんだわ。」


 人夫々それぞれ、様々な信念があるものだ、と考えているうちに、『そういえば』とベーデのことを思い出した。

 まだ新人だった頃、帰りが偶然ベーデと二人だけになったことがあった。小さくて《お嬢ちゃん》という雰囲気だった彼女に、『三条さんは、どうして応援団に入ったの?』と挨拶代わりに尋ねた。返す刀で『駿河君は?』と問われた。僕は、『対面式を見て、珍しいな、と思ったから。』と答えた。ベーデは『何処が?』と更に問うてきた。『こういうことをする部活って、他に無いでしょ。大抵のクラブは自分のためだけど、此処はそうじゃないし、真面目そうで良いかなとか』と返すと、ベーデは『真面目そう、ていうのは私の理由と似ているかも。私はね、無言で頑張れそうだったところと、努力が正当に評価されそうだったところと、活動に裏表が無さそうだったから』と答えた。

 確かに部活動では人間関係に悩むことも少なくないと聞く、特に、兎角、性格次第で揉め事が多そうな女子にとっては、応援団の場合、そういう後腐れというか、裏表が無さそうなのは僕も同感だった。


 さて、当のベーデは、僕の隣のセージュンの、其のまた隣で膳に手を付けていた。膳の前には、ショコが来て、ベーデに訊ねている。


「だからね。ねぇ。鳥渡、聞いてる? 女子部としての一中うちの特長は何だと思うか? て尋ねているの。」

「難しいなぁ、怖い二中ともえとか、綺麗どころの四中ビシとか、色々つまらない渾名はあるけれど、一中うちには、其様なのあるのかな?」

「前に、数の一中ピンっていうのを聞いたことあるけど。」

「何、それ! 其のまんまっていうか、全然褒められてないじゃないの。寧ろ侮蔑だわ。」

「私を怒らないでよ。だから一中うちの特長を出し度いの。技術的に。」

「で、ショコは、どうなの、どうやって、其の特長とやらを出し度いの?」

「だからぁ、何か女子部責任者ガーリーとしての考えはないか、って聞いてるんでしょ?」

 酔っ払いでもあるまいし、堂々巡りの議論をしている。


 ショコのお家は造り酒屋。其の所為か否か、どういう出来なのか雪のように真っ白な肌をしている。黒目勝ちな瞳は杏仁形、顎の左寄りにほんの小さなほくろがある。当人には何の他意もないのだけれど、兎に角男女の隔てなく『距離が近い』。直ぐに身体が触れん許りの距離までやって来て話をする。そして男を立てる言動においては敵う女子は居ない。一言で言えばコケティッシュなのだが、これに敢え無く陥落する男子は数知れない。


 対するベーデは議論も勉強も出来る。同級生を総なめにし、其の勢いで上級生も配下に押さえ、最上級生となった最近では先生までも論破し始めている。然も、団員以外からは人気があるほどの容姿をもっているくせに、前言のとおり『余程暇』なのか、毎日飽きもせずにご丁寧に人をからかって遊んでいる。執念とでも言えるほどの毎日の攻撃に、一度彼女の頭の中を割ってみてやろうかと思うくらいだった。

 と、其処にコーコがやって来た。


駿河君ゴーチン、何、ベーデ睨んでんの?」

「ん? 一度、頭ぁカチ割って、中を見てやろうかと思って。」

 思っていたことを其のまんま口に出した。


「あはは、相当キテるね。」

「キテるね、って片棒担いでるお前が言えることじゃないだろう?」

「まあ、まあ、愛情表現だと思って許してお遣りよ。」

「はぁ? 愛情表現? 一体何歳だ?」

「ベーデはね…、ああ見えて人一倍寂しいの。甘え度いの。だから、怒らないで真面目に一緒に遊んで呉れる人が欲しいの。駿河君ゴーチン鈴木君セージュンみたいにカッとなったり、城嶋君ケーテンみたいに直ぐに泣きごとで落としたり、山中君タイサンみたいにサラリと受け流したり、長崎君ヤーサンみたいに驚くだけで終わったりしないでしょ? まあ、適当にノリツッコミして呉れるじゃない。毎日飽きずに相手をして呉れるから嬉しいんだよ。」

「何だか知らないけど、丁度好い頃合い加減の反応ってことか。」

「まあ、そうだね。」

「ったぁ、何考えてんだか。」

「そう言わずにね、女心っていうのも団長の勉強のうちだよ。アノ混沌とした宇宙のような女子部さえも其の懐に抱えこんで、初めて団長なんだから。」

「言われてみれば…、女子ってのは、まあ、それはそうだな…。」


 先刻さっき、彼女の努力ぶりを聞いた許りだったので、其の辺りの話は素直に聞くことが出来た。


「私はねぇ、団長おだいりさまって正直、言葉だけじゃなく大変だと思うんだ…。」

努力家の彼女に、笑いもせずにそう言われ、途端に神妙な気持ちになった。


「リーダー部でもない、女子部でもない、吹奏楽部でもない。何処にも荷担しない中立の立場で、最終判断をしなきゃ不可ない。然も、アノ乱闘の時のように即断即決を求められることだってある。それを団員にすら相談しちゃ不可ない。さらに、結果の全責任は一人で負う。戦での大将の覚悟だよ?」

「そうだね…。」


 コーコに説教をされるとは思わなかったが、確かに其の通りだった。


「でもね、皆、それを駿河君ゴーチンに託したんだ。これまで二年間、ずっと一緒に泣いて笑って、歯を食いしばってきた仲間がさ。」

「うん。」

「だから、駿河君ゴーチンなら出来るんだ。」

「ありがとな。」

「いや。選んだ人間としての責任として言ってるんだよ。」

イチが言っていたコーコの人間像が本当であることが少し分かった。


「皆、自分の役職を全うしようとしてる。役職は皆に一つずつあるけど、指揮官は駿河君ゴーチンなんだよ。中立だからこそ、指示を出すことが出来ることを許されているんだから。他の誰にも、全体に指示を出す権限は与えられていないんだよ。」

「そうだな。」

「私は、怒らないで真面目にベーデの相手をしている駿河君ゴーチンも好きだけど、団長おだいりさまとしての駿河君ゴーチンにも期待してるよ。」

「うん。分かった。」

「ま、私が御託を並べるのもこれくらいかな。」

コーコは、少し照れながら、デンの席の方に移っていった。


 梅雨が近いことを示すような風が吹き抜けていった。

 皆の胸に団バッヂが付いていることの重み。さらに、其の皆に指示を出すことの重み。そして、其の結果を一身で負うことの重み。内村さんの話で、両肩がずしりと重くなった感じがした。


副団長うだいじんなんだなぁ…。)


 コーコもだてに役職を考えていないことがよく分かった夜だった。

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