第31話シエラ嬢ついに来たる。えっ、この子ってもしかして!

「やぁやぁランジェ卿、遠いところをわざわざご足労いただきまして。こうして直にお目にかかるのも久方ぶりですなぁ」

「いえいえアウモダゴル卿、こちらこそお招きいただきありがとう存じます。今日は海辺で静養している妻の代わりに三女のシエラを同行させましたが、何やら貴殿にお願い事をしたようで……」

「あぁ、ずいぶん丁寧な手紙をいただきましてね。しっかりしたお嬢さんだ! わっはっは、うちの息子たちはまだまだ子供でねぇ」


 調印式の数時間前、父上の会見部屋では楽し気なひげのおっさん二人の会話が繰り広げられている。その部屋の片隅の椅子には俺とユーリス兄、それとンジェ卿の娘シエラが並んで座っているのだが……そのシエラを見て以来、俺の足はカタカタとふるえが止まらなくなってしまった。あれは十五分前のこと、屋敷の本玄関の前でランジェ卿親子の乗った馬車の到着を出迎えた。ユーリス兄はまだ腹の虫が治まらないようで、「あーあ、会いたくないなぁ……」とかブツブツ文句を言っていたけど、馬車から降りて来たシエラ嬢を一目見たとたんに急に何も言わなくなってしまった。目が合った瞬間にふんわりと笑いかけられたユーリス兄は、頬を真っ赤に染めてその場で固まってしまったのだ。そして、俺もまた凍り付いたように固まってしまった。笑いかけられたからではない、シエラは俺には笑いかけず冷ややかに一瞥した後直ぐに外方を向いてしまった。その顔を見るのは初めてではない、始めはウルバーヌスフェスのテント前、次は夢の中で……そう、シエラはユーメリア、ゆめめだったんだ。


「はっはっは、うちの子たちはアイドル活動というのに夢中でなぁ。あちこちの祭りで歌い踊っておるのですよ」

「えぇ、シエラもウルバーヌスでご子息たちの舞台を見て、自分でもやりたいと言い出しましてね。それで私に内緒であのようなお手紙を出したようでして」

「ほぉ、そんな風に思ってもらえてユーリスもエルもうれしいでしょう。どうですか、参考になるかわからんが後ほどあれらの練習を見学していったらどうです」


 相変わらず楽しそうにおしゃべりを続ける父上とランジェ卿の会話は、とんでもない方向へ着地しようとしていた。

 ちょ、父上! 見学とかやべーよ。うわぁぁぁ、ランジェ卿、直帰するからとか言って断ってよ!


「いやー、いいんですか。ではよろしくお願いいたします」


 汗ばんだ手を握り締めた俺の願いもむなしく、ランジェ卿は白いモサモサのひげをいじりながらにこやかに微笑みシエラの見学に許可を出してしまった。

 勘弁してくれよー。ランジェ卿のひげを眺めているうちに俺の頭は真っ白になり、その後の記憶は定かではない。


「本日の調印式に参加させていただいたことを大変光栄に存じます。これからもルクスアゲルとわがサルトゥスが関係を深め、共に発展してゆくことを願いまして! それでは乾杯」


 ふと我に返った時、俺はいつの間にか庭園に出ていて調印式の締めであるランジェ卿の挨拶がちょうど終わるところだった。

 やべぇ、やべぇ、やべぇ、これからあのシエラゆめめが小城にレッスン見学に来ちゃうんだよな。アイツの前でパップンのアレンジ曲なんかやっちまったら、あの時みたいに暴発してみんなに何を言うかわかったもんじゃねぇ、昼飯までに何か言い訳を用意して今日はパップン曲やるのやめさせなきゃ……

 あれこれ考えを巡らせたが結局気の利いた言い訳は見つからず、調印式参加で時間がないとのことでサンドイッチ弁当になった昼飯を食べながら、俺はリーダー権限を使ってみんなにパップン曲をやめる様に提言した。


「あのさー急なことなんだけど、今日のレッスンの見学にシエラって子が来ることになってさ。どうやら秋の祭りに出たいみたいで参考に……けど、あっちも時間がないだろうから今日はオリジナルの三曲だけにした方がいいと思うんだよ」

「へー、収穫祭にはぼくら以外にもアイドルが出るんだねー! うわー、他のアイドルが見学に来るんだー。わっくわくだぁ」


 俺は一言もアイドルとは言わなかったのに、アラニーはこんな時だけ察しがいい。わっくわっく、俺の方はぞっくぞくだ……


「あー、オレもオリジナル曲の方を集中して練習したいと思ってたから別にいいぞ。見学ってのは、ちょっと面倒だがな」

「うんうん、オリジナルの方が僕の男の魅力を見学者の子にお届けしやすいと思うし、別にいいよー。リーダーの言う通りにしまーす」


 レオとウェンも快く承知してくれた。


「ふむふむ、収穫祭までは残り三週間だなっす、新曲も作れたらと思ったっすが今の三曲をブラッシュアップした方がやっぱいいなっす」

「うん、オレもそれがいいと思うわ。振り付けのこともあるしな、見学者かーよし今日は張り切って指導すっぞ!」

 

 リューリーやジリオンも賛成してくれ、見学者が来ることについても不満も別になさそうだ。ミュッチャだけは、不安そうにレオの影に隠れちゃったけど。


 パップンの歌をやらず、俺がゆめめパートを歌いさせしなければ、ゆめめだってあの時のように怒り出すことはない……と思いたい。なるべくなるべく、平穏に……無事にこのレッスン見学を乗り越えなければ。


 そしてレッスン開始十分前、練習着に着替えた俺らの前に現れたのはシエラ、そしてとなりには彼女付きのメイドだろうか、黒地のドレスに白い帽子姿、そしてミュッチャより少しとがった耳に褐色の肌、アッシュグレーの髪に灰青色の美少女ダークエルフが付き添っていた。


「ごきげんよう」


 シエラは俺らを一瞥し一言だけの挨拶を述べると、俺らが用意していた長椅子の上にハンカチを広げて浅く腰掛けた。ダークエルフ美少女は突っ立ったままだ。


「ねー、君も座りなよー」


 アラニーが声をかけても、首をフリフリし座ろうとしない。シエラはそのやり取りには我関せずといった調子で、羽の扇で自らを扇いでいる。何やらその様子には威圧感が漂っているようで、俺の背筋はびくびくし同じような空気を感じ取ったのか、ミュッチャも久しぶりにマントにくるまってちんまりとした丸になってしまっている。


「あの、私ちょっと腰を痛めまして、固いところには今座れないんです……」


 ダークエルフメイド美少女は、気まずそうにか細い声を出した。


「あー、なんだー。じゃあクッション持ってくるねー!」

「待って、俺も行く」


 練習室を飛び出したアラニーの後ろを、俺も慌てて追いかける。あのピリッとした空間に、これ以上いたくなかったからだ。

 うーん、ゆめめの私生活でのことは知らないけど、あんな張りつめたような空気の子じゃなかったよな。やっぱ俺がいるからあぁなってるんだよな……あぁ、このまま逃げ出したい。そう思っても、もはやアラニーはクッションをこんもり抱えてダークエルフ嬢にいそいそと持っていこうとしている。


「ねー、エルも持っていきなよ。腰痛いのかわいそうだもんねー」

「お、おう」


 練習室に舞い戻ると、俺の目の前には信じられないような光景が広がっていた。さっきまでもじもじしていたダークエルフ嬢、氷のような冷たい微笑を浮かべていたシエラゆめめ、そしてちび丸マントになっていたミュッチャがぴょこっとマントから顔を出し和気あいあいと楽しそうにしゃべり、明るい笑顔を浮かべていたのだ。


「へぇ、ミュッチャさんはルクスアゲルの特区、森の向こう出身なのね」

「そう、ミュッチャ、ハーフエルフ」

「まぁ、私は父がダークエルフ、母がハーフエルフなんですよ。いわばハーフハーフエルフでもあるんです」

「リリコスはハーフダークハーフハーフエルフね」

「へへっ、言いづらいね」

「うふふ、そうですねー」


 わー、楽しそうね。ふーんあの美少女ダークエルフさんは、リリコスちゃんっていうのか。

 ほのぼのとした空気に、つい顔がにやけてしまってしまったが……


「ねー、クッション持ってきたよ!」

「あら、ありがとう存じます」


 アラニーには小さくお辞儀してクッションを直に受け取ったシエラゆめめは、横の俺は目にも入らないつーか存在すら認識していないような素振りでふっと横を向き、また冷たい表情に戻ってしまった。

 あー、一瞬で場が凍りついてきゃっきゃうふふのピンクの空気が消し飛んじゃったよ。これってひょっとして、いやしなくても100パー俺のせいだよね。やったことを考えれば、当たり前だけど……

 ため息をつきたい気持ちをぐっと抑え、俺はいつもの定位置大外左によたよたとした足取りで向かったのだった。

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