第11話 森を越えるぞ、天馬の馬車に乗って
「わー天馬さんかっけー!」
出発の朝、ひらりと中庭に降り立った天馬は大空に届きそうなほどの雄大な翼を広げ、でっかいこの地の馬よりもさらに一回り大きく、一見すらりとして見えるその体躯はがっちがちに鍛え上げられて長い四本の脚の太ももは隆々とした筋肉で覆われていた。そして、なだらかな毛並みのその先、凛とした顔のシュッと伸びた鼻先の下の口元の毛はよっぽど夢中になって食べたのか黄金桃の汁でびっちゃびちゃになってしまっている。
「あらあら、天馬さん御口元が濡れてらっしゃいますわ。今、拭いて差し上げますわね」
ハンカチ片手に母上が近寄ると、天馬はスッと腰を曲げ、母上の指先までその顔を近づけた。
そして、レースのハンカチでゆるゆると撫でるように拭われていると気持ち良いのかふんっと鼻息を漏らし、それは母上の前髪を揺らした。
うーん、ちょっといかちくてカッケーけど、見た目によらず子供っぽいっつーかとぼけた甘えたさんの部分もあるんだな。でもこんな天馬さんなら乱暴な飛び方はしないだろうし、安心かも。アラニーの馬酔いの心配どころの話じゃない。この地に転生してから一度も乗り物に乗ったことが無かったので忘れるところだったが、幼少期の俺の乗り物酔いはハンパなかった。ライブ通いをするようになった十代後半のころにはさすがに電車やバスは克服していたが、今の俺はまだ子供の体……新しい体で体質ががらりと変わったとはいえ、まだこの体では未経験のことで油断はできない。蘇りそうになる悪夢の記憶を振り払おうと頭をブンブン振っていると、すっとんきょうな大声が突きさすように右の耳から左の耳へと突き抜けた。
「わーでっかいね天馬さん。こんにちはぁー! ひゃー、むっきむきー」
大はしゃぎのアラニーがてこてこと近寄り元気に挨拶をすると、天馬はちょこんと首を動かして返事をしてくれているようだ。その上、いきなり飛びついて足をべたべた触られてもちっとも機嫌悪くなんない。
うーん、人格者、いや馬格者だ。最初はおびえてマントに隠れるようにして小刻みにカタカタ震えていたコミュ障のミュッチャもおそるおそるながらどんどんにじり寄って行って、触りたそうに手をワキワキさせてるし、ダンディー天馬さんったらザ・安心感だな。
「いってらっしゃーい、森の出口にはミュッチャのお父様が迎えにいらしてますからねー」
母上に見送られながら黄金桃のこんもり入った風呂敷包みを首から下げた天馬に引かれた馬車はふわりふわりと爽やかな夏の青い空に浮かび上がった。その中は実に快適……ではなく、めちゃめちゃ揺れた。天馬が雲をよけるたびにガタンゴットンと車体は揺れ、俺の体はふかふかのシートに沈み込む。こりゃ、馬酔いのひどいアラニーはグロッキーになるに違いないと思いきや……
「うっわー、入道雲がこんな近くに見えるー! もうお屋敷の屋根もあんな遠くに小さくなってるよー。風もひゅーひゅー涼しくて気持ちいいなぁ、ほらほらエルも窓辺に来なよー」
アラニーはすっかりノリノリで、車の窓から顔をちょこんと出して気持ちよさそうに風を受けている小型犬みたいになってるし、おびえるんじゃないかと危惧していたミュッチャまでもがフードからすぽっと顔を出してシートの上にちょこんと正座して身を乗り出し、まぶしそうに目を細めてうきうきと腰が左右に揺れているではないか。大人のミズブリギナでさえも、はしゃいだりまではしないが目を輝かせて空の様子を楽し気に俺に実況中継してくる。
「エルファルト坊ちゃま、ご覧くださいな。もくもくの雲が坊ちゃまのお好きなクリームケーキのようですよ」
「あ、あぁ、うまそうだな」
みんなめっちゃノリノリ! 天馬の遊覧飛行を全力でお楽しみですね! だがそんな中俺だけが、シートの手すりにしがみついてカタカタと貧乏ゆすりを続けているのだ。おいおいおい、お前の馬酔い設定どこ行ったんだよ。けろっとしちゃって、アラニーさんよぉ。
「な、なぁアラニー、車体が結構揺れてると思うんだが、お前酔わないのか? 馬酔いはどうした?」
「あー、それねー、大きくなったらけろっと治るよって主治医のポントマ先生にもお父様にも前々から言われてたんだけどさー。うん、それが今なんだねーすっかり治ったっぽいよ、うっひゃー高いとこって楽しーねぇー絶景かな、絶景かな」
そ、そんな満面の笑顔で振り返られても……
「ねぇ、エルもそんな隅っこでうずくまってないでこっち来なよー。転落防止バリアを天馬くんが張ってくれてるからシートベルトがなくても安心だよー」
「あ、あぁ、ちょっと眠気がな。ちょっと仮眠するわ」
「風で眠気ぶっとぶよー!」
アラニーに適当に言い訳しながら、目を閉じて一層シートに沈み込む。俺がこんな状態になっているのは、断じて乗り物酔いのせいなんかではない。昔の体ではあんなに過敏だった三半規管は、全くなんともない。ちょろりとも吐き気はしないし、めまいがして目がぐるぐる回ったりもしない。やはり俺は酔い止めいらずの体を手に入れていた。
だがしかし、俺にはどうやらもう一つの知られざる弱点があったらしい。転生前の俺は祖父母宅もわりと近隣だったり、乗り物酔いのひどい俺を気にかけた親が休みの旅行もそこそこ近場で済ませていたためヒッキーになる前から全く遠出をしたことが無く、とある乗り物に乗ったことが無かった。そう、飛行機だ。パップンが少々遠方でイベントをする際は、体力強化という名目(実際は予算がない)でみんなでパップン愛をしたためた小さなのぼりを立てた自転車で遠征していたのだ。そのため全く乗る機会もなく、気付いていなかったのだ。自分が高所恐怖症だということに……
着陸間際に一瞬だけちらりと窓際に近寄り、「あぁ確かに絶景だ」とアラニーの肩をポンと叩き何とか面目を保った俺が落ち着きを取り戻すのと時を同じくして、今度はミュッチャの様子が少しおかしくなってきた。全開だったフードをまた深々と被り、マントの中にうずくまってまた黒いちんまりしたかたまりになってしまっている。
「ねぇミュッチャ、それじゃ前が見えないでしょー」
アラニーが話しかけても、うんともすんとも言わず全く反応せずぎゅっと身をすくめてますます小さくなり、森の出口で着陸した天馬の馬車の中からミズブリギナに抱えられて降りて迎えに来ていた父親に引き渡されてもかたまりになったままだった。
「では、フェリコさん。お二人のホームステイ中はよろしくお願いいたします。これは奥様から預かった黄金桃です」
「いえいえミズブリギナ、こちらこそいつも娘がお世話になっております。あばら家ですが、滞在中はできるだけのことをさせていただきます、いやーこんな高級な桃までいただいて」
大人たちが挨拶を交わしている間も、ミュッチャはじっとしたままだ。
「ほらほらミュッチャ、送ってくださったミズブリギナと天馬さんにきちんとお礼を言いなさい。お世話になったのだから」
どう見ても俺らよりちょっと年上くらいの少年、お兄さんにしか見えなくて耳がよりとがっているの以外はそっくりな顔をしたミュッチャパパにそう諭されると、ミュッチャはやっともぞもぞとフードから顔を出し、「あ、ありがと」とつぶやきはしたのだが、「では一週間後にまたお迎えに参りますねー」と天馬とミズブリギナがまた空に舞い上がっていくと、小さく手を振った後またかたまりに戻ってしまった。
「うーん、ミュッチャは疲れたのかどうも気分がすぐれないようでね。家までは私が案内しますから、せっかく来てくれたのに悪いね」
「いえいえ、お気遣いなく」
俺とアラニーはそろって返事をして、てくてくと細いけもの道を通ってミュッチャの家までの道のりをミュッチャのお父さん、エルフのフェリコさんの後をついていった。その道中、俺らの耳にはがさがさとした意地悪な声がささやく聞えよがしの陰口が次々に飛び込んできた。
「人間だ、人間。何しに来た! あのフェリコの抱いてるのはアレか」
「あぁそうだな。できそこないの匂いがするぞ」
「何しに帰って来たんだ。魔法もまともに使えないできそこないが」
声の主の姿は見えないが、悪意がずんずん侵食してくるようで俺らは少し気分が悪くなってしまい、ミュッチャがかたまりになってしまった理由が分かったような気がして一緒にここまで来てもらったことに少しの申し訳なさも感じざるを得なかったんだ。
そして、いよいよミュッチャとフェリコさん一家の家の目の前まで来たとき、ドサッガサっと大きな音と共に、俺らの目の前にひらりと長く黒い影が降り立った。
「よぉ、半人前。もう森の向こうから逃げ帰って来たのか、マントに隠れてどうせべそべそ泣いてやがんだろ」
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