第26話 大雪の日に出会った小さな秘密匣 後編
「あのさ……聞いてる?」
どれほど待ったかはわからない。
痺れを切らした私が尋ねると、ようやく匣が喋り始めた。
「……気がついたら、すでにこの状態でここにいました。どれくらいでしょうか、何年も前から、ずっとここにいます」
「こんなところに、一人で? 今まで誰にも気づかれずに?」
「はい。何度も人や動物たちに声をかけてきましたが、反応を返してくれたのはあなたが初めてです。異形の匂いを纏う人間の娘よ」
確かに人里からも大分離れてはいるが、そんな事がありえるのだろうか。
派手に木は倒され、地面は深くえぐられ、山肌は大きく窪んでいる。
こんな異様な状況を誰にも知られずに、何年も……?
「でも、どうして誰にも聞こえなかったあなたの声が、私には聞こえたのかな?」
「さて、それは分かり兼ねますが……こう考えるのはどうでしょうか?」
「ん?」
「わたくしとあなたは、出会うべくして出会った……と考えれば、幾分か運命めいたものを感じませんか?」
「え、運命……? どういうこと?」
「……はて、お気に召しませんでしたか? 今のは、わたくしなりの精一杯の冗談のつもりだったのですが」
「は?」
鳩が豆鉄砲くらった様な顔……を、私はしたいたと思う。
そうして、呆れながら『はぁ』と小さな溜息をついて
分からない、分からないことだらけだ。
不可思議な状況の場所で、綺麗なヘンテコな匣が喋って、本気とも冗談ともとれない事を言ってくる。こんなワケの分からないモノを、どう理解しろと言うのか。
何一つわからない、こんなけったいな匣のことを……
「ふむ、そうですね。わからない事ばかりのわたくしではありますが、唯一覚えていることがあります」
「?」
私は、外していた視線を匣へと戻す。
「それは、異形を封じる事が”わたくしの使命”だということです」
「……異形を封じるのが、あなたの使命?」
匣の言葉を復唱する様に、私は訊き返していた。
「はい。その想いが、わたくしを強く突き動かすのです」
先ほど匣が言っていた同種と言う言葉。それは、異形の匂いがすると言った意味では無く、同じ目的を持った者と言う意味の方が私にはしっくりときた。
「それは人としての記憶? それとも匣としての記憶?」
「さて、記憶の無い今のわたくしでは、その質問にお答えする事が出来ません。ですが、わたくしは何かを成し遂げねばならなかったはずなのです」
「うん」
「しかし、それが何なのかを、ずっと思い出せずにいるのです。とても……とても大切な役目だったはずなのですが」
この匣とは、ここで初めて出会った。
全く知らないはずなのに、私は何故かずっと前から知ってる気がしてきた。遠い昔から、ずっと一緒に居た様な不思議な感覚。
「そっか、あなたも異形とは少なからず因縁があるのね。私もつい最近、異形を退治する事を生業にしている陰祓師になったばかりなの」
「異形退治の陰祓師? ……なるほど。ではやはり、あなたとわたくしは同じ匂いがする、と言ったのは間違いではありませんでしたね」
「ふふふ。それ、私も今思ってたところなの」
「そうでしたか」
私は何故だか嬉しくて、顔を綻ばせてくすくすと笑っていた。実際のところは分からないけど、そんな私の事を、匣は微笑んで見つめていた気がする。
「わたくしは、自身に課せられた役目を思い出したい。そして、使命を果たしたいのです。ですからお願いです、人間の娘よ。動けないわたくしを、一緒に連れていってはくれないでしょうか?」
「私と、一緒に?」
「はい。必ずや、あなたの力になると約束しましょう」
そんな風に匣からお願いされなくても、私の心はすでに決まっていた。先ほど彼女が言っていた、運命と言うものを、何より強く感じていたから。
「……うん。あなたは私の命の恩人だから、今度は私があなたを助ける番」
「それでは?」
「ええ。あなたの役目を思い出す為の手助けを、是非、私にさせて欲しいの」
「ありがとう、人間の娘……恩に着ます」
──なんだか、その人間の娘って言葉がすっごく引っかかる。
「えっとさ、人間の娘って言うの。なんか嫌だな」
「そうですか? では、なんとお呼びすれば良いのでしょうか?」
地面に転がっている匣を、私は手のひらに乗せて立ち上がった。
「私の名前はカイリ。不死野カイリって言うの」
「不死野カイリ……わかりました。ありがとう、カイリ。わたくしは……」
そこまで言って、匣はまた黙ってしまった。その様子からして、恐らく名前が無いのではないかと私は思った。だから、すぐに決めてあげた。
「あなたって。多分だけど、女性よね?」
「さて? わたくしに、性別があるのでしょうか?」
「ということで。よろしくね、ハコち」
「ハコち……?」
復唱して、匣は数秒黙った。
「はい。わたくしはハコち。これから宜しくお願いします、カイリ」
◇◆◇◆
そうして、匣のおかげで一命を取りとめた私は、お師匠を探すために元来た道へと戻っていった。
あれほど吹き荒れていた吹雪は、嘘のように収まっていた。
狐に化かされた様な、そんな不思議な気分だったのを覚えている。
師匠を闇雲に探しても無駄だろうと判断した私は、先日世話になった村へ戻ろうと向かった……のだが、その途中で私を探しに戻ってきていた師匠と出くわした。
すっごく怒られた。怒鳴られた。そして、私は大泣きした。
「バカヤロウが、心配させやがって!」
そんな泣き叫ぶ私の事を師匠は強く抱きしめると、こう言った。
「本当に……本当に無事でよかった」
この時の師匠の声が、私は今でも大好きだ。
何故なら、いつもと違って、とても人間味のある優しい声だったから。
しばらくして落ち着いた私は、師匠に拾った匣を見せながら、自分の身に起こった不思議な出来事を全て話した。
師匠は神妙な面持ちで匣を見つめ、私の話を黙って聞いていた。
この時に解った事が二つある。一つは、匣が封印匣と呼ばれるモノであること。
師匠が言うには、ある一族にしか作れない特殊な匣らしく、今ではもう作れる人間が残っていないらしい。
そして、もう一つ。やはり私以外の誰にも、匣の声は聞こえていなかった。
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