第67話
そんなふうにグティエルだけを見て、グティエルだけを気にして時間を過ごしていた。
今にも儚く消えてしまいそうに華奢な美男子だった幼馴染フォルテ・ギリアが、十年の歳月を経てややむくつけき男になってふらりと姿を現したのはそんなときだった。胸の厚みは足りないし身長もそれほど高くはない。だが貧弱な兵士と言って差し支えない姿だった。彼らが鎧の下に着るチュニック姿で、小脇に兜を抱え、人目を忍んでやってきた。
場所は城の裏庭、女たちが洗濯物を干すための空間だった。所狭しと立てられた物干し竿に、数多のシーツがひらめいていた。ラウラは一抱えもある籠の中のリネンをようやく全部干し終わったところだった。奥様そんなことあたしがやりますと言う侍女がいない解放感に額の汗をぬぐったところだった。
「あ、生きてた……」
と呟いたきり絶句するばかりである。
「ホントに失礼な女だな、君は!」
フォルテはりんごの香りをあたりにまき散らし、蜂蜜のような金の髪を振り乱し女のように怒鳴った。かつての彼ならそれは少女じみたヒステリックなわめきに聞こえただろうに、今となっては低い恐喝じみた男の声なのだった。
「ちょっと話せる」
と彼は親指で示し、ラウラをさらに人目につかない放置された物置小屋の影に誘導した。
「メイに宮廷を追い出されたんだよ」
フォルテは仏頂面である。そんなことしても美少女じみた美貌の片鱗があるのだから恐ろしいものだ。
「下手打ったのね。そんなこともあるのね」
輪郭からこぼれるほどに大きな目をかすかに小さくすがめて、フォルテは毒づいた。
「年を取るごとに人生が難しくなっていくのは女だけだと思ってた。僕の敗因はそれだ」
ラウラは張り裂けるような高い笑い声が自分の口から放たれたのに驚いた。驚きすぎてむせなから笑った。
「今更そんなことに気づいたの、ばかねえ!」
「なんとでも言えよ。フン」
けらけら笑うラウラを見て、勝手に椅子を持ってきて彼女の真正面に腰掛けながらフォルテも少しばかり頬を緩ませる。
「幸せそうでよかった」
目の端の涙を拭い、ラウラはきっぱり頷いた。
「ええ。どうにかね」
わだかまりは溶け去った、もとい最初からそんなものはなかったのかもしれない。思えば二人の喧嘩は大体が母の寵愛を巡って起こったものだったのだから、大元の原因もすでにいなければここはもう宮廷でもない。幼馴染同士で殺し合う意味もなかった。
「それで、宮廷から逃げて今までここで軍人に? あなたがねえ。役職は何?」
「下士官」
小さな盆の上に乗った乾燥いちじくと小さな水の瓶をラウラはフォルテに示した。彼は遠慮なくいちじくの一欠片を掴んで口に運んだ。
「それも最低ランクの、兵士のために天幕やら便所穴を掘るためのスコップやら手配してやる補給士官だよ、まったく」
「そう。それでいいと思うわ。戦場に出ないなら死ぬこともないもの」
ラウラがしみじみ言うと、フォルテの顔に苦笑が浮かんだ。
「カティアが生きていたら同じこと言いそうだ――美しき淫欲皇后に」
と水のグラスを掲げて見せる、組んだ足のつま先までサマになる。
ラウラは乗らなかったが、それは元皇女で現最高司令官のひとりの妻である自分の元に尋ねてきたからには、フォルテにも何か思惑があることをわかっていたからだった。
「それで、来たわけは?」
「君はせっかちになったなあ。前はそんなんじゃなかったのに」
「それで?」
フォルテは肩をすくめた。
「単刀直入に言うと僕はメイの赤ん坊を誘拐してきた。第一皇子と呼ばれていた子だ」
単刀直入すぎた。ラウラは遠い目をした。
「それで?」
「メイは激怒しているだろう。次の男の子もたくさんいるんだのにね。その子は魔力のバランスがおかしくて、うまいこと魔法が使えない。完璧に才能がないわけではなさそうだというのが、この十年でわかったことだった。それだけ」
「そう。――その子はあなたの子なの?」
「いや。君の父親の子だよ。それは間違いない」
フォルテは手の中でいちじくを粉々にしながら続けた。
「あの子はおかしい子だが強いよ。おそらくラベリアス・クォートと同じたぐいのクォートだ。魔力が不安定すぎて結界さえ通り抜けられる。つまり、魔王のいる山のねぐらの最奥まで突き進んで彼にトドメを刺した、ひいひいおじいさんと同じことができると思う」
ラウラに言えたのはかろうじてこれだけだった。
「魔王はもういないのよ。山の中に侵入したって、誰も君臨なんかしていない。グティエルを見てよ。あの人は自分の仕事を頑張っているだけでしょう」
「知らされていないのか?」
フォルテの顔は眩しいものでも見るかのよう。
「山の中には魔物をいったん収納するためのスイッチがある。山は宇宙船、だから……」
彼は大きな目を伏せ、気まずそうに膝の上の手のひらの中を見つめた。粉々に割れたいちじくがそこにはあって、恨めしげにきらきら輝いている。
「僕はカティアにそう教わった。カティアは夫からそう聞いたって。クォートは宇宙船の艦長の家系だった。そしてローデアリアは最後の純血ホモサピエンスの家系だから、両者が結婚によって統合された時、所有している宇宙船の秘密を照らし合わせたんだって」
ラウラは知らなかった。何も。知らされていなかった。
彼女は今、どんな顔をしているのだろう? 恨みつらみに支配された女の醜い顔だろうか、それとも捨てられた子供の情けない泣きっつらか。
「あなたが一族の秘密を漏らされるほど母に信頼されていたことはいいのよ、別に」
なんとか絞り出した声は平坦でひび割れていた。
「そのスイッチを押せる人に資格はあるの?」
「聞いた限りでは、ない」
フォルテは頷く。
「誰でもいいんだ。きっと百年前の魔王討伐メンバーもそんな感じだったんだろう。寄せ集めの、だが意志を持った者たちが死ぬ覚悟で山の中に突入していって、そして生還したんだ。帰れなかった者もいたけれど、全員伝説になって残っている」
「わかった。夫に話すわ」
結局のところ話の争点はそこだった。おそらくフォルテの立場では本当に決定権を持った人間と会談するところまでこぎ着けないのだ。彼の情報が正しいかどうかさえラウラには判別もつかない。
「ところでメイの子のうち何人が金髪なのかしら?」
「さあね。僕はあんまり子供たちに会わせてもらえなかったんだ」
と笑うフォルテの顔を見て、全員金髪でも驚かないぞとラウラは決意した。
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