始まりの合図(1)

 ×××


 

 明楽がメイアの家で暮らし始めて、数週間。


「…………暇だ……」


 日光に当たりながら、明楽は玄関ポーチでぼうっと空を見上げていた。

 退屈は人を殺す、とはよく言ったものだ。

 異世界での生活は、まさにスローライフと言えるものだった。

 メイアは狩りに出たり畑仕事に精を出したり他にも何やら色々としているようだったが、明楽にできることは少なかった。簡単な家事をこなしたり、畑の手入れを手伝ったりが精々。

 汗水流して働くようなことはしたくなかったので、良いと言えば良いのだが、何が不満かと言えば娯楽がない。これは現代で生活していた明楽からすると、耐えがたいほどに暇だった。

 もはや日々の楽しみはセックスしかない。平安貴族かよ、と明楽は内心ぼやいた。恋の歌を詠むくらいしかできないのも納得だ。恋愛以外に何をしろと言うのだ。

 それも相手はメイアしかいない。彼女が動けなくなれば困るのは明楽の方なので、あまり無理もさせられない。

 

 メイアとの共同生活が決まった後。明楽の生活に必要なものを買い出しに行くというので、明楽はてっきり自分も王都に行けるのだとばかり思っていた。ところが、メイアは不慣れな明楽を連れては行けないと、ひとりで出かけてしまった。

 一緒に行きたいと直前までねだったが、無駄だった。意外なところで線引きをする。荷物持ちだっていた方がいいだろうに、何がそんなにダメだったのだろうか。

 早々に機嫌を損ねても事なので、明楽は大人しく引き下がった。


 娯楽と勉強を兼ねて、メイアは明楽に本を与えた。さほど読書をする方ではなかったが、暇すぎたのである程度は読んだ。

 この世界の文字は明楽の記憶にあるどの文字とも違ったが、何故か問題なく読むことができた。夢だと思っていたので最初から気に留めていなかったものの、言葉が通じることも含め、何かしらの力が働いているのだろう。

 あまり真面目には読まなかった明楽が本から得られた知識はざっくり以下の内容だ。

 

 この世界に住む「ひと」は大きく分けて三種類。最も数の多いヒューマン、魔術に長けたエルフ、技術に長けたドワーフ。エルフとドワーフはあまりヒューマンと交わらず、集落に固まって暮らしているケースが多い。

 メイアの家があるここは、リチェアル王国。王都はラトルア。

 リチェアル王国はかつて魔王討伐のために勇者パーティーを派遣した国で、魔王封印に成功したため、現在はかなり力を持っている。

 明楽を最初に襲った獣は魔物。魔王が封印されたことで、魔族は果ての地でひっそりと暮らしているが、知能の低い魔物を全て回収することはできず、現在も各地に出没している。


 最低限このくらい把握しておけば大丈夫だろうと、本は本棚で眠っている。

 しかし本に寄れば、エルフは集落で暮らしているはずだ。何故メイアはひとりで暮らしているのだろうか。

 その理由は、尋ねていない。聞けば答えるかもしれないが、踏み込む時には覚悟がいる。まだその時ではない、と明楽は判断していた。

 今は久々の人との触れ合いに、色々麻痺しているのだろう。大層甘やかしてくれるが、時間が経てばそうはいかなくなる。

 長続きさせるのであれば、精神的な繋がりは必須だ。この人は自分を理解してくれる、と思わせなければ先がない。

 しかし深入りすれば、離れるのにもまたひと手間かかる。

 現状明楽が頼れる相手はメイアしかいないが、この先行動範囲が広がり出会いが増えれば、寄生先は変わる可能性がある。

 明楽もまだ、メイアのことを量っている最中だ。


「……ん?」


 聞き慣れない音がして、明楽は音の出どころを探した。

 遠くから車輪の音がする。よくよく目を凝らせば、馬車が走ってくるのが見えた。

 このあたりにはメイアの家以外に何もない。今まで来訪者など見たことがないが、メイアの客だろうか、と明楽は立ち上がった。

 眺めていると、馬車は家から離れた場所で止まり、荷台からひとりの女が降りてきた。

 小柄なその女は、まっすぐにメイアの家の方へ歩いてくる。

 次第に鮮明になる姿に、明楽は思わず目を丸くした。


(でっっっか)


 もちろん身長のことではない。背丈は一五〇ないのではないかと思われるほど小さい。その体躯に見合わない、たわわな胸。アンバランスすぎて、逆に転ばないか心配になる。

 彼女はおそらく、ドワーフだ。

 ドワーフと聞くと髭面のずんぐりむっくりした筋肉自慢を思い浮かべるのだが、この世界のドワーフは、単に手先の器用な小人族を指すらしい。小人と言ってもヒューマンからすれば幼く見えるくらいで、幼児ほど小さいわけでもない。

 少女のような愛らしい顔に、くりくりとウェーブするボブヘア。足首まであるワンピースは胸の下で絞られているので、余計に胸が強調される。

 けれどあれは別に好きで強調しているわけではない。巨乳がIラインのワンピースを着ればどうなるのか知っている明楽は、大変だな、と他人事のように思った。歴代の巨乳彼女はだいたい服選びに文句を言っている。

 近づいてきた彼女の方も明楽の姿を確認したらしく、目に見えて戸惑っていた。

 会話のできる距離まで来た彼女に、明楽は敵意のなさを示すように微笑みかけた。


「こんにちは」

「ひえっ!? こここ、こんにちは」


 どもりながらぺこぺこと頭を下げた彼女に、コミュニケーションは苦手そうだ、と苦笑する。


「俺はアキラ。わけあって、メイアに世話になってるんだ。メイアに用事?」

「あ、は、はい。わた、わたし、ミルカっていいます。メイアとは古い知り合いで」

「そっか。悪いんだけど、メイアは今出かけてるんだ。家の中で待ってる?」

「そう、させて、もらえると」

「ん、わかった。どうぞ」


 手を差し伸べると、ミルカはきょとんとした。


「足元。階段危ないから」

「えっ!? あや、だ、大丈夫で」

「遠慮しないで。メイアのお客さんなら、俺にとっても大事なお客さんだから。怪我させたら大変」


 ミルカは真っ赤な顔で、おそるおそる手を取った。

 エスコートに慣れていないのだろうか。童顔で巨乳で男慣れしていない女など、現代日本ならモテ放題だろうに。

 

(巨乳って足元見えないんだよなー)


 特に階段の下りが怖いらしい。だったらピンヒールを履くな、と呆れた彼女の手を引いた日々を思い出す。

 ここの階段は上りで、ミルカの足元はフラットなブーツだが、手すりがないのでエスコートした方が安全だろう。

 扉を開けて中に招き入れ、椅子を引いて座らせる。

 声をかけてから、明楽はお茶を淹れるためにキッチンに向かった。

 棚に置いてある赤い石を手にとって、竈門の前で数回打つ。すると火が燃え上がった。

 これは魔術が使えない明楽のためにメイアが用意した魔石だ。火打ち石のように使うことができる。これのおかげで、今は明楽ひとりでもキッチンが使える。

 沸かした湯でハーブティーを淹れ、カップに注ぐ。爽やかな香りのハーブは裏の畑で栽培されているものだ。害虫駆除にも使えるらしい。

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