初めての朝
×××
朝の光で目を覚まして、明楽は大きく伸びをした。横を見れば、きらきらと光を反射する金髪。
日の出と共に起きていそうな女だが、久々で疲れているのかもしれない。寝かせておこう、と明楽は起こさないように気をつけながら、さらさらと髪を梳いた。
正直暇ではあるが、さすがに最初の朝に隣にいないというのは減点である。
このまま世話になろうと企んでいるのだから、なるべく点数は稼いでおきたい。
穏やかに眠る顔を眺めながら、昨夜のことを思い出す。耳は長いが、他の部分は人間とそう変わらない作りで良かった。具体的に生殖について尋ねてはいないが、体の作りが同じなら、それも同じと考えるべきだろう。
(パイプカットしてて良かったー)
明楽の初体験は中学の時である。多くの男が選択するように、明楽も避妊はコンドームくらいしか知らなかった。
しかし大学生の時。社会人の彼女が、コンドームにわざと穴を開けていた。
いわく、どうしても明楽の遺伝子が欲しかったらしい。責任を問う気はなく、顔のいい男を産みたかっただけで、ひとりで育てるつもりだったそうだ。
そう言われたところで、自分の子どもが、知らないところで産み育てられているなど恐怖でしかない。当然彼女とはすぐに別れた。
そして次の彼女と付き合ってすぐ、パイプカットの手術を受けた。費用は上手いこと言って彼女持ち。
コンドームは細工をされたり途中で外れたりしたらそれで終わりだ。相手がピルを飲んでいる、という申告は真偽を確かめる術がない。強く疑えば関係が破綻する。自分主導で避妊するには、パイプカットが確実だった。
明楽は自分の性格上、家庭というものは持てないと思っている。だから子どもができなくても、全く構わなかった。それにどうしても、と思うなら、再建手術を受ければ子どももつくれる。
流れでそうなった時にいちいちコンドームの存在を気にしなくて済むし、明楽は受けて良かったと思っている。
ただし、コンドームも常に持ち歩いてはいた。パイプカットは避妊にはなるが、性病は防げない。
特定の相手とだけするなら構わないが、そうでないケースも往々にしてある。一度痛い目を見たことがあるので、初めての相手とする時は必ずコンドームをする。あの時は毎晩ムスコが腐り落ちる夢を見た。二度とごめんである。
寄生する相手が変わった時は、まず性病検査を一通り受ける。医者には多分そういう仕事の人間だと思われている。あながち間違ってはいない。
メイアとする時にも本当ならコンドームが欲しかったが、あの流れで出してくれと言うのも格好がつかないし、そもそもこの世界の避妊方法がわからないので、コンドームが存在するかも怪しい。
とりあえず、長らくひとりであることは確かなようだから、病気持ちということはないだろう。
避妊云々についてはその内ちゃんと確認しておこう、と明楽は心に決めた。
「んん……」
弄んでいた髪が顔にかかってくすぐったかったのか、メイアが小さく身じろぎをした。
うっすらと緑の瞳が見えたので、目元にキスを落とす。
その感触で覚醒したのか、ぱちりと完全に目が開かれた。
「おはよ」
明楽がにこーっと微笑んでみせると、じわじわとメイアの顔が赤くなっていく。
毛布を引っ掴んでがばりと身を起こすと、きょろきょろと周囲を見回した。
「服そこ」
「どうも!!」
明楽が拾って纏めておいた服を抱えると、毛布を体に巻いて、そのまま慌ててベッドルームに引っ込んだ。その際、一度毛布を踏みつけて転びそうになっていたのはご愛嬌。
(おもろ……)
口に出したら怒られそうな感想を抱きつつ、毛布が取られたので明楽も全裸のままではいられない。自分の服を拾って着る。
一晩経って正気に戻ると気が変わるタイプもいるが、起き抜けに殴られなかったからひとまず大丈夫だろう。自分が許可したことはちゃんと覚えていそうだ。
「さて」
着替えた明楽は、キッチンで腕を組んだ。
これが現代だったら朝食のひとつも用意しておくところだが、ここのキッチンは明楽ひとりでは使えない。まず火がつけられない。メイアは魔術でつけることを前提としているようで、他の着火道具は見当たらなかった。
自分ひとりでは湯も沸かせないとは不便である。このあたりも確認しておかないとな、と思っていると、身なりを整えたメイアがキッチンに入ってきた。
「何してるの?」
「ああ、ごめん。何か用意しておけたらと思ったんだけど……俺、火がつけられなかったなと思って」
「気にしなくていいわよ。あたしやるから」
「ありがとう」
ここは素直に甘えておこう、と明楽はリビングに引っこんだ。
暫くすると、簡単な朝食とハーブティーを持って、メイアがリビングに戻ってきた。
手を合わせて、ありがたくいただく。ハーブティーは覚えのない香りだったが、すっきりとした良い香りで頭が冴えるようだった。
「メイアは料理うまいね」
「ひとりが長いと、自分でやるしかないもの」
「自分の分だけなんて、もったいない。こんなに美味しいのに。毎日食べられたら幸せだろうなー」
「何それ」
「毎日食べたいってアピール」
率直な言い分に、メイアは思わず吹き出した。
「もうちょっと隠しなさいよ」
「えー、本心だよ? 俺メイアのこと好きだし。朝起きて、メイアが隣にいて、こうやって一緒にご飯食べる毎日が続いたらなって」
メイアが僅かに動きを止めた。明楽は落とさないようにと、メイアが手に持っていたカップを取り上げてテーブルに置き、片手を絡める。
「俺のこと、ここに置いてよ」
今まで一度も断られたことがない甘えた顔で、メイアを窺う。
メイアの顔に皺が寄っているが、これは怒っているのではない。何らかの衝動を耐えているのだろう。
「……それは、昨晩の責任を取ってくれるってこと?」
「え」
びし、と甘い空気に亀裂が走った。責任。明楽の一番嫌いな言葉である。
そんなことに決してならないようにパイプカットしたのに。
「嫁入り前の娘を傷ものにしたんだもの。この先一生添い遂げる覚悟があってのことよね?」
「娘って歳じゃないんじゃ」
「お黙んなさい。エルフはね、生涯にひとりとしか契りを結ばないの。この人と決めた相手にだけ体を許して、初夜の翌日に結婚式をするのよ。そして一度結婚したら、離婚は禁止。素敵でしょう?」
(おっも!!!!)
明楽は表面上笑顔を貼りつけたまま、内心では滝のように冷や汗をかいていた。
まさかエルフにそんな慣習があったとは。いやでも昨夜の受け入れ方はそんな重い関係を決めたようには到底思えなかったが。
どうしたものか、と高速で頭を回していると、唐突にメイアが吹き出した。
「冗談よ」
「へ」
「ちょっと考えたら矛盾に気づくでしょう。生涯にひとりなら、アキラの前の人はどうしたと思ったの?」
「あ」
そうだ。メイアは処女ではなかった。今の話が事実なら、メイアは初めての相手と結婚しているはずだ。未亡人という可能性もなくはないが、それでも生涯にひとり、とは矛盾する。
やられた、と明楽は頭を抱えた。
「あなた本当にエルフのこと知らないのね」
「言ったろ……こっちのこと、何も知らないんだよ」
だからこんな簡単な手に引っかかったとも言える。普段ならこんな失態あり得ない。
自分の常識の通用しない場所だから、つい言われたままを受け入れそうになった。
「危なっかしいわね。本当に戒律が厳しい宗教もあるから、迂闊に手を出すと痛い目見るわよ」
「肝に銘じておきます……」
項垂れた明楽に、メイアはくすりと笑みを零した。
「危なっかしいから、あたしが面倒見てあげる」
顔を上げた明楽の目に映ったのは、存外優しい目をして微笑むメイアだった。
「……ちゅーしていい?」
「な、なによ急に!」
「今したい」
「食べたばっかりだから嫌」
「中学生かよ」
「意味はわからないけど馬鹿にされてるのはわかるわよ」
軽口の応酬に、明楽は心が解れていくのを感じていた。
知らない世界に放り出されて、柄にもなく緊張などというものをしていたのかもしれない。
これが夢である説はまだ捨てていない。けれどそうではない、という印象の方が、今は強かった。
とにもかくにも、これで無事生活の術は確保できた。世話をしてくれる女も。
それがメイアであったことは、この先も明楽にとって、一番の幸運と言える出来事となる。
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