1年目5月・姫枝垂れ桜顕現

 櫻媛さくらひめたちの尽力で立派な井戸が完成した。

 石を組み上げて恵美もよく知っている見た目になっているし、ヤマから採ってきた蔓で結んだ釣瓶つるべも提げられているし、山から切り出した木を使って屋根や転落防止の囲いまであって安全性もばっちりだ。

「櫻媛のみんなって割と安全性を重視するよね」

 なにを隠そう転落防止の囲いを作ろうと発案したのは恵美ではなくて櫻媛たちの方だ。しかもみんなやる気満々であーでもないこーでもないといかに間違って人が落ちないようにするかと見た目にこだわり抜いていた。

「そりゃ、こっちと違って弱い人間たちが使うものだからね」

 恵美の保護者でもあり過保護代表な蜜緋芽みつひめがすゑはを抱き上げながら答えてくれた。

 すゑはは井戸の構造に興味があるのか腕の中から体を乗り出して覗こうとするので蜜緋芽は何度も抱き直して落ちないように心を砕いている。

 他の櫻媛たちも、うんうん、とうなずいている。櫻媛からすると人間全てが赤ちゃん扱いしないと不安なのかもしれない。

 それはそれとして囲いのデザインについても随分と話し合いが紛糾した。櫻媛は割と個性が強くてしかも我を徹そうとしたがる性格であるのが多い。

 その中で実際に囲いを作る担当だった志那実桜しなみざくらが独断でデザインを決めたのでかなり中華風な見た目になっている。

「なんかこう、縄文時代の暮らしに突然中華なモニュメントあると遺跡みたいだよね」

「何か不満ブーマンがあるの?」

「だいじょうぶ、ないよ! だからそんな不機嫌にならないでかわいー!」

ウォーに近づくなこの変態ビェンタイ!!」

 ちょっと思ったことを言っただけなのに過剰にジト目を向けてくる。でもそんな態度を見せたら恵美が抱き着いてくるというのが分かっていなかったようで両腕を広げて駆け寄ってくる恵美に志那実桜は悲鳴を上げた。

 ファーストコンタクトの時のトラウマは今でもしっかりと根を張っているらしい。

 蜜緋芽はしばらくその鬼ごっこを放置してそろそろいい運動になったかというところですゑはを大島桜おおしまざくらに預けた。

 意外とこの男勝りに若武者のような櫻媛も優しくけれど安定した抱き方ですゑはを受け取る。

 それで両手が空いた蜜緋芽は小さな志那実桜を追って走り回っている恵美にあっさりと追い付いて拳骨を落とした。

「いったーい!」

 その一撃で恵美は頭を抱えて地面にうずくまる。

 その情けない姿を見下して蜜緋芽は、ふん、と鼻を鳴らす。

謝謝シェシェ……」

 志那実桜は半泣きになりながら蜜緋芽を見上げている。

 こうして可愛い女の子といちゃいちゃしたいと思っている恵美よりも、別に仲良くしたいとも思っていない蜜緋芽の方が頼りにされていくのである。

「あんたは小っちゃい子泣かせてないで、さっさとここに櫻媛を植えなさいよ」

 井戸が出来たら取りあえず守り役の櫻媛を植えようと事前から決めていた。

 誰を植えるのかというのに恵美は悩んでしまったが、蜜緋芽の提案で少しレア度の高い櫻媛がいいんじゃないかとアドバイスを貰っている。

 すぐに霊力が最大になって花御代はなみよに入れるレア度の低い櫻媛も数が増えてきたので霊力が満たされるのに時間はかかっても強力なレア度の高い櫻媛に手を出してもいいだろうとの判断だ。

 それで恵美が選んだのは姫枝垂れ桜ひめしだれざくらだった。

 恵美もコノハナサクヤの花珠はなたまから出て来て初めて知った櫻媛ではある。佐賀のお寺にある桜が花が咲く頃には多くの人が鑑賞に来るらしい。

「やた。ここも新しく適正地点になってる」

 櫻媛が手を加えたことで土地にもいい影響があったのかこの井戸の周辺も苗木を地面に挿すだけで植えられるようになっているのを恵美はアプリケーションで確認して喜びの声を上げる。

 木鋤で穴を掘るのは本当に大変だから避けられるなら避けたいというのが恵美の本音だ。それでも綺麗な女性に出会うためならその苦労を勝って出るのではあるけれども。

「んー、ここら辺がいいかな」

 井戸に近すぎずかと言って遠くもならず、桜が枝葉を伸ばせば井戸が日陰になって夏でも涼しいだろうと思える場所に恵美は抱えた苗木をそっと降ろした。

 それだけで苗木はぐんぐんと根を張り枝を伸ばして立派な大木になりそれと同時に光を零して櫻媛の姿を現す。

 それは時代劇に出てくるような綺麗な仕立ての服装のお姫様だった。

 柔く胸の前で麦穂を抱いてまぶたも同じように閉じられている。

「お初にお目にかかります。姫枝垂れ桜、御前に参りました」

 まさに姫を冠する名に恥じぬような貞淑な振る舞いだった。

 恵美は手を両手で覆って息を飲んでいる。

「あの、一生を捧げますのでお側に置いていただけないでしょうか?」

 今回は平気かと少し期待してしまった蜜緋芽は静かにではあるけどはっきりと姫枝垂れ桜に言い寄った恵美に頭を抱えた。

 そんな蜜緋芽の苦悩に見向きもせずに恵美は堂々と姫枝垂れ桜の白魚のようにすべすべとした手を取る。

「出来ればその瞳も見させていただきたいです。きっと宝石のように美しいと思うのですけれど」

「あら、目は開いていますよ?」

「どう見ても瞑ってるようにしか見えないわよ」

 蜜緋芽は恵美が姫枝垂れ桜を口説いている横でげんなりとしながらも自分の役目とばかりにツッコミを入れる。

 しかし姫枝垂れ桜は淑やかに小首を傾げるばかりだ。本当に目が細いだけでこれできちんと目を開いているらしい。

 いや蜜緋芽の言う通り眠っているのかというくらいにまぶたが降ろされているけれども。

「ちなみに気色悪かったらその手を振り解いていいんだからね?」

 蜜緋芽は姫枝垂れ桜が気を遣ってるのではないかと懸念して恵美の扱いを教える。

「いえ、特に気にしませんが」

「聖女! お姫様だけど聖女! 結婚は許可されるタイプの聖女ですくぁっ!?」

 姫枝垂れ桜が拒絶しないせいで余計に調子に乗る恵美を蜜緋芽はさっきよりも力を込めて拳に桜吹雪まで纏わせてぶん殴る。

 色欲を諫める時の攻撃なら数秒で復活する変態恵美なので蜜緋芽は容赦がない。それくらいしないと黙らないというのもある。

「あんまり餌を与えないでくれる?」

「そういう家庭であるなら準じますよ」

 ようやく共通認識が取れて蜜緋芽は疲れた溜め息を零したのだった。

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