5-4
十二月三十一日。大晦日。
日が変わるまであと一時間もないという時間に、神社の鳥居から少し離れた場所で真宙は一人の少女を待っていた。
スマホを手に取り、時間と送られてきたメッセージを再度確認する。そこには間違いなくその少女からの初詣の誘いが記されている。
確認した時間は待ち合わせの二分前。顔を上げて辺りを見回すと、自分たちと同じように初詣に訪れた人たちの波で溢れている。その中に少女――恋人である桜良の姿を探す。
あれから、和花を傷つけてしまったあの日、あの公園で別れてから真宙は彼女と顔を合わせていない。メッセージを送っても既読無視をされ、しかも最後に彼女から放たれた言葉に大きなダメージを負って、正直に言ってここ数日は生きた心地がしなかった。
だが今日のお昼ごろに彼女から初詣への誘いのメッセージが届き、真宙は二つ返事でオッケーを出した。
まさか誘ってもらえるなんて思ってもいなかった。もしかしたらこのまま口をきいてもらえないのではないかと不安だった。なにせ和花は桜良の一番の友達だった。そして桜良は相手が誰であれ、悪いことは悪いと口にする。そこに忖度なんてない。それが例え恋人である真宙であったとしても。
公園で二人から怒られて、冷静になって考えれば確かにあれは自分が悪い。二人が怒るのも当然だ。だから彼女からあんな言葉を投げかけられてしまうのは自業自得と言える。桜良のことも、御調のことも、そして当然、和花のことも、なんとかしなくてはいけないと思っていた。だがどれもこれも上手くいかず、彼女とも会えずに心だけがすり減った。そこへ送られてきたのが、初詣への誘いのメッセージだった。
(……まだかな)
人並みへ目を凝らして桜良の姿を探す。
誘ってくれたとは言っても彼女が真宙のことを許したわけじゃない。まだ怒っているであろうことは理解している。だからまずはちゃんと謝って、これからどうしたいのか自分の気持ちを話してわかってもらわなければならない。
答えによっては彼女をさらに失望させてしまうこともあるだろう。だがそれでも、その恐怖よりも、久しぶりに桜良に会える高揚感のほうが勝っていた。
再びスマホに目を落とす。それと時を同じくしてスマホのデジタル時計が待ち合わせ時間丁度を示した。
「……先輩」
声がして顔を上げる。それと同時にチョコレートのような甘い匂いが香る。
目の前には待ち望んだ少女の顔があった。
「桜良」
「……はぁ。……だから、あたしは秋那です。お姉ちゃんじゃありません」
「今日は誘ってくれてありがとう」
「相変わらず話を聞きませんね。……でもそれも早く終わらせないといけません。だから今日誘ったんですけどね」
「え?」
言葉の後半はなにを言っているのかよくわからなかったが、それを問い返す前に秋那は歩き出した。それに真宙も続く。
「まさか桜良から誘ってくれるなんて思ってなかったよ」
隣に並び声をかけると、秋那は真っ直ぐ前を見たまま答える。
「これがもし、ただの友人関係とかだったら誘いませんでしたけど、もう、時間がないので……」
「時間……? どういうこと?」
「…………」
秋那は真宙の問いかけには答えなかった。それに有無を言わさぬ雰囲気を感じ取り、真宙も黙って隣を歩いた。
それから数メートル無言の時間が訪れたが、口を開くのを躊躇っている真宙の代わりに秋那が前を見たまま口を開く。
「去年も来たんですよね、お姉ちゃんと」
「? そうだよ、一緒に来たじゃん。忘れちゃった?」
そう、去年も真宙は桜良と二人で初詣に来て年を越した。最初は御調と和花も入れて四人で来ようという案もあったが、二人が真宙たちに気を遣って断ったのだ。
「……そのとき、先輩は神様になにを願ったんですか?」
「去年の願い事……」
言われ記憶を探る……までもなかった。
ちょうど一年前、この日、この時、この場所で真宙が願ったことは今でもしっかりと覚えているし、これ以上に願うことなんてなかった。
「桜良と、ずっと一緒にいられますように……って」
「…………そう、ですか」
今現在、多少なりとも二人の関係がぎこちないものになっていたとしても、真宙のその願いを聞いたら少なからず喜んでくれると思った。しかし秋那は笑顔を見せたり照れたりするどころか、それらとは真逆の沈んだ表情をし、
「残酷ですね、神様って……」
「え?」
真宙には目の前の少女の言葉の意味がわからなかった。思わず訊き返すと、やっと秋那が真宙へと視線を向ける。
「それなら先輩、今年はなにをお願いするんですか?」
「今年は……そうだな……」
正直な話、願い事は決まっている。それは去年であろうが今年であろうが来年であろうが変わらない。真宙の願いはただ一つ。桜良と共に、これからの時間も過ごしていくことだけだ。
それだけでいい。それさえあれば、他にはなにいらないし、きっと他のなんだって捨てられる。そんな気がしている。
でもそんなプロポーズのようなことを口にするのはさすがに恥ずかしくて、誤魔化しの文句を口にする。
「桜良と仲直りできますように、かな? はは」
「仲直りなんて神頼みじゃなくて自分の力でやってくださいよ」
しかしそれが裏目になり、ごもっともな返事をいただいてしまった。
なんだかゲームのようにパラメータが下がったような気がして、真宙は慌てて話題を逸らす。
「桜良は? なにをお願いするの?」
「あたしはなにも願いません」
「どうして?」
会話の流れもあってそう訊いた。だがその問に秋那の表情が明らかに変わる。
今まで一度も見たことがない、どす黒い感情に飲み込まれたような表情。まるで桜良じゃないような、そんな表情。
「どうして……? 決まってますよ、先輩」
そしてなにかを秘めたような強い意志のこもった瞳が、真宙のことを捉える。
「神様なんてこの世にいないからですよ。仮にいたとしても……いえ、仮にいるのなら、あたしはそいつを絶対に許しません。そんなやつに願うことなんて、何一つとしてないんですよ」
(……ああ、これは)
「それが例え、どんな神様であれ」
その瞳を見て、その言葉を聞いて、真宙は悟った。目の前にいる彼女を染めるその感情がなんなのか。込められた意思がなんなのか。
それは――。
(これは……きっと憎悪だ……)
どうして彼女がこんな表情をして、こんな感情を抱いているのかわからない。だが実際に目の前の彼女からはその意思が伝わってくる。痛いほどに、真宙の胸を抉るように、強く強く、伝わってくる。
本当に初めて見た。桜良が誰かに、なにかに対してここまで強い負の感情を抱いているところを。
真宙はそれを怖いと思った。目の前の少女が、まるで桜良ではないような錯覚をほんの一瞬だけ覚えるほどに。
(でも……)
だが同時に、不思議な気持ちもあった。
どういうわけか彼女の言葉がとてもしっくりきたのだ。神様に対して恨むようなことなんてなかったはずなのに、それなのに彼女の言葉に自分の心の底のなにかが共感し、そしてすんなりと受け入れた。
「…………っ」
体が震えた。寒さではない。この得体の知れない、『なにか』に、だ。
この感情に気づいてはいけない。どこからかそんな言葉が聞こえたような気がした。
「あ……桜良、ちょっと待ってて」
顔を上げた視界の端で、甘酒を配っているのが見えた。
この震えが寒さのせいではない。だがきっと、寒さのせいだ。
真宙は自分にそう言い聞かせると、秋那をその場に残して甘酒を貰いに走った。
甘酒は数分待っただけで貰うことが出来て、二人分の甘酒を持って真宙は戻る。
「ただいま、桜良」
言って秋那の顔を見ると、ついさっきまでの憎しみは消えていた。変わりに自分の両手に「はー」と息を吹きかけて暖をとっている。
「はい、桜良。これ」
真宙は手に持っていた甘酒を渡す。秋那もそれを受け取りその温かさに僅かに頬を緩ませる。それを見て、真宙は桜良が帰ってきてくれたような気がして安堵し、空いた手をそっと彼女へと伸ばす。
「……なんですか、先輩」
「いや、寒いかなって思って」
真宙の空いていた右手は、甘酒を両手で持つ秋那の左手の甲にそっと添えられていた。
「セクハラで訴えていいですか?」
「セ、セクハラッ!?」
その言葉に心底驚く。自分たちは付き合っているはずなのに、今まで何度も手を握ってきて、セクハラだなんて言われたことなかったのに、手に触れれば桜良は握り返してきてくれたはずなのに。
なにかが違う。今日の桜良は、なにかが。
(……ああ、きっとまだ和花とのことを怒ってるんだ。そっか、そうだよな……)
初詣に誘ってくれた、こうして会話をしてくれた。でもそれで許されたことにはならない。桜良はそんなことで悪いことをした誰かを許したりしない。
(まだ僕は許されてないんだ)
その事実は悲しくもあるが、それでも自分が悪いのだという気持ちはある。彼女に許されるにはまず御調に、そして和花に謝って許してもらうしかない。
もうすぐ年が明ける。それを機に心機一転して気持ちを切り替えようと真宙は思う。ちゃんと二人と話して、謝って、そしてまた仲の良かった友人関係に戻る。彼女に許してもらうのは、それからなのだ。
ちびちびと甘酒を飲み暖をとる。やがて年が明け、そしてそれから二十分ほど待つとようやく真宙たちのお参りの順番が来た。
お賽銭を投げ入れ手を合わる。その際にチラリと横を見ると、前言通り桜良はなにも祈っていなかった。ただただ、真っ直ぐに前を見つめ、いや、睨みつけていた。そんな彼女を見て真宙は願う。
(――あの日々が帰ってきますように)
全てのわだかまりが消えた、また仲の良かった四人で笑いあえる日々を願う――。
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