4-3
「兄ちゃあああん!」
まどろみの中にいた御調は、そんな弟の声と、バシバシと布団を叩く衝撃によって強制的に起こされた。布団から顔を出して瞼を開くと、まだ小学生の弟が残りの布団を剥ぎ取るところだった。
「さっむ……」
「兄ちゃん、ゲームしようぜ、ゲーム!」
と、弟はベッドの上でさらに丸まった御調の眼前に携帯ゲーム機を突き付ける。
御調と同様、小学生の弟もまた学校は冬休みに入っている。そして外は寒くて自分も友人たちも外出しないのか、暇を持てました弟は有り余る元気をゲームで発散させるべく、その対戦相手を御調に求めていた。
正直、起き抜けは勘弁してほしいが、いつもの御調なら用事でもない限り弟の相手をしている。しかしはっきり言って今はそんな気分になれない。
起きた瞬間から御調の頭を支配するのは、和花と真宙のこと。
和花にはあの後、家に帰ってからメッセージを送った。しかし簡潔に『大丈夫、ごめんなさい』としか返ってきていない。和花の気持ちを知っているがゆえに、和花の痛みも少なからずわかる。和花に対してはなにをしてやれるのかまだわからないでいた。
「……」
そしてもう一つの問題は真宙だ。
真宙とは中学一年のときからの付き合いで、タイプは違うが初めて話したときから気が合って友人になった。それから中学、高校に至るまで多くの時間を共にし、親友と言っても過言ではないくらいの関係になっている。
そしてその決して短くない時間の中で、御調があれほど本気で真宙に怒りを向けたことは一度もなかった。喧嘩したことすらないくらいだ。それが小さな棘として御調の心に刺さっている。
(……でもあれは、いくらなんでも真宙が……)
真宙の気持ちは多少なりとも理解できる。真宙の状態もわかっている。だが自分を心配してくれている和花のことを泣かせてもいい理由にはならないはずだ。
あれから落ち着いて何度も何度も考えた。仕方がなかったんじゃないか、どうしようもなかったんじゃないか、と。だがいくら考えても、どれだけ真宙の気持ちを汲んだとしても、真宙が悪いわけじゃなくても、やはり和花が泣く理由にはならない。
(いっそ、真宙が完璧に悪かったらラクだったのかもな……)
真宙とは友人でもなんでもなくて、他人のことなんて考えないようなやつで、誰かを泣かせても平気な顔で笑っていて……。もしも真宙がそんなクズ人間だったのなら、怒りの全てを真宙へと向けられた。
でも真宙には真宙の理由があった。だから良いというわけではないが、その理由も友人としてわかってしまうため、湧き上がったこの感情の全てを真宙に向けることが出来ずにモヤモヤとするのだ。
「……はぁ」
「なぁ、兄ちゃん、ゲームゲーム~」
兄の溜息など露知らず、弟はゲーム機片手に御調の身体を揺さぶる。
「……悪いが今はそんな気分じゃねぇんだ。また今度な」
申し訳ないと思うが、本当に今は弟と楽しくゲームをしてやる気分ではない。
だが幼い弟にとって御調の気分など知ったことではないらしく、御調が遊んでくれないとわかるとわかりやすしくらいに不貞腐れて言った。
「なんだよ、彼女もいなくて暇なくせに」
「彼女は関係ねぇだろ」
「うるせー、童貞」
「お前、まだガキのくせにどこでそんな言葉覚えてくんだよ……」
のそりとベッドから起き上がると、怒られるとでも思ったのか弟はそそくさと逃げ出し部屋から出ていった。
弟の背中を見送った後もベッドに戻る気にはなれず、冷える空気に身を震わせながら部屋のカーテンを開ける
「…………雪降ってんじゃん。どうりで寒いわけだ」
例年に比べて早めに降った雪を見ながら今度は和花のことを考える。
一応、メッセージに返信はあった。しかしその文面通りに「大丈夫」ではないことは当然わかっている。
きっと相手が他の誰かであったのなら、和花もここまで気落ちしなかっただろう。だが相手は真宙だ。真宙に否定されることが一番、和花にとっては辛いはずだ。だから本人が思っている以上に彼女はダメージを負っている。
その痛みをどうやって癒せばいいだろう。その傷をどうやって治せばいいだろう。自分がしてやれることはなんだろう。
「……俺なら泣かせたりなんて……。――っ」
そんな言葉が無意識に口から出て驚いた。
「……なに言ってんだ、俺は」
窓を開けて外の空気を吸う。痛いくらいに冷え切った空気が肺を切りつけ、頭に溜まっていた熱が下がっていくのを感じる。
和花のことは諦めたつもりでいた。
彼女の気持ちを初めて知ったときも、辛くはあったが相手が親友であることに嬉しさも覚えていた。だがその親友は桜良という別の女性を見続けていて、結局、和花の想いが届くことはなかった。
だが和花はそれでも真宙のことを思い続け、その気持ちは決して揺らぐことがなくて。その強さに御調はまた惹かれて。
和花のために桜良にいなくなれなんて思ったことはもちろんないし、真宙と桜良が別れればいいなんて考えたことも一度だってない。でも和花にも二人と同じくらい幸福でいてほしかった。二人と同じくらいの笑顔を浮かべていてほしかった。
それが出来るのが自分じゃないことに、不甲斐なさと悔しさを覚えたことは何度もあった。だから和花のことは諦めて、そして万が一にも和花の想いが叶う日が来るのなら、それを全力で応援しようと決めていた。
(でも、今の真宙を見ているとあいつには任せられない)
桜良のことで心に大きな傷を負っていたとしても、現状を正しく認識することが出来ていなかったとしても、悪意がなく感情のままに放った言葉だったとしても、それでも、和花を泣かせた真宙に彼女のことを任せることは出来ない。
それならどうすれば和花を笑顔に出来る。誰なら和花の涙を拭ってやれる。和花のことを考えて側にいてやれるのは……。
「……」
真宙を除けば一番親しいのは誰か。
いや、そんなものはただの言い訳だ。最初から間違っていたのだ。『真宙だから』ではない。どうして最初から『自分が』と考えなかったのか。
自分が。飯塚御調が想っているのは、いったい誰なのか。どうして自分ではダメだと決めつけたのか。
(……逃げただけなんだよな)
和花の気持ちを知って、それを理由にして御調は自分の気持ちから逃げた。相手は親友だからと、任せられると、勝手にそう思い込んで。自分が行動を起こさないための理由付けにした。
(結果がこれかよ……)
もし、和花の気持ちを知った御調が以前とは違う行動を取っていたら、もしかしたらこんな状況にはなっていなかったかもしれない。今現在、和花は泣いていなかったかもしれない。ここまでの悲しみに潰されてはいなかったかもしれない。
今回のことは、それでも真宙が悪いと思っていた。でも違う。真宙だけじゃない。自分だって悪いところがあった。真宙だけを責める資格なんて、自分の気持ちから逃げた御調にはなかった。
「……かっこ悪」
白い息と共に吐きだした自責の言葉は、雪の中へと消えていく。
「でもなんか、吹っ切れたかもしれねぇ……」
諦めたつもりだった。でも諦めきれていない気持ちが御調の奥底には確かにあった。
そして自分が逃げたこともその結果も自覚して、だからこそ自分が今なにをしなくてはいけないのか、なにをしたいのか、なにをしてあげたいのか、それがはっきりと見えるようになった。
古賀和花に、どうあっていてほしいのか。
「……よしっ」
答えは簡単で、初めからわかっていたのかもしれない。
自分が和花に対してどこまで出来るのかはわからない。和花がそれを望まないかもしれないし、受け入れてくれる可能性は限りなく低いのかもしれない。
でもまずは行動することだ。自分の本気を和花に伝えないと、和花も御調のことを信じてはくれないかもしれない。
自分の願いを。和花にどうあっていてほしいのかを。それを叶えるために自分がなにをしたいのかを。その全てを叶えるために、まずは――。
「…………――告白、してやる――っ」
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