第24話 たぶん好きだから

 

 本棚に囲まれた二十畳ほどの洋室で、藤間ふじまたもつは巨大なかめの中にある薬液を長いヘラでかき混ぜながら考えていた。


 それは大魔法使いと呼ばれる男に言われた言葉。


 森の奥で暮らしていた偉大なる彼が、頼りなげな顔で告げたのは、十年ほど前のことだ。


「保、ねぇ保。どうかあいつを見守ってやってほしいんだ」


 今でもハッキリと思い出す大魔法使いの言葉。

 

 その約束を果たす時は近いと、保は確信していた。


「……大魔法使い様」






 ***







「結局昨日も、何も言えないまま帰っちゃったな」


 日曜日のお昼時。


 一人で繁華街を歩きながら考え事をしていた私——三木みき結菜ゆいなは、大迫おおさこくんの顔を思い浮かべながらため息を落とす。


「……大迫くん、なんだか辛そうな顔してたし、声かけにくかったんだよね」


 遊園地の帰り道に、須藤すどうリアンさんが言った言葉が気になって、そのことばかり考えていた。


「……かがみの魔女って一体なんだろう? あれって私に向かって言ったよね?」


 ショッピング帰りの私は、ショートカットで公園を横切る。


 そこは、初めて大迫くんと会った公園だった。


「あの時は、初めて魔法使いに会って、ずっとドキドキしてたんだよね……ん?」


 大迫くんと出会った時のことを考えながら歩いていると、ふとベンチに座る人影を発見する。


 長身痩躯のその人は、セーターにパンツという軽装で、いつもより大人っぽい雰囲気だったけど——私のよく知る人物だった。


藤間ふじま先輩?」


「……結菜ゆいなさん」


「どうしたんですか? こんなところで」


 ベンチに駆け寄ると、藤間先輩は小さく苦笑した。


「気分転換がしたくなると、よくここに来るんですよ」


「そうなんですか。そういえば、大迫くんや長谷部くんもよくここに来るみたいだし、奇術部に好かれてる公園ですね」


「大迫様もここへ?」


「そうですよ。よくマジックの練習をしてるみたいで」


「そうなんですか……私は全く知りませんでした」


「……あの」


「なんですか?」


 私は前から気になっていたことを聞いてみることにした。


「どうして藤間先輩は、大迫くんの取り巻きみたいなことをしているんですか? 先輩なのに」


「……不自然でしょうか?」


「不自然、というか……不思議です」


「そうですか。私はあの方のお役に立てているでしょうか?」


「大迫くんの役に? どうしてそこまで……」


「結菜さん、今少しだけお時間よろしいですか?」


「あ、はい。大丈夫です」


 私が答えると、藤間先輩は落ち着いた口調で話し始めた。


「大迫様のそばにいる理由を……結菜さんにだけ、こっそりお教えします。ですが決して、口外しないでくださいね」


「……大迫くんと一緒にいることに、理由があるんですか?」


「はい……実は大昔に、友人と約束しまして」


「約束?」


「ええ……この世で最も大切な友人でした。その方が私に役目をくださいました」


「役目?」


「そうです。大迫様の幸せを見届ける役目です」


「大迫くんの幸せを?」


「そうです……友人は——」


 藤間先輩が言いかけたその時、足音が近づいてきて——藤間先輩は言葉を途切らせた。


「あれ? 結菜ちゃんと藤間先輩じゃないですか?」


「拓未くんと……大迫くん?」


 突然現れた二人に、私が目を瞬かせていると、拓未くんは悪い笑みを浮かべた。


「どうして二人一緒なんですか? もしかして、さっそく浮気ですか? 結菜ちゃんもやるなぁ」


「違うよ。偶然ここで会っただけだよ。それより、拓未くんと大迫くんこそ、どうして一緒にいるの?」


 訊ねると、大迫くんはバツが悪そうに俯いた。


「それは……」


「僕も啓太さんとばったり会って、ついでにお茶してきたんです」


「……そうなんだ」


 この二人、いつの間にこんなに仲良くなったんだろう。


 私が不思議に思っていると、拓未くんは大迫くんの背中を叩いた。


「そうだ、啓太さん。そろそろ僕は帰りますから、結菜ちゃんと二人でデートなんてどうですか?」


「え? デート?」


「ちょっと待って、そもそも私は大迫くんとは——」


 今度こそ本当のことを言おうとしたその時、ふいに拓未くんが私に耳打ちする。


『これだけ啓太さんをその気にさせておいて、いまさら付き合ってないとか言いませんよね?』


「……な……」


 私が絶句する中、拓未くんは藤間先輩の手を引いて立たせる。


「ほら、藤間先輩。そろそろ邪魔者は退散しましょう」


「……そうですね。結菜さん、続きはまた今度」


「え、私はまだ先輩の話が……」


 ——聞きたいのに、そう言い終える前に、拓未くんと藤間先輩は行ってしまった。


「結菜? 大丈夫? 藤間先輩と何か話があったんじゃ……?」


「うん。けっこう真面目な話してたんだけど……拓未くんが連れていっちゃったから仕方ないよね」


「なんかごめん」


「大迫くんのせいじゃないよ。拓未くんをなんとかしないと、今後も振り回される予感しかしないよ」


「……ごめん」


「だから、大迫くんは悪くないって」


「違うんだ。……拓未くんがあんな態度なのは、俺のせいだから」


「大迫くんの?」


「本当はわかってるんだ。結菜が俺のことを好きじゃないってこと」


「……え?」


「でも、一緒にいれば……いつか好きになってもらえるかもしれないと思ったけど……やっぱりこういうのはよくないよね」


「どういうこと?」


「結菜、ごめんね。今度こそ告白の返事……ちゃんと聞くから、本当のことを言ってほしいんだ」


「もしかして、大迫くん……わたしの返事をわざとかわしてたの?」


「……うん」


「どうしてそんなこと」


「……結菜には、俺のことを好きになってもらわないといけないんだ」


「は?」


「だけどやっぱり……人の心を無理やりどうこうできるとは思わないんだ。だって、結菜はずっと困った顔ばかりしてたし」


「……そうだね。ずっと困ってたよ。拓未くんに言いふらされて」


「……ごめん」


「大迫くんが悪い人じゃないってことはわかってるけど……いくら拓未くんの思い付きでも、こんなことしちゃダメだよ」


「拓未くんが考えたことって、なんでわかったの?」


「そりゃわかるよ。大迫くんらしくないし……それに、大迫くんがこんなこと、考えるわけないよね」


「結菜は、俺のことを勘違いしてる。俺はそんなに良いやつじゃないよ」


「そんなことないよ。大迫くんは良い人だよ。結局こうやって教えてくれてるわけだし。それよりさ、私が大迫くんのことを好きじゃないって誰が決めたの?」


「え? だって、結菜はずっと困った顔してたし」


「私も色々考えてみたんだよね。正直、大迫くんのことを好きかどうか……自分でもよくわからないけど。でも、ここまで広まっちゃったし、いっそのことこのまま付き合ってみる?」


「え? いいの?」


「だってさ、もし全部嘘だったってことになったら、きっと大迫くんが悪者にされちゃうよ? 拓未くんは何言われても平気そうだけど……大迫くんが傷つくのは見たくないよ。これはもう好きってことなのかな? ……なんて」


「でも、好きでもない人と付き合うなんて……結菜はいいの?」


「だから言ってるじゃない、もしかしたら私も好きかもしれないって」


「かもしれない?」


「そう、『かもしれない』……だから、試しに付き合ってみようかな、なんて……調子がいいかな? あ、でも付き合ってみて、なんか違うと思ったら、振ってくれていいんだよ?」


「そんなこと! 俺が結菜を振るなんて、絶対ないよ」


「わかんないよ。だって私、今まで誰かと付き合ったことなんてないし。正直、付き合うってどういうことかもわからないから」


「それは俺も同じだよ。付き合うって何するんだろ?」


「だから、一緒に勉強していこうよ」


「本当にいいの? 後悔したりしない?」


「ここで大迫くんを悪者にするほうが後悔しそうだし、……いいよ。付き合うよ」


「結菜、ありがとう」


 言って、大迫くんはふわりと私を抱きしめる。


 その温もりに驚いた私は、思わず目を瞠るけど——突き放すようなことはしなかった。


 ——OKしたのは私だから、こんなことで驚いてちゃダメだよね。


「あ、ごめん。どうしてかわからないけど、結菜のことをすごく抱きしめたくなって」


「う、ううん。大丈夫。だって、付き合ってるんだもんね。私たち」


「そうだね。じゃ、帰ろっか」


「うん、帰ろう」




 ***




 翌朝、登校して最初に報告した相手は、明美だった。


「え、結局つきあうの?」


「うん。せっかくだから、明美の言う通り、高校生活を楽しんでみるよ!」


「どうせ、大迫くんが悪者にされないためにとか思ってるんでしょ?」


「そ、そんなことないよ! 実は大迫くんのことはちょっと気になってたんだよね……たぶん」


「たぶん?」


「い、いいの! 今はたぶんでも」


「でも二人、お似合いだと思うよ。で、ファーストキスはしたの?」


「だからなんでそうなるの? 私、まだ大迫くんとつきあったばかりだよ?」


「でもファーストキスくらいするでしょ?」


 明美の言葉に反応したのは、あとから私の机にやってきた大迫くんだった。


「え? 付き合ってすぐファーストキスするものなの?」


「大迫くん! 明美の話を真に受けないで」


「そうなの?」


「私たちはゆっくり勉強していこうね」


「うん。でもそんなに時間はないかもしれないけど」


「え?」


「ううん。なんでもない。ファーストキスも練習しないといけないね」


「お、大迫くん?」


「まずは長谷部にでも頼んでみるかな」


「……え」


 本気で悩む大迫くんに、長谷部くんが大声で告げる。


「おれは練習台にはならないからな」


 いつからそこにいたのだろう。


 長谷部くんは大迫くんを睨みつけていた。


「じゃあ、誰と練習すればいいの?」


「大迫くん……結菜と練習しなよ」


 明美は呆れたように言うけど、私は苦笑するしかなかった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る