1-5.職人の弟子

「ラディア! どうして、こんなことになっているって……オレに話してくれなかったんだよ! ひどいよ! しかも、職人になっているって……」


 ラディアを前にしたとたん、ザルダーズの口からは恨み言しかでてこなかった。

 自分が話したかったことは、そんなことじゃないのに……と思いながらも、口からでてくるコトバは、ラディアを責めるものばかりだ。


 自分になにも相談せずに、ヴァイオリン職人の工房に弟子入りしてしまったことを、ザルダーズは強い口調で責め立てた。


「…………ちょっと前にさ、ザルダーズが演奏するヴァイオリンは僕がつくるよ……って言ったのを覚えている?」


 ひとおり文句を言い終え、語彙が尽きたところで、ようやくラディアは口を開いた。

 ラディアは傷だらけの手をさすりながら、工房に押しかけてきたザルダーズに優しく微笑みかける。


 いつかは来ると思っていたのだろう。

 突然の親友の訪問にも、ラディアは全く慌てた様子もみせなかった。


「あ……ああ。病気が広がる前だったよな。でも、あれって、冗談だろ?」

「ううん。冗談じゃないよ。僕はホントウにそう思ってたんだよ。ザルダーズが使うヴァイオリンを作りたかったんだ。だから、もうその時点で色々と調べてたんだ。ザルダーズに僕の夢を打ち明けた時、実は、師匠に弟子入りの許可をもらってたんだ」

「え……ちょっと待て! そんなこと、オレは聞いてないぞ!」


 慌てふためく親友に、ラディアは悪戯が成功したときにみせる笑みを浮かべた。


「ザルダーズをびっくりさせたくてね。秘密にしてたんだ」

「…………それは、成功したみたいだな」


 ザルダーズはイライラを誤魔化すために、己の髪をかきむしる。

 綺麗に整えられていた髪が、あっという間にボサボサになった。


「オレのヴァイオリンを作ってくれる……ってのは嬉しいけど、オレは……オレはもう……」


 ヴァイオリンは辞めたんだよ……という言葉をザルダーズは飲み込む。


 静かに微笑みを浮かべるラディアを見ていると、なにも言えなくなる。

 親友の決意の強さが伝わってくる。

 幼馴染みだからこそわかる、ラディアの本気。


 冗談や貴族の道楽ではなく、ラディアは真剣に、ひとりのヴァイオリン職人として生きようとしているのがわかった。


 であるならば、親友である自分は、ラディアを止めるのではなく、応援しなければならない。生涯をかけてラディアを応援しようと、そのとき、ザルダーズは心に誓った。


「僕はザルダーズが弾きたくなるようなヴァイオリンを作る職人になるからね。ヴァイオリンができたら、僕のヴァイオリンを弾いてくれる?」

「ああ。弾くよ。必ず弾く。約束する。そして、ラディアが一人前の職人になって、ヴァイオリンを制作するようになったら、オレがそのヴァイオリンをみんなに売ってやる。オレに任せろ!」

「ありがとう」


 全財産を奪われ、住む場所も家名も奪われたというのに、ラディアの笑顔はとても美しかった。


 ラディアは己の人生を悲観することも、叔父一家を恨むこともしなかった。


 ただ、淡々とラディアはヴァイオリンを作り続けたのである。


 ラディアは七年間、工房で修行を続けた。

 八年目に師匠が心臓の発作で急死すると、小さな工房は兄弟子が引き継いだ。

 だが、兄弟子にはまだ弟子を養うだけの能力はなく、自身が食いつなぐので精一杯だった。

 なので、ラディアは少し早めの独立となったのである。


 現在では、他の木製品の加工も行いながら、ラディアはヴァイオリンを作り続けている。


 そして、ザルダーズは約束したとおり、ラディアのヴァイオリンを売っていた。


 もう少し、人里に近ければ、ヴァイオリンの修理やメンテナンスの仕事も請け負うことができるだろうが、ラディアの工房は不便すぎる場所にある。


 距離的な問題もあるが、それ以上に、この森は磁場が悪いようで、異なる世界を渡り歩き慣れているザルダーズですら、転移に失敗するのだ。

 一般客がラディアの工房を訪れるなどありようがなかった。


 そういう背景があるなか、ザルダーズの営業力も作用して、ラディアのヴァイオリンで演奏したい、というヴァイオリニストも現れ始めた。

 しかし、何度説得しても、半年に一挺というラディアの制作ペースは変わらない。


 作業スピードに成長がないのではない。

 より丁寧に、より完璧に近いヴァイオリンをつくろうとしているのだ。


 ラディアが半年の間に何挺のヴァイオリンを制作し、完成後に破棄しているのか……ザルダーズは知らない。


 もったいないことをするな、と怒ったりもしたのだが、ラディアは妙に頑固なところがある。

 まあ、そういう気質は職人向きだ。

 しかし、ザルダーズが注意すればするほど意地になっている部分もある。


 それではと、ラディアのヴァイオリンがいかに素晴らしく、欲しいと言っている人がたくさんいるのだと誠心誠意説明しても、ラディアの態度は変わらなかった。

 結局のところ見守るしかない……という結論にザルダーズは至ったのである。


 名器を作ろうと頑張っているラディアにとっても、多くのヴァイオリンを作らせたいと思っているザルダーズにとっても、今は我慢の時期なのだろう。


 ザルダーズはヤギ茶が入っていたカップを置くと、小皿の中の果実を手に取る。


 自分の分しかないが、別に毒ではないだろう。

 ただ、味が……すっぱかった。すっぱいだけの実だ。

 普段、ラディアがこれを食べているのかと思うと、胸がいっぱいになってしまう。

 これは本当に、ニンゲンが食用にしている果実なのかと疑ってしまう。

 あまりにもすっぱすぎて、全身に鳥肌がたった。なんとコメントしてよいのかわからない。

 目にじわりと浮かぶ涙は、果実がすっぱかったからだろうか。


「そんなにすっぱかったかな?」

「ああ。とてもすっぱいよ」


 ラディアはにこにこと笑いながら席を立つ。

 そして、サイドボードの上に置かれていたヴァイオリンと弓を持つと、真剣な表情でザルダーズの前に差し出した。


「チューニングはザルダーズが来る前にしておいたから、すぐに弾けるよ」


 ザルダーズはハンカチで手の汚れを拭う。

 神妙な面持ちで席を立ち、無言で美しい光沢を放つヴァイオリンを受け取った。

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