悪夢


 薄暗い会場。黒い観客席が波打つように不気味にうごめいている。舞台中央では、ピンスポに当てられた雄大が、身振り手振りでネタを披露していた。

      

 空間の色合いは淡く、古いホームビデオの擦り切れた画質の中に立っている感覚があった。


「え〜、続きまして、もしも芸人の『よっしゃ太郎』さんが、異世界に飛ばされたら」


 満席。審査員も並んでいる。闇に浮かび上がるおぼろげな輪郭。全員、影人間だ──


「ねえ、ここってどこですか? え、異世界!? そっ、そっ、そんな〜……よっしゃー! 思わぬ旅行だー!!」


 笑い声が無い。それでもネタを進行させる。


 審査員席で「シャリーン」という鈴の音が鳴り、1つの席にスポットライトが当たった。そこに目をやると、パズルのピースが徐々に集まって、影人間がコトドリへと変化していく。


「雄大くん、君はどうして、決勝の日に来なかったんだよ……」


 コトドリは、憐れむ目を向けてきた。


「よっしゃー! よっしゃー! 毎日いつものガッツポーズ!」


 動揺しながらも、拳を天に突き上げた。


 客席の最前列、また鈴の音が鳴った。ど真ん中の席にライトが当たる。瞬時にドロドロに溶けた影人間が、渦を巻きながら雄大の姉に変化した。


「みんなに迷惑かけて、あんたは今どこで何をしてるん!!」


(違う……おれのせいちゃうねん!)


 心の中で叫ぶが、姉には届かない。


「異世界って楽しいな〜 見たことない建物、聞いたことない言葉、全部が新鮮すぎてもう帰りたくない!!」


(これネタの台詞じゃない……今おれは何を喋っている!?)


 「シャリーン、シャリーン」と、今度は2回鳴った。姉の両脇にもライトが当たる。2人の影人間の体が炎にまみれる。影が溶け、炎が消え、両親に変わる。


(お父さん……お母さん……)


 雄大は泣きそうになりながらも、2人に釘付けになった。


「まったくお前は……こんなことをやるために実家を飛び出したんか?」


「何で家に残ってくれんかったん?」


 父親、母親が続けざまに言う。


「……それは、どうしても、夢を諦めきれへんかったからや!」


 気づいたら、ネタを止めて両親に向かって叫んでいた。


「夢を諦めきれない? それは嘘だ」


 上手の方から声がした。


(この声は……)


「だったら、どうして『ものまねゴッド決定戦』の決勝に来なかったんですか?」


 影人間がだんだんと近づいてきて、雄大の近くで立ち止まった。


 鈴の音は鳴らなかった。代わりに、彼の頭上から大量の金貨が降り注ぐ。金貨は水を吸うように影人間へ染み渡り、河島へと徐々に変貌していった。


 眉毛を下げた河島が、覚悟を決めて口を開いた。


「先輩との決勝を待ちわびていたのに、何であんたは逃げたんだ!」


「いや、行こうとしたんだよ! でも俺は遠い異世界に飛ばされた……!」


「そんな、子供がつくような嘘を言われても困りますよ」


「違う! 嘘じゃない!」


「いや、先輩は逃げたんだ!」


 コトドリ、姉、両親も「お前は逃げた」と、雄大の顔を指す。


 それに呼応するように、影人間たちは立ち上がる。


 ピアノの鍵盤を一斉に押したときの不協和音が鳴り響いた。


 影人間らは、審査員、カメラマン、照明さん、AD、お客さんの顔へと一気に変わる。


 会場中の人の指が、ゆっくりと雄大に向く。そこから「お前は逃げた」の大合唱が始まった。


 雄大はその場にうずくまり、頭を抱えながら「違う、違う、違う!!」と否定する。


「だったら、証明しよう」


 それは、どこかで聞いた声──


 懐かしく、優しく、穏やかな声だ。


 ふっと明るくなり、会場に照明が点いたのが分かった。


 すぐに静寂も訪れた。


 雄大がゆっくり顔を上げると、影人間たちは全て居なくなっていた。


 その代わりに、赤いフード付きのローブを纏った男が、目の前に立っていた。しかし、彼の顔は影に覆われている。


「君なら出来るよ」


 彼は、手を差し伸べてきた。



 そこでプツリ、と景色が途切れた。



 目を開けると、そこはA-12号室の寝床だった。


 通信魔道具に表示された時刻は【5時17分】。


 休日の3が始まった──


 

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