:第32話 「喚声と沈黙」

 困難な状況の中、補給を届けてくれた輜重隊しちょうたいの兵士は、自分にもっとできることはないかとたずねてくれた。


 第二大隊が戦っているから、物資を届けてくれ。

 彼は基地を出る時にそういう命令しか受け取っていなかったから、昼間にあった戦いのことも、そして、ここにいるのは味方が戦線を立て直し、後退する友軍を守るために残った志願兵なのだということも知らないままに、とにかく物資を運ぼうとここまでやって来た。

 そしてそれが終われば、さっさと後方に戻るつもりでいたのだ。


 だが、その事情を知ってしまうと、ハイ、これで役割は果たしたから、さよなら。などとは言えなくなってしまったらしい。


 しかし、第二大隊はその申し出を辞退した。

 弾薬などはありがたく頂戴するものの、ここにトラックとそのドライバーがいたところでどうにもならない。

 強力な敵戦車を撃破する役には立たない。


 それよりも、帰り道で先に後退していった友軍の兵士たちを発見したら、できる限り乗せて行ってやって欲しいと依頼して送り返し、トラックはまた夜の闇に紛れて走り去っていった。


 それに、彼は貴重な砲弾だけではなく、使えそうなものをいくつももちこんで来てくれた。

 それらを有効活用するために第二大隊はさらにいくつかの仕事をこなさなければならなくなったが、その意義は十分に大きかった。


 トラックを見送ってしばらくしてから、アランはしまった、と気づく。


(遺言、持って行ってもらえばよかったな)


 輜重隊しちょうたいだって危険な目に遭うだろうが、無事に基地に帰りつける可能性はある。

 だとすれば、彼に預けた方がより確実に遺言状を家族の下に届けてもらえたのではないかと気づいたのだ。


 しかし、もう遅かった。

 過ぎたことは仕方がないと考え直すと、アランはじっと、連邦軍が攻勢を再開するのを待ち構える。


 ———それは、明け方に始まった。


 まだ、太陽が昇る前。

 うっすらと東の地平が明るくなり始める黎明れいめいが過ぎ、空全体がわずかに明るくなって、視界が開ける天明てんめいを迎えた瞬間。


 西の方向から榴弾砲が咆哮ほうこうする重苦しいとどろきが、ドン、ドンドン、と響いてきて、直後、第二大隊が以前に陣地を築いていた丘の上に弾幕が降り注いだ。


 放列から発射された無数の砲弾が、空中で、あるいは地面に突き刺さって炸裂する。

 途切れることとのない爆発で地面はえぐられ、たちまち草木が四散して地面がむき出しとなり、吹き飛ばされた土や小石が絶え間なく宙を舞った。


 その光景を、アランたちは新たに築き直した陣地の塹壕の中から静かに見守っている。


(昨日のうちに陣地転換しておいて、良かった……)


 心の底から、そう思う。

 連邦軍からの攻勢前の準備射撃は、おそらく二十門以上の火砲から放たれている。

 もしその弾幕の直下にいたとしたら、たとえ塹壕に隠れていたとしても多くの被害が出てしまっただろう。


 陣地転換をしておいたおかげで、第二大隊は砲撃による犠牲を出さずに済んだ。

 それは間違いなく嬉しいことであったが、同時に恐ろしくも思える。

 この砲撃は、連邦軍がどれほど本気でここを突破しようとしているかを示唆しさするものでもあったからだ。


 やがて砲声は唐突に鳴りやんだ。

 三十分ほども続いていただろうか。

 準備砲撃としては短い部類に入るかもしれないが、雨のように降り注いだ砲弾によって、以前戦った陣地は見る影もないほど破壊されていた。


 禍々まがまがしい火薬の咆哮が途絶えると、代わりに聞こえてきたのは、———喚声かんせいだった。


 数千名にもなるかもしれない兵士たちが、叫んでいる。

 アランにとって耳慣れない外国の言葉で、雄々しく、張り裂けんばかりに。


 突撃が始まったのだ。

 戦車単独ではなく、歩兵部隊を伴った本気の突撃。

 砲撃で弱体化させた陣地に一気に接近し、制圧しようとする試みだった。


 戦車からの砲撃と、走りながら乱射される銃撃。

 それらは今、アランたちが息を潜めている場所に向けられたものではなかったが、その激しさにはやはり、恐ろしさを感じてしまう。


 ほどなくして、平野部からひとつ目の丘を登り切って、連邦軍の戦車と、歩兵たちがその姿をあらわした。


 みな、拍子抜けしているようだ。

 昨日は激しい抵抗を示して来た王立軍の将兵が、そこには一人として残ってはいなかったからだ。


 あるのは残骸だけ。

 王立軍は負傷者だけでなく遺体も出来得る限り収容して後送していたから、なにも残っていない。


 本当に、誰もいないのか。

 連邦軍は雰囲気でそのことを悟りつつも、それでも予断はできず、自分たちが砲撃で穴だらけにして歩きにくくした地面を動きづらそうに行き来し、彼らにとっての敵、王立軍が残っていないかを確認していく。


 第二大隊はこの攻勢に対して、沈黙で応じた。

 それが作戦であったからだ。


 この場に残って戦う目的は、時間を稼ぐことであった。

 そのために利用できそうな状況は、なんだって利用する。

 連邦軍が王立軍の不在を確かめるために足を止め、労力を費やすのであれば好きにさせればいい。


 平野からひとつ目の丘ではなく、ふたつ目の丘に陣地転換をして隠れているこちらに気づいていないというのならば、存分に調べさせてやろう。

 そうしてどんどん、余計な手間を使わせれば、その分、王立軍は戦線を立て直す猶予ゆうよを得られ、退却中の味方はより遠くまで後退することができる。


 やがて連邦軍は、本当に王立軍がそこにいないことを確信したのだろう。

 だまされたと知っていら立ちつつも、戦闘が発生しなかったことからほっとした様子で兵士たちは散開隊形を解き、それぞれ適当な場所を見つけて分隊ごとに集まっていく。


 おそらく、制圧した陣地で休息してから、進軍を再開しよう、とでもいうのだろう。

 彼らは停車した戦車の脇やクレーターの中などで武器を置き叉銃さじゅうを作ると、談笑しながら水筒から水を飲んだり、煙草を吸ったりし始める。


 だが、全員ではない。

 帝国軍との戦いですでに何年も実戦経験を積んでいる連邦軍は油断することなく、偵察の兵士を周囲に放ち、安全を確保するための手順を踏んだ。


 その任務に選ばれてしまった兵士たちは渋々、といった様子ではあったものの、しっかりと武器をかまえ、周囲に目を光らせながら進んで来る。

 丘を下り、小川にかかっている小さな橋を越え、こちら側にまで進もうとする。


≪全分隊、撃ち方始め! 撃て、撃てッ! ≫


 無線機からヴァレンティ中尉の叫び声が響いたのは、連邦側の偵察兵が橋の下に何かないかと確認するために潜り込もうとした時のことだった。


 その命令を、待っていた。


「目標、正面! 丘の上! のんきにくっちゃべってる一団! なんでもいいから、撃ちまくれ! 」


 ベイル軍曹の号令で、分隊はその保有するすべての小火器を発砲した。

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