第14話 走馬灯バージョン2

 木鈴が次に話そうとした言葉は、地を揺らす大きな振動に掻き消された。どこかに隠れていたのか、それともただの演出なのか、小鳥たちの群れが一斉に飛び立った。それは竹林の葉の隙間を一気に埋め尽くして、たちまち辺りは黒い影の下となった。

「寺中さんです!寺中さんが人間に戻ったんでしょう。急ぎますよ!」

「なぁ、君。」

「いいから!」

 さより様は木鈴の手から箱を払い落としてその腕を取った。木鈴は思わずその箱をキャッチしようとしたが、メダルだけが指に絡まって箱はそのまま地面に落ちていった。メダルは今、木鈴の手にしっかりと握られている。

さより様は走り出した。そして木鈴はそれに引っ張られる格好となった。前にもあった光景である。ただこの時は、今までよりも一層強い力で木鈴は腕を掴まれていた。

 次々と竹が過ぎ去って行く。木鈴は凹凸のある地面を転ばないよう走るのに必死であった。しかしながら、頭の中はそれどころではなかった。木鈴は今すぐにでも立ち止まって、さより様に学園長について問いただしたい気持ちで一杯であった。しかしながら、二人は走り続けた。そのスピードはどんどん上がっていった。行く先はこの精神世界の出口である。この際、現実世界の脱出口であってもなくても構いやしなかった。

 だが突然、さより様が急停止した。勢いを殺せなかった木鈴はつんのめって前方に転倒した。左腕はさより様に離されていなかった為に、変な方向に曲がって脱臼しかけている。木鈴は潰れた声を上げて抗議すると、ようやく離された腕をそろそろと下ろして、慣れた手つきで関節をはめ直した。

「急にどうしたんだ。」

「来ます。あの子が。」

 木鈴は地面に伏したまま、さより様を見上げた。仁王立ちの彼女は真剣な面持ちを浮かべて前方をじっと見つめている。すると突然、竹を焦がすかのような乾熱風が、ごぅと音を立てて通り過ぎていった。大きな炎が、さより様のすぐ横を掠めていったのである。

「散々、侮辱してくれたわね。」

 木鈴の目の前の竹林は炎に包まれていた。竹は木材みたくは燃えないはずであるのに、寺中の怒りにあてられて轟々と火を噴いているのであった。青々としていた筈の竹はその身を黒く焦し、燃え尽きたものから順に脆く崩れ去っていった。

 突如として現れた寺中は、彼女自身も赤い炎に包まれて燃えていた。ただ彼女は焼け爛れているのではなく、その炎を纏っているかのようであった。しかしながら、その顔は怒りにより醜く歪んでいた。さしずめ鬼の形相であった。

「不味いです木鈴さん。」

 さより様は寺中から目線を逸らさずに言った。

「あの子の自己像が固すぎます。もう同じ手は通用しません。」

「さっきの、相手を鳥とか他の生物に変える技か?」

 どうやら寺中は怒りの化身である自分自身を、強い力で念じすぎている様である。それはさより様が上書きを出来ない程に強固なものであり、もう一度寺中を鶏に変えてしまうのは不可能なのであった。

 木鈴は地面を掻いて起き上がった。起き上がって、何かをしなくてはいけないという衝動に駆られた。この状況を打開する何かである。しかしながら、それは簡単には思いつかなかった。だが寺中は手に鉈を構えていて、いつ襲いかかってきてもおかしくない状況であった。木鈴は困った。困って思わず頭を掻こうとしていた。そしてその時、自身の手にあのメダルが握られたままであったのを思いだした。

「一か八かだ!」

 そう木鈴は叫ぶと、手にあったメダルを寺中目がけて投げつけていた。それは運良く、寺中の鎖骨にぶつかった。だが木鈴は正直、何が一で何が八になるかも分かっていなかった。

 メダルは、寺中の鎖骨の上に当たった。そしてメダルはその場所に貼り付くと、少しずつ溶けかけいった。寺中はそれを剥がして手に乗せると、それを見やって大きく目を見開いた。メダルはどんどん溶けていき、液体となって寺中の指の間から零れていく。寺中の手は小さく震えていた。そして彼女はぼろぼろと泣き出すと、嗚咽混じりの叫び声を上げた。火力は倍にも膨れ上がった。

「しまった!逆効果だったか。」

 その時、木鈴の隣からも同じ様な叫び声が上がった。驚いて木鈴がさより様を見やると、彼女が三角巾を握りしめてその場に膝を着いていたのであった。木鈴は驚きのあまりどうすることも出来なかった。

 しかしながらそんな中でも、寺中は木鈴に襲いかかってきた。身を裂く様な叫び声を上げて、なまはげもびっくりの迫力で木鈴の脊椎を叩きのめそうとしてきたのである。

 ここまでか、と木鈴は自分の人生を諦めた。そしてそっと目を閉じると、愉快なBGMと供に、走馬灯バージョン2を脳内で繰り広げ始めた。迷惑をかけてきた人達への懺悔や感謝はバージョン1で終えているので割愛し、嬉しかった出来事・悲しかった出来事・衝撃的だった出来事を思い出すコーナーへと早々に移行した。

走馬灯のコツは、古い記憶から片付けていく事である。木鈴の一番古い嬉しかった記憶は、傷だらけだと思っていたコップが実は星座柄のコップであった事に気が付いた時のものである。悲しかった記憶は一生懸命書いた年賀状が宛先不明で帰ってきたときのものだ。そして衝撃的だった記憶は、初めて父親に看病されたときホットおしぼりを額に乗せられたときの記憶だ。この三つで走馬灯の冒頭は完成する。

 次に木鈴は、中・高校生の頃の記憶は飛ばして、大学に在籍するようになった頃からの記憶を呼び出そうとした。しかしながら、それは上手くいかなかった。どう足掻いても、思い返したくもない中・高校時代の記憶が邪魔をしてくるのだ。忘れもしない中・高校時代、木鈴は影でマッドサイエンティストと呼ばれるのを満更でもなく享受していた。そしてそのキャラを板に付けようと教室内に濃硫酸を無許可で持ち込み、机を真っ黒に焦したのであった。いま丁度燃やされている竹の様に、綺麗な黒色であった。

 これに関して木鈴は勿論、こっぴどく怒られた。校長からも理科教師からも親かも怒られた。よく知らない大人からも怒られていた。そしてその時に、

ダンッ

と叩かれたものであった。

 「ダンッ」である。木鈴はその音を、もう一度脳内で再生した。「ダンッ」それはなんだか小規模な爆発音に近かった。木鈴は平手打ちを食らっていただけであるはずなのに、回想の場面で木鈴の脳内に飛び込んできたのはその音であった。

 何やら走馬灯の様子がおかしい事に気が付いた木鈴は、その拍子にもっと不思議なことを発見した。まだ、死んでいないのである。走馬灯を始めてから結構な時間が経っているのにも関わらず、痛みも何も感じていないのである。一瞬で殺されて死後精神世界に移行したのかもしれないと考えて木鈴はそっと目を開いたが、そこは炭となった竹が立つばかりの空間であった。そして寺中がいた方を見やればそこには倒れた状態の寺中が存在していて、さより様がいた方を見やれば、そこには膝立ちのまま呆然としている彼女の姿があった。さより様の手には、拳銃が握られていた。その拳銃からは、細く小さな煙が立ち上っていた。

「なぁ、君。それはどうしたんだい。」

 炎はもうすっかりと消えていて、触れば黒くなりそうな竹炭が、籠もった熱を冷ましながらそこら中に立っていた。さより様はその高くそびえる竹炭に囲まれて、そっと地面に座り込んでしまっていた。そしてさより様は震える手から拳銃を零すと、顔を歪めて、わっと泣き出してしまった。

 木鈴は呆然と立ち尽くしていた。静まりかえった竹林の中で、さより様の苦しげな嗚咽だけが響いていた。さより様は泣いていたが、それを押し殺そうとしていて、下唇を噛み締めたまま、えずいていたのであった。

 遂には本当に吐き気を催してしまったのか、さより様は近くにあった竹に縋り付いて咳き込み始めた。竹に触れた手は炭で真っ黒になり、擦り当てられた白い服にも、黒色の汚れがこびり付いていた。木鈴はそれを見やるとようやく彼女に近寄って、その背を不器用に撫でてやった。だが彼女の容体は一向に良くならず、だがしかし嘔吐する様子も無かった。

 しばらくその状態が続いた。その間、木鈴はさより様の隣でずっと跪いていた。寺中は地面に血溜まりを作って倒れたまま、指の関節ひとつすら動かさなかった。フラミンゴも居た。フラミンゴも動かなかった。フラミンゴは動かないまま、さより様を小さな目でじっと見つめていた。

 やがて、軽く地を削る音がして、木鈴は思わず振り返った。その音はフラミンゴが片足で跳ねる音であって、フラミンゴはいつの間にか、さより様が落とした拳銃の側までやって来ていた。そしてフラミンゴは首を伸して拳銃を器用に咥えると、それを天に掲げて、一気に飲み込んでしまった。フラミンゴの首の膨らみが、胴へとゆっくり降りていく。すっかり拳銃を仕舞ってしまったフラミンゴは、その後、首を軽く震わせると、突然飛び立って去って行ってしまった。大きな羽が遠ざかっていくのを、木鈴は唖然として見上げていた。


 拳銃がなくなってから、さより様の容体は少しずつ良くなっていった。結局彼女は嘔吐する事は無かったが、やがて苦しげに喘ぐのを止め、穏やかな呼吸に戻っていった。すると彼女はもう疲れてしまったのか、脱力した様子で木鈴の肩に寄りかかっていた。炭と汗と涙で汚れたさより様の手は、彼女の顔と服を黒く穢してしまっている。木鈴は彼女の肩をそっと抱くと、彼女が落ち着くのをもう少し待った。

 太陽のないこの世界では、時が流れているかも分からない。だが、いくらかの現象は終わりを迎えつつあった。その頃にはもう、さより様が啜り泣く声も消えつつあった。木鈴は彼女に一声かけると、弱々しく頷いた彼女を背負ってゆっくりと立ち上がった。

 さより様を背に乗せたまま、木鈴は竹林の中を歩き始めた。行く先は竹の見えない場所である。さより様は決して羽のように軽い訳ではなかったが、木鈴にとっては彼女の重さがむしろ安心の材料であった。彼女の息遣い、温もり、それら全てが彼女を成していた。それらを背負って、木鈴は歩いていた。

 さより様は黙っている。木鈴から彼女の顔は見えなかったが、木鈴は彼女の表情を想像して、それ以上深いことは考えなかった。ただ木鈴の中の彼女の顔はどういう訳か酷く無表情で、その彼女すら何も考えていない様であった。

 程なくして、木鈴の息は上がっていった。さより様に腕を引かれて走る際には不思議なことに少しの疲労も生じなかったものだが、今現在木鈴の一歩は鉛の枷があるかのように重たいものであった。木鈴の額からは汗が流れ出ている。いつ倒れてもおかしくない状態であった。だが木鈴は、ふらついた足取りで歩みを続けていた。足を止めてしまえば彼女が死んでしまうと、確かではないがそんな思い込みすらあったのである。

 どれだけ歩いても、どれだけ歩いても、木鈴の目の前には竹があった。地平線の彼方までもが青々しく、茶色の地面は一切のムラの無い単色であった。木鈴は身体が崩れそうになるのを懸命に堪えていた。そして気を抜くと滑り落ちそうになるさより様を、何度も押し上げて背負い直していた。

 地獄、というよりかは仏の天罰であった。だがしかし、本当にそうである訳ではなかった。ここは死後世界といえど、現実人生の延長線上にある場所であり、科学的証明が成されるべき場所であるのだ。少なくとも木鈴はそう考えている。そしてその証拠に、遂に木鈴の目の前に、精神世界の出口が現れたのであった。この場所は勿論、永遠などではなかった。

 またもや、騙し絵みたいな膜である。遠くの竹の大きさが変わらないのを、木鈴は始め遠近感が狂ったせいかと思ったが、そのゴールを理解するや否や、彼は力強い一歩を踏み出していた。そして力なく背中に乗っている彼女に声を掛けると、木鈴は、その膜に向って走り出していた。

 全身の疲れは、神経が焼き切れるほどの興奮に塗り替えられていた。木鈴は自身の枯れた喉から、身体が千切れるかのような声が漏れるのを聞いた。

 止まってはいけない。ゴールの先もまだ油断は出来ないのである。膜を突き破る衝撃が木鈴の脳を直撃したが、彼はそれに怯んでいられなかった。


 木鈴は走った。突如として現れた長い廊下を、一心不乱に駆け抜けていった。そして今まさに走っているこの廊下が、かの大学の廊下であることに気が付いて、しかも、その瞬間に目に留まったのが、物質作用学研究室の看板であったとき、木鈴は、遂に倒れてしまったのであった。

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