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『サマーバイキング』の反響は予想以上のものだった。
ちょうど開始が七月三連休に重なったという事もあり、初日は開店前から列が出来る賑わいぶりだった。
「いらっしゃいませ。お一組様ずつご案内しますので、お名前を書いてお待ちください」
久坂マネージャーは入口でウェイティングを捌くので精いっぱい。次から次へと新たな客が入って来るので、案内している側から料理もどんどん減って行ってしまう。有希さんと琴ちゃんの他、俺や乃愛、りーやモモちゃんの中から毎日四人体制で挑んでいるにも関わらず、目の回るような忙しさだった。
「カポナータあがったよ!」
「スカペーチェ、出来ました!」
「ジェノベーゼ! 次、ピッツァ・ボスカイオーラ行くよ! どんどん持ってって!」
キッチンは更に火の車だ。これまでは健ちゃんはひたすら前菜を、シェフはパスタ、悟さんはピッツァを担当していれば良かったのに、提供するメニュー数が増えた分負担は大きくなる。シェフが焼いたり煮たりといった温かい料理を担当する為、悟さんは一人でパスタとピッツァをこなさなければならなくなった。
「次、マルゲリータとカルボナーラお願いします!」
料理卓を担当する乃愛の声に、
「マジかよ! ついさっきカルボ行ったばっかりじゃんか!」
と悟さんが悲鳴のような声を上げる。
「カルボは人気なんですぐ取られちゃうんですよ!」
「勘弁してくれよ!」
相手が乃愛だからこそに上手くやれているけれど、俺だったら「いい加減にしろ!」とどやされている所だ。
それでも、客の反応は良かった。一週間も経たない内にリピートする客もいるぐらいで、まさに客が客を呼ぶ状況が生まれていた。始まる前はバイキングなだけに長居する客も多いのではないかと懸念されていたけれど、ガラス貼りの窓の外に途絶える事のないウェイティングの列が嫌でも目に入る為、皆さん食事を終えるとそそくさと席を立ってくれた。これまではどんなに頑張ってもランチで百人ちょいをこなすのが精いっぱいだったというのに、毎日のように百五十人近い客数を叩くようになった。
「ちょっと落ち着かないわね。もう少し高くてもいいから、フルサービスのメニューも用意したらどう?」
と葛西社長は眉を潜めたものの、それでも翌週にはすぐにまた顔を見せた。いつも一緒に来る影の薄そうな息子さんが率先して何度も料理を取りに往復していたから、なんだかんだ言って、気に入ったらしい。
「ウチは既製品使ってないからね。こんなに手間暇かけた美味い料理でバイキングやってるのなんて、ウチぐらいのもんだよ」
顔中に疲労を滲ませながらも、シェフは自慢げに語った。誰もが頷くしかなかった。こんなに本格的なイタリアンを僅か千八百円という低価格で提供している店が他にあるとは思えなかった。
「お前らこんなもんまかないで食べれるなんて幸せだぜ。感謝しろよ」
そう言って悟さんが、ランチで残った料理のうち、廃棄分をまかない用に渡してくれた。今日はパスタとピッツァ、蛸のアッフォガードと茄子のラザーニャ、トマトとイワシのマリネだ。残った料理はある程度使い回しが効くものは翌日に回すが、パスタやピッツァは使い回しは出来ないし、日持ちするものでもせいぜい二日が良いところだ。そうして残ったものに関しては、スタッフのまかないに回される。
「やっばーい! ラザーニャ食べたかった!」
爛々と目を輝かせるモモちゃんに、
「ペペロンチーノにアッフォガード掛けて食ってみろよ。ピリ辛のトマトソースパスタになるぞ」
悟さんが指南する。これぞスタッフだけが知ってる裏メニューというヤツだ。
「うっまーい! マジやっばーい!」
モモちゃんはこれでもかというぐらいに目を見開いた。
「女の子にはこれもあげるよ」
健ちゃんがやってきて、ティラミスの残りを小皿に載せて差し出した。生クリームまで添えた大サービスだ。これにはりーも、
「ヤバい、超幸せかも! 涙出そう!」
「ホント、毎日バイト来たい!」
と大げさに感激する。彼女達の喜び方は上手だ。「美味い」「美味しい」を連呼しながら、本当に美味しそうに食べる。これだけ喜んでくれれば、悟さん達も悪い気はしない。
「そんな事言って、また泣きそうになってたじゃんか」
「だって今日はマジでヤバかったもん。どんだけ来るの、って感じ。お願いだからもう来ないでって思いましたよ」
確かに今日は日曜日だけあって、大変な混みようだった。始まって二週間。だいぶ巷では噂が広がっているようだ。一旦落ち着きを見せるはずの十三時を過ぎても列が途切れず、店の前の緑地帯まで延びそうな勢いだった。慌てて久坂マネージャーが整理券を配布し、『本日のランチは受付終了です』の看板を出したからまだしも、それでもひぃひぃ喘ぎながらなんとかこなしたような状況だった。
「賽の河原みたいだったもんな」
俺の言葉に、みんなキョトンとした表情をした。あれ? 通じてない?
「ほら、賽の河原ってあるじゃん。親より先に死んだ子どもが石を積むんだけど、鬼が来て壊されて、その度に積み直さなきゃいけないっていう地獄の。ずっと料理の補充してたらあれ思い出してさ」
「なにそれ? じゃあ私達が死んだ子供で、お客さんが鬼みたいな」
りーとモモちゃんは揃って噴き出した。
「実際鬼みたいなもんだろ? 補充した端から鬼みたいに山盛り持って行くんだぜ。やってる事は地獄と変わらないよ」
「俺にはお前らの方が鬼に見えるけどな」
いつの間にか側に来ていた悟さんが、火の点いていない煙草を咥えたまま、自嘲気味に笑った。
「俺らが一生懸命作っても作ってもあれくれこれくれって。俺らの方が地獄だぜ。あー腕痛え」
むずむずと吸いたいのを我慢するような様子で、煙草を咥えたり、口から離したりを落ち着かずに繰り返す。悟さんは元々喫煙者だ。ただし、勤務中は絶対に吸わないようにしているらしい。それでも口さみしいのか、時折こうして火もつけずに煙草を咥えたりする。その目には隈らしき影が浮かび、少し疲れが見える。
キッチンにとっては明らかに業務量が増えていて、毎日店が閉まった後も、遅くまで仕込みをしているらしい。バイキングが始まって以来、定休日である水曜日も含めて三人とも一切休みを取っていない。そうは言ってもシェフはディナーの最後のデザートが出るのを見届けると「じゃ、お先に。悟君、あとよろしく」と帰ってしまうから、実質的には悟さんと健ちゃん、二人で仕込んでいるようなものだ。
それでなくともバイキングの開始当初は消費量が見極められず、健ちゃんなんかは仕込みを切らしてしまって大騒ぎになった。高杉シェフはキッチンの仕事は絶対にホールの人間に手出しさせないが、その時ばかりは見るに見かねた琴ちゃんがキッチンに入って、見様見真似で野菜のカット等を手伝うのを黙認した。久坂マネージャーもデシャップをやりながら、レタスを千切るような始末だった。
後でシェフや悟さんからこっぴどく怒られた健ちゃんだったけれど、悟さんもまたパスタソースを切らしてしまったり、シェフも材料のストックを切らしてしまったりという失態も相次いだ。ところが二人の場合には、身近にある材料を組み合わせて即興で別の料理を作って間に合わせてしまうのだから、流石だ。こちらはそんな事件があったなんてさっぱり気づかず、終わった後で「実は切らしちゃったんだ。間一髪だった」なんて聞かされる事の方が多かった。
開始から二週間が経過する中で、だいぶ仕込みの分量も把握してきたが、結果としてそれは当初の想定を遥かに上回る量を用意しなければならないという事実に他ならなかった。
だから最近では、ランチが終わると琴ちゃんやモモちゃんはキッチンに駆り出され、材料のカットや盛り付け等の簡単な調理を手伝うケースも見られるようになってきた。それでも、悟さんや健ちゃんの負担は膨大だ。
「でも、お客さんめっちゃ喜んでくれてますよー。もう最高、またすぐ絶対来るからって」
りーが慰めるように、満面の笑顔で言う。俺達ホールスタッフにとっても目の回る忙しさなのは変わりないが、客の満足度が目に見えて高いのは何よりの支えだ。料理や店の事を褒められると、自分が褒められているような気分になる。
ところが、
「やるだけやって喜ばすのは簡単なんだけどなぁ」
とため息のように意味深に呟くと、悟さんは煙草をポケットにしまって戻って行ってしまった。
やっぱり悟さん達にとっては、もう少し業務を軽減して欲しいところなのだろうか。
何も知らない俺は、その時は単純にそう思ってしまった。
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