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 一年以上の付き合いの間に、市内外に私達の行きつけの秘密の場所は幾つも作られていた。

 人気や車通りが無く、安心して愛し合えるような、秘密の場所。

駅裏の小高い丘の上にある墓地も、その一つだった。鬱蒼とした杉林に囲まれた気味の悪い場所で、夜になるとほとんど誰も足を踏み入れる者はいない。

駐車場に車を滑り込ませると、たった一日空いただけだというのに、もう何日も会えなかった恋人同士のように抱き合った。お互いに「会いたかった」「愛してる」と愛の言葉を繰り返した。そうすることで、会えない間に膨れ上がった不安や不満はするりと解けてしまうのだった。

彼としては昨日連絡一つしなかったお詫びも兼ねての食事だったのかもしれないけれど、ああして周囲の目を気にしながら当たり障りのない会話を続けるような気分じゃなかった。もっとストレートにお互いの気持ちをぶつけあいたかった。

もしかしたら昨夜は、同じように奥さんを抱いたのかもしれない。彼は「子どもが生まれて以来全く関係してない」と言い張るものの、本当の所は知らない。そんなに長くセックスレスの状態が続いて、奥さんは平気なのだろうか? 私との関係に気づかれない為にも、時々は抱き合わずにはいられないのではないだろうか。

そんな不安も、耳元で囁かれる無数の愛の言葉と、体の奥を突き上げる彼の熱に消し飛んでしまう。二人の距離が完全にゼロになるこの時間だけは、ただただ愛に身を任せていられる。彼に抱かれている間は、心まで満たされる。

「このまま消えちゃいたいね」

 私を抱きながら、彼は決まって言った。

「二人とも溶けて、消えてなくなってしまえばいいのに」

 私も同じ気持ちだった。

 いっそこのまま溶けて、体も心もぐちゃぐちゃに混ざり合ったまま消えてしまえればいいのに。

 そうしたら、二人を取り巻く様々な面倒からも逃れられるのに。

 でも私達は、ゼロ以上になる事はできない。

 どんなに愛し合っても、今以上に二人の距離を縮めることはできないのだ。

  

 行為が終わると、いつものように彼は窓から身を乗り出すようにして煙草を吸いながら、言った。

「もうすぐ夏だなぁ」

 その台詞があんまりにも臭くて、私は思わず吹き出してしまった。

 行為の後は、どこか白々しい空しさが込み上げる。あんなに熱く愛し合った熱も冷めやらない内に、私達はそれぞれの家へと帰る。さっきまでしつこい程に交わした愛の言葉は、もしかしたら演技なのだろうか? そう勘繰ってしまうぐらいあっさりと、お互いに割り切って。

彼の言葉はわざとおどけているようにも聞こえた。

「いや、夏休みが来るなぁと思って。今年の夏も、大変だろうな」

 間もなく七月に入る。私達は前期のテスト期間に入り、それが終わる頃、世の中は夏休みに突入だ。

 昨年の夏休みは本当に酷い思いをした。連日のようにランチ、ディナーを問わずひっきりなしに客が訪れ、アルバイトの人員が不足していたのも重なって、ただただ必死で乗り切るだけの毎日を過ごした。私達アルバイトですらそうなのだから、マネージャーとして店を仕切る彼の辛苦たるや、想像を絶するものがあるだろう。休日なんて皆無だったはずだ。

「りーちゃん達、それまでにもうちょっと育ってくれるといいね」

「うん。でもそれにしたってやっぱりパニックは避けられないだろうなぁ」

「アルバイトの求人、出してるんでしょう?」

「ああ。でもウチはキツいって噂が広まってるみたいでね。なかなかしっかりした人が応募してきてくれないんだ。たまに来たと思えば、未経験のおじさんとかで。本当は猫の手でも借りたいところだけど、店の雰囲気もあるからなぁ」

 またあんな思いをするのか。想像しただけでぞっとする。りーちゃんやモモちゃんも、育つどころかむしろ辞めたいと言い出すんじゃないかと心配になってしまう。

 なんとか打開策はないのかと頭を巡らしていると、ふと閃いた。

「そうだ、バイキングとかどう?」

「バイキング?」

「そう。今みたいなコース形式だとどうしても人手もかかっちゃうけど、バイキングにして自分で料理取りに行ってもらうようにしたら、だいぶ手間が省けるんじゃない? せめて夏の間だけ、イベント的にバイキングにするとか」

 私の提案に、彼は大きく目を見開いたかと思うと、顎に手を当てて考え込んだ。眉間に皺を寄せて、見ようによっては怒っているように見えなくもない。

 もしかしたら、出過ぎた事を言ったのかも。彼は長年サービスに携わるプロとして店の事を日夜考えてるのに、私なんかが軽々しく口を挟んじゃいけない問題だったのかもしれない。

「あの……別に気にしないで。素人がちょっと思いつきで言ってみただけなんだから」

「いや」

 取り繕おうとする私に向いた顔には笑顔が浮かんでいた。

「面白いかもしれない。……うん、バイキングか。それなら……」

 彼は満足そうに何度も頷いた。

「実は夏のピークの売上の山をもう少し高くしなくちゃならないとは思っていたんだ。それには単価を上げるか、回転率を上げるしかないんだけど、今のスタイルだとどうしても限界があってね。バイキングならどっちの問題も解決するかもしれないよ。ありがとう、乃愛」

 彼が殊のほか喜んでくれたので、私は面食らってしまった。

 でも驚きはすぐに歓びに変わった。仕事上ではずっと私を指導してくれた責任者として相対してきたけど、私でも彼の役に立つ事はできるんだ。社員とアルバイトという関係じゃなく、同じ店で働くパートナーとして、彼を支える事が出来るのかもしれない。そんな思いがふつふつと浮かんできた。

「明日にでも高杉シェフに相談してみよう。そうだ、バイキングになれば機材も必要になるな。わざわざ買わなくても、確かレンタルもあったはずだ。色々忙しくなるな。乃愛、ちょっと手伝ってもらう事もあるかもしれないけど、宜しく頼むよ」

「うん」

 私は飛びっきりの笑顔で答えた。

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