*
◇ ◇ ◇
翌水曜日、一旦『フィオーレ』に集合した後、
「じゃあ、まずは買い出しに行こう! 陽君とりーちゃんは料理班ね。ももちゃんと私は飲み物とスイーツ班!」
とやたらと張り切った乃愛の声で、俺の長い長い一日は始まった。
正直なところ、乃愛の企みは見えていた。
おそらく、りーちゃんと俺をくっつけようとしているに違いない。
最初はまさか、と思ったものの、少し前から「どうもりーちゃんは俺に気があるんじゃないか」と感じるようになってしまった。というのも、りーちゃんの俺への接し方は、有希さんに対する俺を彷彿をさせるものがあり、嫌でも気づかざるを得なかった。
何かと「先輩」と俺を慕い、久坂マネージャーや乃愛がいたとしても俺に指示を求める。仔犬に懐かれたような気分だったけど、それにしては熱っぽい視線を感じる事が、ままあった。
「お題がホットプレートって、難しいですよねー。みんなでやるとしたら、焼肉とか?」
「マジで? 俺の部屋、臭いで大変なことになりそうだね。予算的にもちょっと厳しいじゃない?」
「そっか。じゃあ何にします? 焼きそばとか?」
「焼きそばはありだね。お好み焼きはどう?」
「お好み焼き好きー。美味しいですよね。私、マヨラーなんですよ。マヨネーズいっぱいつけて食べたら止まらなくなっちゃう」
りーちゃんはとってもいい子だ。真面目で一生懸命な上、気遣い屋で性格も明るい。見た目だって色白で目もぱっちり二重で、体型はちょっぴりふくよかだけれども、一般的には許容範囲のレベルだろう。
ところが、俺の心は完全に有希さんに占められてしまっている。相手がりーちゃんじゃなく、仮に芸能人のように可愛い女の子だったとしても、全く動じる事は無かっただろう。
職場の仲間として、りーちゃん達と仲良くやりたい気持ちはあった。しかし、恋愛感情を交えるのであれば、話は別だ。店の女の子達と一緒に遊んだと言えば、いずれ琴ちゃんは有希さんの耳にも入るだろう。あの二人の事だ、これ見よがしに、
「やっぱり若い女の子達と遊ぶ方が楽しいでしょう?」
なんて言い出すに違いない。
俺にとっては何よりも有希さんのその反応を想像するのが苦痛だった。
「お題はホットプレート」というあまりにも頼りない指令の元、俺とりーちゃんはスーパーマーケットの中をぐるぐるとあてどなく歩き回り、お好み焼きと焼きそばの材料を買い集めた。一方で、乃愛とモモちゃんはこんなに一体誰が食べるんだと驚くほどの飲み物とお菓子を抱えて帰ってきた。
俺の部屋で準備が始まったのだけれども、女性陣がまともに調理をしたのはほんの最初の数分ぐらいだった。「そういえばあのチョコレート冷やすと美味しいんですよね」なんてモモちゃんが言い出したのがきっかけで、「お好み焼きに柿の種入れると合うらしいよ」なんて彼女達の興味はいつの間にかお菓子の方に移ってしまい、気づけば俺一人で黙々と調理を進める羽目になっていた。
元々、料理は嫌いではない方だ。以前からちょくちょく簡単な自炊をしていたものの、『フィオーレ』で働き始めてからというものだいぶ料理にも興味が出てきた。店で使われているような高価な食材やマニアックな調味料はなかなか買えないものの、パスタやリゾットなんかは見様見真似で作ったりもする。
お好み焼きなんて半分遊びの調理実習で作った事しかないが、不慣れな料理に挑戦するのはなかなか楽しかった。
一通り材料を刻んで混ぜ合わせ、お好み焼きの準備を整えて狭いキッチンから居室に運ぶと、あろうことか既に飲み始めている始末。歓声をあげて俺を迎え、
「さっすが先輩! 手際がいい!」
「お腹空いた! 早く食べたーい!」
なんて無邪気なものだ。
改めて乾杯し、本当にシラフなのか疑わしいぐらい謎にテンションの高い女性陣を前に、お好み焼きを焼き始める。ヘラを使ってひっくり返す度に賛辞と拍手が巻き起こる。なんだかなぁ。
そうして自分の部屋で、ひたすらに同僚の女性三人にかいがいしくサービスを続けた。りーちゃんもモモちゃんも、そして乃愛までちゃっかり加わっているものの、決して悪い気分では無かった。三人ともおだてたり、人をのせたりするのが上手い。なるほど、こういう具合にシェフをはじめとするキッチンもあしらわれているのかと、変に感心する程だ。
変わった事といえばりーちゃんが、
「先輩器用でいいなぁ。一家に一台欲しい」
なんて言ったのを皮切りに、
「お兄ちゃんになってもらえばいいんじゃない?」
「駄目ならせめてりーと呼び捨てに」
「りーちゃん」じゃあ仕事中も呼びにくいし、ならいっそ「りー」と呼び捨てにした方がお互いやりやすいんじゃないか。そのぐらい受け入れられずに何が先輩だ。などと女性三人の集中砲火に合い、若干のアルコールも入っていた俺は抵抗も空しく受け入れる事になった。
正直なところ、リーちゃん――もとい、りーに慕われるのは悪い気分では無かった。俺も兄がいるだけなので、こういう明るい妹がいたら楽しいだろうな、なんて思わなくもない。
そうは言っても、ほろ酔いの頭の中でも過ぎってしまうのはやっぱり有希さんの顔だ。
有希さんには普段から、
「早く彼女作りなよ」
なんて惚けられているというのに、自分から墓穴を掘るような真似はしたくなかった。
「りーちゃん妹にしたんだって? 妹なんて言わずに付き合っちゃえばいいのに」
そう茶化されるのは目に見えていた。
有希さんに「やっぱり若い人は若い人同士」なんて言わせたくなかったし、とはいえ自分を尊敬し、信頼してくれる後輩がいればやっぱり可愛いし、無碍には出来なかったりもする。自分の不明瞭さが、酷くむず痒かった。
「高杉シェフって、結婚してるんですか?」
「してたらしいけど、今は一人暮らしみたいだから別れたんじゃないかな? よく駅前のスナックに飲みに行ってるらしいよ」
「へぇー、そういうの好きそうですもんね」
話題はどうしても共通項である店の話題で占められた。高杉シェフはあんなにスケベなのに、普段どうしているのか。悟さんは彼女がいるのか。健ちゃんは彼女どころか付き合った経験すらなさそう。久坂マネージャーは女性にモテそうだけど奥さんは心配じゃないのか。下世話なものばかりだけど、酒の席で交わされる話なんてそういうものに決まっている。
ちょうど時計の針がてっぺんを回る頃、ごろりと横になってプレッツェルを摘まんでいたはずのモモちゃんがずっと会話に参加していない事に気づいた。シン、と静まり返った瞬間、小さな鼾が聞こえてきて、俺達は顔を見合わせて笑った。
「もうこんな時間なんだね。私、明日学校行かなくちゃ」
「私達も学校ですよー。午後からですけど」
モモちゃんを移動させて布団を敷こうかと思ったものの、困った事に爆睡してしまったモモちゃんは呼ぼうが叩こうがさっぱり動く形跡が見られない。当初の予定では布団二組と寝袋があればなんとかなるだろうという話だったのだが、部屋の中央でモモちゃんが寝ているので、布団の敷きようがないのだ。
とりあえずモモちゃんをそのままにもしておけず、上から毛布を掛けてやる。後は――
「じゃあ、俺そっちの台所で寝袋で寝るよ。乃愛とりーは俺のベッドで……」
最後まで言わない内に、乃愛が俺の手から寝袋をふんだくった。
「私に寝袋貸して。私向こうで寝る」
俺は食い下がろうとしたものの、
「私、あの日なんだよね。昨日来たばっかりだから、量も多いの。一緒に寝てりーちゃんに迷惑かけちゃうといけないし」
と真面目な顔で言う。表情からは嘘か本当かさっぱり判別できなかった。
「わかったよ、じゃあ……」
とは言ったものの、部屋の中に布団を敷くスペースなんて見当たらないし、せいぜい蒲団にくるまって丸くなるぐらいが関の山か。
「りー、俺のベッド使えよ。俺は……」
「あ、あの……」
りーもまた、俺の言葉を遮るようにして言った。
「別に私、大丈夫ですよ。端っこの方とかで。だからその……別に……一緒でも」
耳まで真っ赤にして俯きがちにボソボソ言う姿は、さっきまで酔っ払ってへらへら笑っていた子と同一人物とは思えなかった。
その姿に、俺は妙に胸を打たれてしまった。きっと断ったらりーは物凄く傷つくんだろうなと想像してしまうと、拒む事すら出来なかった。
そうして俺とりーは、同じ一つのベッドに寝る事になった。
りーは壁際に、壁と同化したんじゃないかと疑われる程、これ以上ないというぐらい限界までぴったりとくっついて。
俺もまた、できるだけ距離を空けて同じ布団に入る。
乃愛は寝袋を持ってキッチンに向かったが最後、物音一つ立てなかった。本当にいるのか心配になる程だ。それが逆に聞き耳を立てているようにも疑われて、俺の警戒心を煽った。
聞こえてくるのはすー、ぴー、というモモちゃんの小さな鼾ばかりだ。
目に映るのは住み慣れた自分の部屋だというのに、同じ布団に知っている女の子が寝ているというだけで、落ち着かない気分になる。りーはどういうつもりで、一緒に寝ると言ったのだろう。すぐ近くにモモちゃんや乃愛がいるとはいえ、俺が変な気を起こすかもしれないとは考えなかったのだろうか。まさか、それでも構わないなんて……いや、そんなまさかだ。
いつもの天真爛漫としたりーの笑顔を思い出す。いくらなんでも、俺が想像するような行為とは無縁に思えた。
単にりーは、兄のように慕う俺と一緒に寝たかった、それだけなんだろう。もしくは一緒に寝ても平気だと思えるぐらいの好意を伝えたかっただけか。せいぜいそんなところに違いない。そのぐらいの純朴さが、りーには相応しい。
しばらくじっと息を潜めるようにして、まんじりともせず布団の中で過ごした後、きっとりーも眠っただろうなという頃合を見計らって、俺はベッドから出ようと決めた。どうせなら部屋も出てしまおうか。腹が減ったとか、どうしても欲しい物があってコンビニに行った事にでもすれば良い。みんなの朝飯を調達してくるつもりだった、というのは悪くないアイディアだ。
そろそろか、と機を見て行動を起こそうとした瞬間、背中でりーがもぞもぞっと動いた。まだ起きているのか。それとも、寝返りを打ったのか。
しかし次に起きた事態に、俺は動揺を隠せなかった。
りーの手が、ぴたりと俺の背に押し当てられたのだ。
たまたま、だろうか。それとも確信犯か。
いずれにしてのその手は俺の存在を確かめるように、柔らかな熱を俺の背中に伝えてくる。
真意を確かめようとするならば、りーの方を振り返らなければならない。りーが眠っていれば、予定通りこっそり布団を抜け出して終わりだ。でも仮に、りーの目が開かれていたら。
想像しただけで、色々な意味で恐怖だった。出来うる事なら避けたい状況だった。
そうして俺は身動きする事も適わず、布団の中で覚め切った目を開いたまま、息を潜めてその夜を過ごした。
結局、一睡することも出来なかった。
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