第2話 死神さんとじゃじゃ馬娘

 どうしてこんなことになったのだろう。迫りくる不審者に対し、藍里の小さい頭には何も分からなかった。だが、藍里はあの勝気な祖母の子孫だ。事態はどうであれ、そう易々と襲われる女ではない。それに、彼女には何がなんでも守り通さなくてはならない約束があるのだ。この店を守るという、祖母との。


「こ、この変態め!」


 藍里はモルテを勢いよく押し飛ばすと、近くにあったまな板と包丁を抱えた。さながら今の彼女は中世の騎士のようだ。モルテは反撃に、目を丸くしていた。藍里は包丁を乱雑に振り回しながら、声を荒げた。


「折角のお客さんと思って期待したのに、セクハラ目的だなんて! なんですか、“死神”って! いまどきそんな口説き文句、歌舞伎町でも通じませんよ!」


 そう言うと、藍里は「えい、えい」とモルテを包丁で威嚇した。彼の方は、こめかみを押さえると溜息をついた。


「まったく、よく口が回るお嬢ちゃんねぇ。いいわ、あなたのお頭でも分かるよう説明したげる」


 モルテは気を取り直し、藍里にぬっと近づいた。そして藍里の包丁の先を摘まむと、容易くその刃を折り曲げた。


「な、な、嘘ぉ!」


 藍里は大蔵家から代々受け継がれてきた包丁を破壊されたショックと、目の前の不審者への対抗策がなくなった絶望で青ざめた。そのままへなへなと崩れ落ちる彼女に、モルテは微笑んだ。


「これ、危ないから下ろして」


 丸腰になった藍里は不本意ながらも、まな板と曲がった包丁を下ろして降参のポーズを取った。モルテは満足そうにすると、近くにあったカウンターの椅子を引っ張り出して腰を下ろした。そして華奢な足を慣れたように組むと、妖艶に藍里を見下ろした。


「さて、どこから説明しようかしら……」


「先祖が、大蔵貞義が一体何をしたんですか? 契約って? 死神っていったいなに?」


 藍里は全ての疑問をぶつけた。するとモルテは眉を下げて、両手を上げた。


「ストップ、ストップ! ちゃんと説明したげるからさ。うーんとね、まず最初にアタシは死神。分かるでしょ? 死人を黄泉まで連れていくヤツ」


「あなた何歳? 中二病の後遺症でも残ってるんですか?」


 藍里は怪訝そうに男を見つめると、彼は舌打ちをして藍里の柔い頬を摘まんだ。


「いひゃい、いひゃい!」


「うっさいわね、黙って聞いてな! 小娘!」


 モルテはそう言うと、藍里を解放してやり、腕を組んで話を戻した。


「とにかく、死神であるアタシは大昔にアンタの先祖の貞義と取引したんだよ。アンタの血筋に天性の料理の才を授ける代わりに、五代目子孫の魂を貰うってね」


「へえ、でもどうしてそんな契約を? わざわざ五代目なんて」


 藍里の問いに、モルテははっとするとポケットから白ハンカチを取り出してそれを悔しそうに噛みしめた。


「それがさ、あの頃アタシはまだ新人ですんごい貧乏だったの。死神の報酬は連れてきた魂の数で決まるのよ?駆け出しのアタシは、取り敢えず魂が貰えるなら何でもしてやるって気概だったの。そのとき、貞義と出会った。福井で夢のカフェーなるものを開いたけど、閑古鳥が鳴いてるってね。敦賀の飲み屋で酔いつぶれながら、嘆いてたわ。だから、アタシが件の契約を持ち掛けたの。それで、あんた達大蔵家は仏も恋に落とす“味”を作り出す力を手に入れたってわけ」


「さ、貞義爺様……。そこまでして家興しを……」


 藍里は子孫を犠牲にしてまで夢を叶えたがった先祖にどこか腹が立ったが、同じ経営者として憎めなさも感じた。その時モルテが藍里の前で指を振った。


「でも、それも今日で終わり。藍里、契約通り、アンタの魂を頂くわ」


 モルテは不敵な笑みを浮かべると、藍里の首に手を伸ばした。しかし藍里は俯いたままだった。抵抗はしない、か。モルテは藍里の動向を観察して、判断した。だが、そのとき彼女はばっと顔を上げると、口を開いた。


「あの、ちょっと待ってください!」


「なによ? こっちは百年ぐらい待ったのよ? これ以上何を待てって__」


「あの、えと、命はとってもいいから、せめて、私の最後のお客さんになってください!」 


「はぁ?」


 モルテは眉をひそめた。しかし藍里は真剣な瞳で彼を見つめた。


「この店、もう繁盛してないんです。最近の人は、味よりも見かけばかり気にして老舗なんて目もくれない……。だから、私の代からはまともにお客さんも来なくて……。私とて、料理人の端くれです! 死ぬ前に、自分の料理で誰かに“おいしい”って言ってもらいたい。お願いします、すぐに作りますので、私の料理を食べてください! そのあとに好きなだけ魂を食べていいですから……。どうでしょうか?」


 藍里の試すようなまなざしに、モルテはふむと顎に手を当てて考えた。この少女は、とち狂っている。殺されるというのに、その執行者に物怖じもせずに「手料理を食べてほしい」だと。モルテとて、人外といえども多少なりとも人並の感性は理解している。藍里の料理人としての覚悟を無碍にするのはどこか気が引けた。


「ふん、悪くないわね。アンタの態度、気に入ったわ。さ、とびっきりの御馳走を用意しなさいな」


「っ!! はい!!」


 藍里はモルテの許しをもらうと、飛び上がって再び台所に立った。モルテもカウンターに回ると、藍里の決意を見届けることにした。


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