作者はお酒に酔った勢いでこの作品を書いたと明言している。朝から夕方まで飲み続け、ウイスキーのボトルを一本半開けた末の作品だそうだ。
もはや心配になるほどの飲酒量なのだが、どれだけ酔っていたとしてもその素晴らしい感性が失われることはないらしい。特に「春の日の満員電車」から始まる冒頭三文の鋭さは別格で、これが京野作品であることを強く認識させてくれる素晴らしい出だしである。
同時に酔っ払いにしか出せない味わいのある表現が見られるのも本作の特徴だ。例えばこれ。
「……スマホで撮るのもあれだから、目にガッツリ焼き付けとこう。そう思いスマホで撮りつつ穴が空くほどジッと見ていると……」
いやなぜ撮ったし!などという突っ込みは無意味である。撮らないとみせかけて撮るのが酔っ払いである。ここは大好きなので、ぜひそのまま残しておいて欲しい。ちなみに投稿時の段階ではタグの「短編」が「長編」になっていたことも追記しておきたい。なんかもう全体的に最高である。
また本作はメタ的な発言(?)も軽快で、作家「京野薫」の作風を知る人間であれば、そのギャップに驚きそして歓喜するかもしれない。それこそ私のようなファンは「砂糖に群がるアリのごとく」である。
そんなわけでいつも以上に気軽に微笑ましく読んでいたわけだが、何度か読むうちにふと違和感を覚えた。
これは本当にお気軽なコメディなのだろうか?
仕事をしながらいつの間にか考えているのだ、この物語の世界について、そして登場人物達の背景を。というかそもそも私はなぜ、これほど繰り返し読んでいるのだろうか。
ここからは少々ネタバレを含む(かもしれない)ので、読んでいない方は本編に戻って頂きたい。
といっても以下は私の「妄想」にすぎない。
この物語は西明美海という妄想力豊かな女性が主人公であり、なぜか未来から来た刺客(イケメン)に襲われ、そこに颯爽と駆けつけたナンバーナインという未来からの助っ人(美少女)に救われ、なんやかんやでナインと美海ちゃんがキスする話である。と書くと私の残念な筆力も手伝ってお花畑な話に聞こえるが、よく読むとそうではないことが見えてくる。
まず、なぜ西明美海は襲われなければならなかったのか。そしてなぜ「今」なのか。
ここに注目したい。刺客であるEA1とナンバーナインは40年後の未来からやってきたことが分かっている。ナインの言葉によれば40年後の時点で西明美海は最重要警護対象者であるらしい。このとき美海はおそらく68歳である。物騒なことを言って申し訳ないが、普通に考えると、手を鋭い鎌に変えることができるアンドロイドにとって68歳の女性を殺害するのはそれほど難しくないと想像できる。しかしEA1はこの時代での殺害を断念し、わざわざタイムリープしているのである。本文中で40年後の西明美海には相当な財力があったことが示唆されているが、それだけが諦める理由になるだろうか。答えは恐らくNoだ。つまり40年後の西明美海には敵対組織が手を出せないほどの「何か」があったはずだ。その「何か」を考えることは実は次の疑問――なぜ「今」なのか――にもつながっている。タイムリープする技術があるのならば、それこそ赤子の西明美海を狙ってもいいはずだ。そうしなかった理由は、現在における西明美海の何かしらの行動がEA1やナインがいた未来へとつながっているためだ。
手がかりになるのは西明美海がEA1に襲われている最中の彼女のこの言葉である。
「……って、書いてるけどこれはいずれ書籍化するであろう、私の才能のお蔭で何とか活字に出来ているだけ。」
「言ってる」ではなく「書いてる」。
「言葉」ではなく「活字」。
そして思い出してほしい。彼女は現在何をしていたかを。
彼女はWeb作家である。ペンネームは「お昼寝ミウ」。
そして彼女の最新作は「擬人化した調理器具との恋愛ファンタジー」である。
もし、西明美海の「妄想」が、お昼寝ミウによって現実に「書き」換えられるとしたら……。
もはや私にはすべてが伏線に思えてならないのだ。
私が考えていることもまた酔っぱらいの「妄想」であろうか。
ウイスキー片手に、ぜひその目で確かめてほしい。