第23話 別れ話


 都内の大きな総合病院は、圧倒的に東大や慶応大が強い。だから大規模な総合病院ほど、入試難易度の高い難関大学の学閥が形成されている。


 医学界には、卒業した大学ごとに派閥が存在する。どの学閥に所属するかによって、研修医を終えたあとに働く病院はもちろん、その後のキャリアに大きな影響力を及ぼす。


 大学病院は教授、助教授はもちろん、院長や部長などのポストは、その大学出身者で構成されていることもしばしば。


 特定の大学病院を目指すなら、その大学の医学部を目指すのがベストであることは間違いない。

 医師不足の現在では、もちろん外部からの入局も可能だが、しかし、その大学にいたほうが有利なことに変わりはない。病院内でのポストを目指す方はもちろん、研究分野での活躍を目指す場合でも、学閥は重要だ。



 また、地域の関連病院までもが、同じ大学ばかりから医師が送り込まれることが珍しくない。結果、ひとつの課や、病院ひとつが同じ大学出身の医師で構成されることも珍しくない。学閥は、関連病院でも強い影響力を持つ。


 どれだけ実力があっても、最終的な判断は学閥優先になることは珍しくない。

 

 当然美咲の勤務する国立東都大学附属病院の歴代病院長も、やはり国立東都医大卒で固められていた。

 ★☆


 順当にいけば病院長が退職もしくは亡くなれば、副病院長の地位にある水野が病院長になる事は至極当然の事なのだが、世の中そんなに甘くない。水野の舅が亡くなった事で事態は急変する。

 

 今まではあらゆる人脈に精通していた舅のお陰で、とんとん拍子に出世できたが、さして世渡り上手でもない、ましてや本流である東都医大卒でもなければ、また、さしたる名を残す程の研究成果がある訳でもない、まあ確かに脳神経外科の名医の水野ではあるが、そんな医師は五万といる。こうして水野は窮地に立たされる事となった。


 現在この東都大学附属病院の病院長村田は東都大学医学部卒の病院長だ。水野の舅元東都大学病院長で現日本医師会会長が亡くなってしまった今、水野は現病院長村田にすれば邪魔な存在。

 

 自分の息のかかった同じ東都大学医学部卒の医師を自分の配下に置いて置きたいのは至極当然の事。こんな事情も相まって派閥の渦に巻き込まれた水野だったが、そんな時に思ってもみない好都合な話が舞い込んできた。


 生まれ故郷の福井医大付属の大学病院が新しく建築する(越前医療センター)の病院長にとの要請があった。


 この話に前向きな水野は妻を病で失ってしまった今、何としても美咲と生まれ故郷の越前に一緒に帰り、故郷の医療の為に身を捧げたい。


 ★☆


 水野の意向とは違い、美咲は水野とどんな事をしても別れたいと思っている。権力を失いかけている水野に付いていて、自分に何の得があるというのだ。マイナスになる事はあってもプラスになる事など何一つとしてない。そんな危機感で一杯の美咲。

 

 それではどうして水野が窮地に立たされている事が分かったのか?


 実は水野は美咲に病院でのうっ憤をよく2人だけの時に話していた。それも舅が他界してからというものその頻度が急激に増してきた。


 原因は病院長村田との確執だった


 村田にしてみれば同じ学閥の、どんな事でも話せて、どんな仕事も嫌がらずに速やかに手伝ってくれる部下がいたら、自分にとって何より仕事がしやすい。


 だから水野を副病院長から外したいと考えている。同じ学閥のX教授を副病院長として起用したいのだ。だから、水野が気に食わない。


「全く病院長には頭にくる。あんな分からずや。何かっていえば学閥だ。派閥だとうるさい。まるで私が東都医大卒でないことが、気に食わないと言っている様なもんじゃないか?」


「考え過ぎですよ」


 美咲は水野に助けて貰った恩も忘れて、水野とどうしたら別れられるか、必死になって考えている。そんな話を聞いた美咲は尚更水野を遠ざけたい気持ちで一杯だ。美咲は水野副病院長の愛人でありながら形勢が逆転した今、水野に付いていても立場が悪くなるばかりだと思いどうしたらいいものか、考えあぐねている。



 実は、美咲は形勢が逆転した今、水野の目を盗んで現病院長村田に接近している。元来村田は学閥を強く重んじる男だった。東都大学の校章に由来している東京タワーから取った「塔門会」を率先して開いている。一見「塔門会」を開いて大学時代の思い出に浸るだけの、飲み会や会合と思われがちだが、おっとどっこい!より多くの集団となり、着々と他の学閥を蹴落とす準備に備えている。


 美咲は教授になったからと言って、もうそれ以上上を望まない訳ではない。上り詰めれるだけ上り詰めたいと思っている野心家である。だから……村田が「塔門会」を開く時は出来るだけ出席していた。それは同期から後れを取りたくないからだ。医者の出世競争において、人脈が重要であることは言うまでもない。


 だから村田から疎まれている水野と距離を置きたい。どんな事をしても別れたい。今までの様に水野に協力している事が分かったら、こっちが村田から睨まれる恐れがある。


 


 この様な理由から、最近は美咲は病院長村田に可愛がられているので、水野が仮に辛く当たっても庇ってもらえる近距離になっている。だから水野に例え嫌われても痛くも痒くもない。それなので水野の誘いをことごとく断っている。


 水野にすれば自分だけ学閥の外に放り出されて不安で仕方ない。美咲だけが頼りである。こんな時こそ美咲に力になって欲しい。今更だが、こんな崖っぷちに立たされても尚、残れるものならこの病院で上り詰めたいのが本音なのだ。最後の悪あがきである。


 だから美咲しかいない。美咲に会って助けてほしい。


 だが、それは水野の考えで有って、そんな村田に睨まれている男に協力したらこっちが睨まれる。美咲は同期から後れを取りたくない一心だ。何が何でも水野と距離を置きたい。医者の出世競争において、人脈が何よりも大切だという事は、分かり切った話。


 ★☆

 行き場を失った水野は美咲だけが救いだ。美咲だけは味方で有ると信じ切っている。だが電話を掛けても繋がらない。


 とうとう美咲が仕事を終えて出てくる時間帯を見計らって駐車場で待ち構えて声を掛けた。そして美咲の車に強引に乗り込んだ水野。


「美咲君どうしたと言うんだい?連絡しても繋がらないし……」


「嗚呼……すみません。忙しくて……」


「今晩良いだろう。最近全然会っていなかったから……」 


「今日はダメです。私には子供がいますから……」


「何を言っているんだ。最近は全くと言っていいほど会っていなかったんだ。俺も仕事上の話聞いて欲しい」


「じゃ~喫茶店でお話伺います」


「それでも……人目に付くし……聞かれたくないので……」


「じゃあ公園で車止めてお話伺います」


「病院長と上手く行かない。美咲だけは味方してくれるよね。今まで仕事でも体でも奉仕はしてもらったが、それはそれ。今自分が窮地に立たされた時こそ、救ってくれるのが本当の愛情というものだろう」


「それは……私も水野先生に助けて貰ったご恩は忘れません。それで……最終的には副病院長はどうなさりたいのですか?」


「美咲君俺はやはり越前市に新しくできる福井県立医科大学(越前医療センター)の病院長として行こうと思っている。当然美咲君は一緒に来てくれるよね?」


「先生私には子供がいるのです。どうして子供を捨てて行けましょうか?だから申し訳ありませんが、一緒にお供することはできません」


「俺たちの今までの関係は一体何だったんだい?僕は……僕は……真剣だった。君が夫の事で苦しんでいることを知っていたからね。あの事実は噓だったのかい?」


「……そんな事ありません。事実です。でも私には子供がいますから……」


「僕が面倒みるから気にしなくていいよ。君は何も医者なんかしなくても……私の妻は一人っ子だったので、舅の遺産が転がり込んできたから悠々自適の暮らしが出来る。ましてや私には子供がいない。というよりいたが、25歳で白血病で亡くなっているから、君の子供たちが本当に可愛いと思える。まだ会った事はないが大切にするよ」


 そう言うと水野が美咲に重なってシートを倒して、強引に口づけをして💋来た。


 更には息が荒くなり美咲の下着を強引にはぎ取ろうとした。美咲は拒絶して水野の頬を思いきり叩いた。そして一気に外に飛び出した。






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