これから、ここから

「おい天。こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ」

「うーん……あ、れ? 母さん……帰ってきたの?」

「ああ、今ね。ちゃんと自分の部屋で寝ろ」

「ああ、うん。おやすみ」

「はい、おやすみ!」


その夜みた夢は最高だった……。

朝になって起きたときにはもう憶えていなかったが、その感触だけは体が憶えていた。


「おはよう」

「おはよう! 早いな」

「ん。今何時?」

「6時半」

「うそ」

すでに母さんはスーツ姿で朝食を自分の分だけ作って食べていた。


「それ」

そう言われた瞬間、母さんの指さした先にあるのもを俺は確認しなくてもなんとなく把握できた。

にするのか?」

母さんは指だけを差し、朝食のトーストから目を外さずもう片方の手で口に運んでいる。

「まだ決めたわけじゃないけど」

「ふーん。高いぞそれ。にしても、とんでもないカタログだな、それは。ちょっとした資料だ」

「ああ、うん。昨日先輩からもらって……」

俺の寝ぼけた脳では、現状をどう処理するのかと判断が鈍る。

「よっぽど好きなんだな、

「さあ……ただドラムを叩くのが好きなだけな気がするけど」


「天は?」


どうしてそんなことを聞くんだろう。

俺にその答えが言えるはずがないじゃないか。


「弾いてみてどうだった? ギター」

「どうかな」

「しっかり答えろ」

朝聴くような声、音色じゃない。それだけが分かる。


「もう一度聞く。ギターを弾いてどうだった?」

確かな音。

母さんが起きてどのくらい経ってるのか分からないけれど、湿っていて、力がこもっていて、その音は、完全な声として発せられていた。


「気持ちよかった……」

思わず出した自分の声はやけに澄んでいて、到底普段出している声だとは思えなかった。


「そうか」

どうやら納得したらしく母さんは、使った食器をキッチンに運んでいくと、それらを洗いはじめた。


「面白いとか、楽しいじゃなくてよかったよ」

「どういうこと?」

蛇口から勢いよく出された水の音で母さんの声が上手く聴き取れない。

「続けろ。ギター」

「え? うん、そうするつもりだけど」

いちいち言われなくてもそうするつもりだった。だから勢いよく流れる水の音で聞き取りにくくてもそう答えられた。


「じゃ、いってきます!」

食器を洗いおわり、すでに準備していた重そうなカバンを両手で持って、いつもどおり母さんは仕事にいった。

『面白いとか、楽しいじゃなくてよかったよ』

なんとか聴き取れたその一言がなぜか耳に残っていた。




「天くん! 明日用事ある?」


昨日の一件で俺達は、朝、昼の活動を制限された。

もし、その時間に部活動する場合、顧問のハンコが押された証書を学校側に提出しなくてはならなくなった。

なので、今はこうして、よっぽどのことがない限り(よっぽどがどういう状況なのか知らないが)放課後のみ活動することが、先輩とあの大男によって、俺の知らないところで取り決められていた。


「なにも」

「よかったわ! なら、明日私と出かけましょう!!」

「明日」

「そうよ! 明日から連休。だから、明日は楽器屋さん巡って、明後日からはスタジオに入って練習よ!!」


こうして、俺の高校初のGWすべての予定が先輩の一言で決められた。

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