終業後、コンビニにて

 終わった、やっと終わった。今のわたしの心に浮かぶのはそれだけだ。

 画面とにらめっこし続けたせいでカチコチに固まってしまった全身を伸ばし、わたしは棗の作業場を後にした。


「……もう夜なんだ」


 窓の外はすっかり暗くなっている。徳用チョコで宥めすかしたはずの胃袋が「もう限界だ」と暴動を起こしているのも当然だろう。

 何を食べようか。そんなことを考えながら本部ビルを後にして、寮までの道を進む。その間も腹の虫はぐうぐうと主張を続けていて、すれ違う人々がわたしのお腹に視線を向けている気がした。


「……」


 駄目だ。わたしは諦めて近くのコンビニに入る。らっしゃーせー、間延びした店員の声に迎え入れられながら向かう先は――おにぎりが陳列された棚だ。

 時間帯のせいかまばらにしか残っていない三角形を比較する。梅、鮭、ツナマヨ……どれを食べよう。いっそ全部選んでしまおうか。


「こんばんは、音島さん」


 突然、誰かに声をかけられた。わたしは三つ目のおにぎりに伸ばしていた手を引っ込め、ぎこちなく振り返る。


「……びっくりした、玲だったんだ。お疲れさま」

「音島さんもお疲れさま。初日だし疲れたでしょう」


 玲は微笑みを浮かべる。そして陳列棚を一瞥し、鮭おにぎりを手に取った。わたしが先ほど手に取ろうと思っていたものだ。思わず目で追ってしまう。


「あ、ごめん。これ取ろうとしてた?」

「うん。でも鮭もう一個残ってるし、気にしないで」


 一つ分奥に置いてある鮭おにぎりを取り、腕の中に抱え込む。この三つは夕飯前の軽食……おやつだとして、夕飯自体も選ばなくては。

 わたしは隣の棚に目を移す。カレーにドリアにチャーハン、どれも凶悪な見た目をしていて美味しそうだ。


「どれにしよう……」

「え、この棚主食しかないよ?」

「まぁ全部食べればいいか」


 カゴを取ってきて、三候補とおにぎり三つを次々に投下する。ついでに袋入りのサラダとチルドタイプのハンバーグも入れれば――本日のおやつと夕飯、完成だ。


「これでよし」

「……そんなに食べて大丈夫なのかい? どう見ても一食分には多いと思うんだけど」

「余裕」


 困惑した様子の玲にピースサインを向ける。彼はなぜか言葉を詰まらせた。


「……なるほど、これが姉さんの話に出てきた……」

「姉さん?」


 耳が拾った単語を聞き返すと、玲は首を振って「気にしないで」とはぐらかす。


「それより、今日の初仕事はどうだった? 萩原さんとはうまくやれそうかな」

「棗は鬼。とにかく鬼教官だった」


 あからさまな話題転換だが指摘することなく乗る。棗の厳しさをリーダーである玲に知らせ、一度注意してもらおうという策略だ。


「あはは、それは大変だったね。でも俺の見た限り、音島さんはその『鬼教官』についていけていたと思うよ」

「ついていかないと後が怖いから……」


 わたしはぼそぼそと吐き出す。玲に言っても仕方がないことだが、疲弊しきった今は誰かに打ち明けないとやってられない。彼がセンター分けの鬼と緩い三つ編みの悪魔に告げ口しないことを祈るばかりだ。再試験も侵入者として突き出されるのも勘弁願いたい。


 それぞれ会計を済ませ、コンビニを後にした。わたしたちはガサゴソとレジ袋を鳴らしながら寮への道を歩く。


「支援立案の仕事は覚えられそう?」

「鬼教官に半日かけて詰め込まれたおかげで。そういえば、玲に聞きたいことがあるんだけど」

「うん? 何かな」

「わたしや棗が考えた支援策を実行するのが玲と葵なんだよね。具体的にどうやって実行してるの?」


 問いかけると、玲はぴたりと足を止めた。顎に手を当て、考え込むような仕草を見せる。


「難しい質問だね。簡単に言うと、支援策に応じた道具を〈弓張月〉の……〈弓張月〉って言葉でわかる?」

「わかる。犯人と大立ち回りする隊のことでしょ」

「ニュアンスが若干違う気もするけど……まぁいいか。道具をその隊の人たちに手渡すまでが俺と葵君の役割さ」

「ふーん……」


 わたしは曖昧に返事をした。あまり具体的ではない説明のせいか何とも反応しづらい。


「ごめんね。機密事項にも関わってくることだから、外部で詳しい説明はできないんだ」


 玲が申し訳なさそうに言う。わたしは首を振った。

 恐らく「機密事項」というのは葵の異能――調律についてだろう。詳しい情報が公になっていない彼の異能は、組織外で気軽に話せる内容ではないのかもしれない。安易に聞いたこちらこそ申し訳ない気持ちだ。


 玲はそれっきり黙り込み、レジ袋の音だけを響かせながら歩く。わたしも無言でうつむいた。高層ビルが立ち並ぶこの街で上を向いたとしても、星は見えそうにないからだ。

 わたしたちは無言のまま、男子寮と女子寮の分かれ道に着いた。別れの挨拶を交わそうとした私より先に、玲が「音島さん」と声をかけてくる。


「明日はよろしくね。音島さんなら、きっと萩原さんとうまくやれるよ」

「え、あ、うん……?」


 それじゃあおやすみ。曖昧な返事を気にすることもなく、玲は男子寮へと姿を消した。わたしもぼんやりしながら女子寮に進む。

 配属して早々の訓練に不安は残るが、やるしかない。わたしは夕飯と夜食――おやつの予定だったおにぎり――が入ったレジ袋の持ち手をぎゅっと握り、女子寮のエントランスをくぐった。

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