第37話 Turn It into Love(1988年)Kylie Ann Minogue

 平成元年6月3日の土曜日


 わたし(星夏美)は、土曜日の授業が終わった後、家にもどってから、カレシ(橘恭平)の住んでいる小国の教員住宅に遊びに行った。

 彼の父親は土日になると、小出町(現魚沼市)の実家に戻っていた。彼は受験勉強で官舎に居たのだ。その隙を狙っていたのだ。


 夕方に官舎の近くの山口食堂でチャーハンやラーメン、野菜炒めなどを彼とテレビを見ていた。


「智子のお父さん、今中国にいるんじゃなかった?」

 と彼が聞いてきた。

「そうね、上海に単身赴任しているみたいだけど」

「ほら、北京の天安門広場で、あんなに人が集まっていて、大丈夫なのか?」

「なんか暴動が起きそうな雰囲気だよね」


 夕方のニュースは連日、中国情勢を伝えていたのだ。


 食堂から彼の住む官舎に戻り、2人で勉強をして、そしてシャワーを浴びて、わたしが持って来たコーラやスナック菓子を食べてバラエティ番組を見ていた。


 夜も12時を過ぎて、深夜になったころだ。


「恭平、あんたいつもエッチな深夜番組を見てるんでしょ?わたしが来てじゃま?」


「え、そんなことないよ」


「ほら」

 わたしは彼のベッドのマットレスの下に手を突っ込む。

 あった!


「ほら、エロ本。恭平、最近は洋モノを見ているの?オッパイがデカイ外国人の……」


「勝手に探るな!」


 たわいもない雑談をして、新潟総合テレビの深夜番組を見ていた。


 オールナイト・フジが始まった。


「恭平、あんたは東京にはやれないなぁ、あんな女子大生が目当てなんでしょ?薄い服を来て……」


「俺はおまえ以外には興味がない!」


「ふーんそうかしら、ねぇ。ウソっぽい」


 オールナイト・フジの番組の中で、スタッフがざわめく。

 出演者の女の子達が驚いた顔をしている。


「中国で動きがあった模様です!」

 テレビ映像は中国の天安門広場の映像に変わった。


「人民解放軍がデモ隊に発砲してます! あ、ここはヤバイ・・逃げろ!」

 マイクは人民解放軍の発砲音を拾っていた。


「恭平、なんか、かなりやばくない?中国……」

「相当、まずいよな……どうなるんだろ」


 テレビの音声が続く

「逃げろ、こっちも危ないぞ……パン、パン(銃声音)……」


「ねえ智子のお父さん大丈夫かな……」


 これが六四天安門事件だった。

 平成元年(1989年)6月4日未明。この深夜に、中国人民解放軍がデモ隊に発砲を始めた。


 それをわたしは生中継で見た。


 ◇◇◇


 彼の高校で、夏休みに入る前に講演会がひらかれた。


 高校のOB、OGを呼ぶ講演がときどきあり、それは講演者の都合により開催される。


 平成元年は、彼の長岡高校の卒業生である「桜井良子」(現在表記:櫻井よしこ)さんの講演が開かれることになった。


 ジャーナリストで、女性のアンカーパーソンの先駆けとして日本テレビの「きょうの出来事」というニュース番組を担当していた。


 私もよく彼女の深夜のニュースは見ていて、講演に来ることを彼から情報を得ていた。

 彼女はわたしの憧れであり、興味をもって彼の高校の講演に潜り込んだ。

(いいのか?)


 講演では、女性もジャーナリストとして活躍できることを力説していた。


 講演の途中、直前にあった6月4日の天安門事件に話が及ぶと、

 桜井良子さんは中国に居る友人の安否を心配して、声を詰まらせる場面があった。

 それはずっと印象に残った。


 あの講演に潜り込んがことが、今後の私の運命を決めることとなったとはつゆ知らず。



 ◇◇◇


 長岡の街は、8月初めの花火大会が終わると秋の気配が漂う。


 まつりが終わると寂しく感じられ、お盆にはひぐらしが鳴く。


 このあたりでは、ひぐらしのことを「盆蝉ぼんぜみ」と言う。


 高校時代のたった3回しかない夏が終わった。

 卒業も近づき、みんなと離れ離れになる日が。一歩一歩、近づいてる。


「正月は冥土の旅の一里塚」とはよく言ったものだ

(意味が違うと思う)


 2学期が始まると、このあたりの高校では、体育祭、文化祭などが開かれる。

 彼の高校の文化祭は賑やかで、近隣の高校からもたくさん来場者が訪れていた。


 原智子が通学の電車の中でこう言った。

 彼の父親は中国の騒乱では無事に帰国していた。


「ねえ、夏美、ウチの高校の『ねるとんイベント』の参加者として出てみない?というか、わたしが貴方をエントリーしておいたけどさ、ははは」


 智子め、勝手にわたしを申し込みやがったなぁ(怒)


 当時、流行の番組のフジテレビの深夜にあったとんねるずの「ねるとん紅鯨団」のパクリのようなイベントを彼の高校の文化祭でやっていた。


 女子高生に対し、男子高校生が「つきあってください!」と告白する、彼の高校の学園祭では人気のイベントだ。


 校庭の中庭で開かれ、窓から大勢の学生が、男子生徒が振られる様子を笑いながら見ている。


「智子、なんで、彼氏がいる私を誘うのよ!」


「いいじゃん、サクラも必要だし。(私はサクラですか?)貴方のカレシはウチの高校の恭平だし。どうせ大手(高校)で言い寄る男を蹴飛ばしているんでしょ。いつもどおり『ごめんなさい』とやればいいしのよ」


 智子はあいかわらずだ。


 私って、男を蹴飛ばすイメージですか?


 だいたい、智子こそちまたでは別の意味で有名でしょうに。


 高校の応援練習で、応援団員が通り過ぎたとき、後ろからケリを入れた、とか聞いている。


 体育祭の女子騎馬戦で、普通は相手チームの選手の頭のハチマキを奪って、取ったハチマキの数を競う競技なのに、相手の女の子のブラジャーを引っこ抜いて、高く掲げて男子の喝采を浴びていたって噂だ。


 それだけじゃない、

 コートの下にパンツをはいてない露出狂の変質者が街に出た時、そいつがコートを開いたときに、「ちっちゃいヤツ!」と言って、金的に蹴りを入れたとか……


 武勇伝が絶えない。

 その悪名は、隣のウチの高校まで轟いている。


 だから「長岡高校にはロクな女がいない」と言われるわけだ。

 それは智子あんたのせいだよ。


「ねえ、ちょっとでいいからさぁ。なんかいい男がいっぱい出るらしいよ。あ、橘クンには、『ちゃんとほかの男は来たら振る』と私から言っておくから」


 完全にやらせじゃん。サクラって……。

 期待して振られた男はカワイソすぎる。


 まあ、私には男の子から「つきあってください」とか、どうせ来ないかもしれないし、それはそれで地獄だ。

 ポツンと誰からも告白されずに立っている「わたし」とか?


 じゃ、ウチの高校の椛澤かばさわさんも一緒にエントリーさせておくか。

 彼女は彼女カワイイし。でも男には興味はないし。


「ねえ、智子も出るの?」


「もちろん」


 まじか……彼女の高校の生徒は、智子には(怖くて)手を出さないはずだ。


 もし智子に、他校の男子生徒が、「間違って」告白しに来たらと思うと、ゾッとする……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る