13-3
決戦の朝、海上には薄く霧がかかっていた。
これから戦闘が始まるという日には似つかわしくない、静かで神秘的な雰囲気が漂っている。
かねてからの作戦通り、昨日のうちに海賊団は船の配置を終えていた。
モリガン船長は、全軍を三つに分けた。
足の速い中・小型船を、東島の東と西島の西、つまり三連島の外側に十数隻ずつ配置した。残りの五十隻あまりは、本隊として中島付近に構えている。ロブスター号は高速だけれど、本隊だ。
敵が現れたら、まず、左右両翼の高速船隊が仕掛け、挑発と一撃離脱を繰り返す。そうやって、敵の船団を左右に分散させていくのだ。
いちど大船団が崩れてしまえば、暗礁が邪魔になって元の隊列に戻すことは難しい。
そして、中央が手薄になったところで、僕たちの本隊が勝負をかける。
これが、味方の作戦だった。
僕たちはすでに、それぞれの持ち場について敵を待ち受けている状態だ。
ビイロフさんだけは、メタボリックペンギン号のマストのてっぺんにいる。最も目の利く戦況報告役として、
僕とクァラさんは、シルビア船長の近くで待機中である。クァラさんは、船の備品とは違う自前の鎧に身を固め、剣を背負って完全武装していた。鎧は、革鎧と頑丈そうな胸当てを組み合わせた逸品だ。胸当て部分は金属製ではなく、たぶん、木製じゃないかと思う。
「もうすぐ霧が晴れる。そのときが戦いの始まりだ」
シルビア船長はそう言った。
緊張のせいか、胃のあたりから何かきゅっと込み上げてくるような気がした。軽い吐き気がする。
ふと、カタカタという軽い物音が聞こえてきた。何の音だろうと見回してみたら、すぐに正体がわかった。
僕の足が、自分でも気付かないうちに震えていたのだ。足が震えているせいで、ブーツのつま先がすぐそばの
僕は慌てて自分の膝を抑えたけど、なかなか止まらない。
「戦いの前に恐怖を感じるのは、脳と心が正常な証拠だ。無理に感情を抑圧しないほうがいい。深呼吸して、自分や仲間のことだけ考えなさい」
船長が声をかけてくれる。それで少し落ち着いた。
薄かった霧がさらに薄くなり、ついに消えていく。遠くから、口笛の音が聞こえてきた。敵接近の合図だ。
「来たぜ! 金貨百枚がうじゃうじゃいる!」
ビイロフさんが、マストの上からいつものおどけた調子で叫んだ。
しばらくすると、水平線のあたりに小さな黒い点が見えてきた。黒点は少しずつ大きくなる。味方の帆船だとすぐにわかるようになった。
その帆船に向かって、ときどき矢が浴びせられている。だが帆船は当たりそうで当たらないギリギリのところで矢を回避して、結局逃げ切った。危なかったというより、わざとやっているのだ。
やがてまた、黒点が現れた。
点の数がどんどん増えていく。黒点は数を増し、大きくなって、みるみるうちに大船団となった。太鼓の音が聞こえる。音に合わせて、
ついに、僕たちは帝国装甲突撃船団第三番隊と
三番隊は、すべての船が赤一色に塗られていた。ちょっと暗めの赤色だ。なんともいえない
船団の中央には、ひときわ大型の船が、仲間であるはずの周囲の船すら威圧するように浮かんでいる。船体は金属板で覆われていた。あれが旗艦、装甲突撃船に違いない。
敵船団は、ゆっくりと近付いてくる。
「ゲールトが甲板に出てきたぜ」
ビイロフさんが、マストの上から状況を
ややあって、ものすごい
「ゲールトだ!」
飛び出そうとするクァラさんを、シルビア船長が左手で制した。僕も止めようとクァラさんの腕にしがみついたけど、軽く振りほどかれてしまう。
「まだだ、クァラ! 血気にはやるな」
船長が鋭く言う。
メタボリック号から、口笛が鳴った。さっきの口笛とは違う音色。これは、作戦開始の合図だ。
「両翼が動き出した。予定通りだぜ!」
ビイロフさんの言うとおり、三連島の両脇に配置された味方がゆっくりと動き出した。敵船団に向かって、派手にヤジを飛ばしながら。
「遅えよ、いまごろ来やがったのかよゲールト!」
「すっとろいクマ野郎だなあ、おい!」
「俺たちの船に、全然追いつけねえじゃねえか!」
「さっさと巣穴に帰って、母ちゃんのおっぱい飲んで寝ろ!」
「ギャハハハハッ!」
挑発はどんどんエスカレートしていく。歌あり、口笛あり。この世界にはセクハラなんて概念はないから、困ったことに、かなり
僕は思わずジーナを見た。ジーナはバリスタの前で平然とした顔をしている。できれば、ジーナにはこういうのは聞いてほしくなかったけど、どうしようもない。
ゲールトの怒り狂った吠え声が、二度、三度と響いた。
その怒声に追い立てられるかのように、敵船団の両翼が前進を始める。ガレー船が連なって進む光景は、ムカデの行進のようだ。
両軍の距離が詰まる。
だが、いよいよ交戦という直前、海賊船団は一斉に弓を放った後で回頭し、退却を始めた。
今度は敵軍が罵声を浴びせて、
距離を測っているかのように逃げる味方帆船と、追う敵ガレー船。やがて右翼のほうから、ドーンと爆発のような音が聞こえ、悲鳴が上がった。
「まずは一隻目だぜ!」
ビイロフさんがウキウキした声で叫ぶ。
ガレー船が一隻、斜めに傾いた状態で動かなくなっている。
暗礁に乗り上げたのだ。
次の更新予定
2025年1月3日 20:10
ロブスター号航海記 旗尾 鉄 @hatao_iron
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