《70》ゆめを、みている?





 刻は少し遡り、時刻は9時を回ったばかりの魔族領。


 ブルームハウスに赴き、子供たちを軽く診断するベルを

 スラルが尋ねていた。


「特区が現在抱えている諸問題の内、最も大きなものとして……現状、

 医療に通ずる者がほとんどいないという点を君が述べていたが、

 それについてもう少し話を詰めたいと思う。時間はあるか?」


「あ……もちろんです。ありがとうございます、気に留めていただいて」


「礼はいらない。では、その子らを診た後で――」


 と、話している途中に不意にリリィが玄関を開けて現れた。


「スラル、わたしはでかけてくる」


 彼女はそれだけ言って、すぐに玄関を閉めて去ろうとする。

 そこにスラルは声を掛けた。


「例の引き渡しの件ですか? 少々早いですがもう向かわれるのですか」


 スラルは、指定の時間は正午だと聞いていた。


「まだ。じかんまで、ラナンキュラスのところにいく」


「あぁ……なるほど、了解しました」


 確か、ラナンキュラスが最近一匹のウサモフをペットにしたと聞いた。

 どうもリリィは、そのウサモフにどういうわけかご執心らしい。

 心の機微が大きく失われて以来の彼女としては、非常に珍しい事だ。


 そこに微かだが疑問や興味が無いではない。

 折を見て、自分もそのウサモフを見に行ってみようかと思っている。

 正確には、そのウサモフと触れ合うリリィの表情が如何様なものか。


 ナナの事ありきではあるが、スラルはある種の親心に似たものすら、

 拙く精神が退行してしまったリリィに対して抱いていた。

 その事に思い当たった時、彼はただ、苦笑するしかなかったが。


「では、人間領に赴く際に改めて私に……いや、それも手間ですね。

 私もハーリィ邸に同行しても良いですか?」


 人間領へは、スラルと彼の部下スカニア他、全部で五名の魔族が

 リリィに同行する事になっている。

 理由は、パスラから人間を引き上げてくる際に転移を使うためだ。

 今回は一度に連れ帰る人数が今までの比ではない。


 転移陣で送れる人数に特に制限は無いが、最も大きな陣を展開できる

 スラルでも、全力で恐らく6、70名程度が定員となるだろう。

 二度、下手をすれば三度の往復をする事になるかもしれない。


「というわけで、すまないベル。件の話は夕刻前にでも改めていいかね」


「え、ええ。大丈夫です」


「……ではリリィ。私が転移でお送りしましょう」


「ありがとう」


 二人は、ラナンキュラスの邸宅へと向かった。



 しかし彼女を訪ね、出迎えたのはラナンキュラスの父親であり、

 彼が言うには娘はペットを連れて外へ繰り出してしまっているとの事。

 彼女らが出たのはつい先程で、ほとんど入れ違いの形になったようだ。


「ふむ……だそうですが。如何なさいますか?」


 スラルがリリィを見て訊ねる。

 彼女は、玄関から外を……というより空を見上げていた。


「とんでいったほうこうが、わかるかもしれない」


 リリィがぽつりと呟いた。


「ちがうかもしれない。でも、なんとなくわかるきがする」


「……ほう?」


 スラルも彼女の目線を追って空を見る。

 この方角は、西。人間領の方角だが……飛行をしていったという事か。


「スラルは、ほかにようじがあった。いちどもどってていい」


 ベルとのやり取りの事を言っているのだろう。


「リリィは、どうするのですか?」


「さがしてみる」


 ラナンキュラス達を、探しに行くと言う。

 スラルは少し考えたが、しかしどのみち一度部下達と魔王城で合流する

 必要もある。スラルは了解した。


「分かりました。基本魔王城におりますので、折を見てお越しください」


「うん。それじゃあ」


 言って、リリィはそこから西へ向けて飛び去っていった。

 まぁ、彼女は先走った事はしないだろうとスラルは考える。

 彼は父君と二三言葉を交わしてから、魔王城へと戻った。





 リリィは真っ直ぐ空を飛んでいく。

 彼女は、明確に何かの軌跡を見てそれを辿っているわけではなかった。

 それは、ただぼんやりとした、気配というにも頼りないような……

 あえて言うなら、予感めいたものだった。


 その方向に、いる。


 それはラナンキュラスのことか。

 多分、違う。


 これは、じぶんが、あいたいひと。

 それか、じぶんが、あわないほうがいいひと。


 あの、ウサモフだろうか?

 わからない。


 でも、そこに行きたい、とリリィはただ思った。

 だから、魔族領を超えてもなお、彼女はまだ飛んでいる。

 このままでは、結局一人でパスラに一度足を運ぶことになるが……

 でも、戻る気はなかった。


 そして、実際にパスラの街並みを見下ろす所までやってきた。

 遥か上空、街から見上げたとしても、彼女の姿を認識できるものは、

 そういないだろう。


 ここだ、とリリィは思った。

 ゆっくりと、少しずつ位置をずらしながら目を配せる。


 崩れた瓦礫を運び出す人間たちの姿が見える。

 多くの人々が広場で列を成し、何かを受け取っている様子も見える。

 破壊を免れた商品を捌こうとする青空商店もいくつか並んでいる。


 街には当然ながら多くの人間がひしめいており、

 およそそこから一人と一匹を見つけ出すなど無理があった。


 けれど、リリィはただじっと、根気よく……舐めるように街並みを眺める。


(……いた)


 やがて、街の東側、建物のほとんど無い開けた一角に目が止まる。

 大きな霊術が展開されているのが見てとれた。

 それが何なのか、彼女は感覚で理解できる。

 しかし、それ自体は些末な事で、興味を抱くことはない。


 そこに目をやった時、ちょうど三人ほど誰かが転移で消えた所だった。


 彼女はそちらの方角へ、少し降下気味に移動する。


 白に仄かに薄緑が差した後ろ髪が見える。ラナンキュラスだ。

 彼女の前方に、たくさんの同じ格好をした人間がいて……


 そして、

 ラナンキュラスの隣に、誰かの後ろ姿。


 小さな、背格好の、


 長い、

 ふわふわした髪の、


 …………


(…………)


 どくん、と心臓が一度鳴って。


 どく、どく、どく――そこからはとても早く打ち続けた。


 呼吸が乱れはじめる。


 苦しい。

 息をうまく、吸ったり吐いたりできない。



 小さな、女の子だ。


 少しだけ、記憶と違う。

 頭に二本生えていた角が無い。


 でも、

 でも、

 あの後ろ姿は……とても


 似ている。



(――そんなわけない)


 そんなわけないのに。



 ねえ。

 顔を。


 かおを、みせて。


 伝わるはずのないお願い。


 けれど、まるで届いたかのように。


 その子が、振り向いた。



(ぁ――――)



 …………


 ――ゆめ?


   わたしは、ゆめを、みている?



(  ナナ……?)



 瞬間、


 心に、ひびが入った。




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