【47】愛の形はそれぞれ。





「さて、良ければ君のお名前を聞かせてもらえるかな?」


 男……クロウとやらは柔和な笑みを浮かべたまま、

 余の名を尋ねる。


「ニュ……」


 あ、喋れんのだった。


『名乗りたい気持ちはある。しかし余はさきほど目覚めたばかりなのじゃが……

 どうにも眠る以前の記憶が失われておるようでの。自分の名も分からぬのじゃ』


 余は正直に身の上を説明した。

 それを聞いた男は眉をひそめ、憐れみの声で返す。


「それはそれは……いたわしい事だね。君のような美しいウサモフ、

 多少遠方に住まっていても耳に届くはずだが……灰色の毛並みとは、

 目にも耳にも初めてだな」


『うむ……その事だが実は余、自分がウサモフである事に違和感があるのじゃ。

 以前の姿は覚えておらぬが、元からこの姿ではないと思えてならぬ』


「だろうねぇ。それは君を一目見て分かったよ。

 恐らく君は、元は魔物ではなく魔族だったのではないかな」


『ほう……そうか。そんなこと分かるのかの?』


「あぁ。君が元は何者であったかは残念ながら分からないが……

 ひとつ、君に教えてあげられそうなはある」


『余に……なんじゃろな?』


「君はね、恐らく一度死んでしまったか……あるいは思い切り、

 死の淵に漸近したのだと思う」


 え、余が……一度死んだ……?


 とくん、と丸っこい身体の中で心臓……いや魔物だから魔核コアか。

 それが不思議な反応をしたのを感じた。


「何を隠そう、僕自身もかつて一度死んだ身でね?

 しかし見ての通りこのように今は生きて、そして長くながらえている」


 男は自分の胸の辺りに手を添えて、軽く首を傾げる。


「私も昔君のように、記憶を損なって見知らぬ地で目覚めたんだ。

 その際は私も、ウサモフの姿になっていた。紆余曲折ありながら、

 私は様々な地を渡り歩いて自分という存在の手掛かりを探し回った」


『そして、見つけたのじゃな?』


「そうだね……全てではないけれど、長い時を費やして私は多くの記憶を

 取り戻す事が出来た。かつての名も、魔族であった事も、そして……」


 目をつむり、なぜだか寂しそうな笑みを浮かべる。


「自分が、魔王と呼ばれる存在であったこともね」


『……ま、魔王じゃと……!?』


 余は毛を逆立てて驚愕する。


「私はかつて、勇者と対峙して、そして討たれた

 けれど、その事実以外は未だに曖昧なんだ。思い出せない。

 勇者の力はそれは圧倒的だった。状況を鑑みれば、間違いなく私は

 敗れていたはずさ。しかし自分の敗北、死の際が思い出せないんだ」


 クロウはそこまで話して、目を瞑り一寸物思いに耽った。

 そして再び目を開くと、余と目を合わせる。


 余はクロウに、今の話を聞いて頭に浮かんだことを述べた。


『では、余は……余も、魔王であった可能性が?』


「あるいはね。……けれどその仮説は、ひとつ矛盾を孕んでいるんだ」


 矛盾? 余が魔王であったのではという仮説に?


『というのはどういう?』


「魔王は、今も健在のようだ。討たれたという話は聞こえていない」


 ……そうか。


 魔王がまだ普通におるなら、確かに余が魔王という説は通らんのぅ。

 しかしなぜじゃろう、何か引っ掛かるのよな。


「もちろん、例えばつい先日討たれたばかりである、という可能性もある。

 しかしちょうど昨日耳に入ったのだけど、四日程前に、ひとつの人間の

 街がまさに魔王自身の襲撃を受けたと聞いた」


『魔王が直接、人間の街を……?』


「うん。それは苛烈なものだったと聞いたよ。人間の犠牲者は一人も

 出なかったというから驚きだけど、しかし街並みは酷く破壊されたようだね」


『そうか……しかし人間ではなく街の破壊が目的ということかの。

 なんのためにそんな……』


「そこまでは、まだ情報が入っていないなぁ。まぁ簡単に思いつくのは、

 単純な示威的行為であったとか、何かを要求するための脅しだったとか」


 その魔王の人となりが分からんから、余には何とも言えぬのぅ。


『しかし、妙だとは思うけどね。何せ今代の魔王さんは”静謐の魔王”なんて

 呼ばれていたくらい、魔王城で大人しくしている子みたいだったから』


『ほむ……せいひつの……?』


 また、何か頭に引っ掛かりがある。

 何か掴めそうで掴めぬ。なんとももどかしいったらない。


「その派手な行いが、勇者覚醒の引き金になった可能性はもちろんある。

 僕のお友達が日々人里の情報を提供してくれるから、じきに詳しく

 魔王の現状とかも分かると思う。色々考えるのはその後かな?」


『そうじゃのぅ……しかし、魔王か』


 余は、なんだかひどく気になってクロウに尋ねてみた。


『その魔王、名はなんというか分かるかの?』


「うん。ええとねぇ……たしか、ナ……ナなんとか……」


『ナナントカ?』


「いや、そうではなく……あれ、ど忘れしたな、なんだったか……」


『違うわ。それは以前の名前でしょう。今は名を変えたと聞いたでしょ?』


 突然、第三者の念話が割り込んできた。

 余は驚いて、辺りをきょろきょろと見回す。


 すると石の扉が開いて、そこから一匹の大きな雌ウサモフが現れた。


『まったく、普段から呆けて生きてるからボケ気味になるのよ。

 ひと月前に、魔王様が新たな名を襲名なさったの、もう忘れたの?』


 バカよね、馬鹿馬鹿。とその雌ウサモフがきつくクロウをなじった。

 クロウは苦笑いを浮かべて「ごめんよハニー」とヘラヘラ言った。


『クロウ、このウサモフは……? ……ん、ハニー?』


 違和感に気付いて、問う。

 クロウはなぜだかドヤ顔を浮かべてウサモフを手で示した。


「ふふ……話の途中だが紹介しよう。

 こちらが僕の最愛の女性ウサモフ、プニャーペだ」


 …………


 ……


『最愛のうさもふ?』


『もう、恥ずかしいったら!! やめてよ、すかぽんたん!!』


 雌ウサモフが、ぷい、と顔を背ける。

 まんざらでもなさそうではないか……って、


『あの、それは、どういったニュアンスで言っとるのかの?』


「そのままさ……僕はプニャーペを心から愛している。女性としてね。

 もうずぅっと首ったけさ……そうだろう、ハニー?」


『バカ……プニャは別に、あんたの事なんか何とも思ってないんだから!!』


 ポヨポヨと弾みながら、プニャーペがつっけんどんに返す。


 ……えーと?


 ……まぁ、


 ……愛の形は色々あるわのぅ。


 余は遠い目をしてそれ以上深く考えるのはよした。


『そ、そんな事より!! 魔王様のお名前でしょ?』


 プニャーペが余に向き直って、話を戻した。

 おぉ、そうじゃった……


『うむ……というか、名を変えたと言ったの。なんでまたそんな事を』


『さぁ、分からないわ。魔王様のお考えなんてきっと海より深いもの』


 なんでじゃろ、そんな事無いと断言しかけた自分がおった。

 記憶無いのに。


「それで、ハニー。なんという名前だったかな?」


 クロウに促され、プニャーペが言った。



『リリィ=フォビア=セプテム』



『……え?』


『リリィ様よ、魔王様の新しいお名前は』



 プニャーペの言葉。


 その名を耳にした時、

 余はなぜか、


 心が裂かれるような心地がした。




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