8.「弱さ」を抱えた者たちの物語

 具体的なビジョンを示そうとしているのは、2023年末にコミカライズされたライトノベル『ギスギスオンライン』である。本作は、VRMMOものの作品であり、登場人物たちは謎の宇宙的な技術で作られたゲームによって、まるで現実と実感してしまう世界を楽しんでいる。


 作中では、ゲームだからという条件設定によって、人間の邪悪さや醜さが描かれる。主人公は、プレイヤーたちを「昼間は真面目なサラリーマンみたいだった男が、夜になって徒党を組むと一変して世紀末のモヒカンみたいになる。このゲームをやってないやつはそんなバカなと思うだろう。が、しかし事実だ」(ココナッツ野山, 2020年, 「ツギハギだらけのケモノたち」, 『ギスギスオンライン』, https://ncode.syosetu.com/n0776dq/567/)と描写する。このプレイヤーたちの様相から、主人公コタタマの口癖は「種族人間はゴミ」となっており、それは敵と比較して能力的に劣っているだけではなく、人間性が劣悪であるという認識に基づいている。人間とは、ほとんどが「ゴミ=弱さを抱えた存在」なのである。


 しかし、作中、その邪悪さ、醜さをコタタマは単純に否定しない。曰く、「どんなに悪辣な人間で、そうと自覚していても、自分を見限ることは難しい。信じてやりたいじゃないか。せめて自分だけは……。」(ココナッツ野山, 2022年, 「タル」, 『ギスギスオンライン』, https://ncode.syosetu.com/n0776dq/747/)と。

「弱さ」を環境の問題として転換していくのではなく、「弱さ」は「弱さ」として受け止める。その上で、弱さを持った存在をゴミと言いつつ、一概に否定しない。

 コタタマはラバーズ的ではある。だが、コタタマは、環境をコントロールして他人に勝ろうとすると必ず失敗する宿命にある。個人として環境を踏まえて行動することは、失敗するものとして描かれる点で、ラバーズとは異なる。


 そして、コタタマは寄り添われることを拒絶する存在でもある。彼と似たような精神性を持つ「リリララじゃない人」と対峙した際、「他人に何も期待をしていない。……(中略)けれど世の中には、それがどうしたと手を差し伸べることができる強い人間も居る。俺やお前は、その手を振り払って生きてきた。今更だよな?自業自得だよな?」(ココナッツ野山, 2024年,「モグラ帝国の野望〜もぐらっ鼻の末裔〜10」, 『ギスギスオンライン』, https://ncode.syosetu.com/n0776dq/860/)と語りかける。


『ギスギスオンライン』はナナオ的な弱さをさらに醜くした存在たちを描く。だが、コタタマが「オンラインゲームとは天国を作る試みだ」(ココナッツ野山, 2019年, 「GW〜イケメンホスト集団の戦い〜」, 『ギスギスオンライン』, https://ncode.syosetu.com/n0776dq/390/)というように、描かれるのは彼らのやりとりの結果としての社会の理想のあり方であるはずだ。

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