1.身体的・精神的な「弱さ」の克服

「弱さ」の単純な形としては努力によって乗り越える身体的なものであったり、悪に陥る心のありようを示すものであった。つまり、端的に「弱さ」は悪いもの、何かが欠けたものとして、克服すべきものとして描かれる。特に、少年漫画では「弱さ」の克服は分かりやすいモチーフである。例えば、90年代に週刊少年ジャンプで連載されていた『ダイの大冒険』でポップが人気を博することはこの良い例だろう。登場人物たちが強さのインフレとともにその貴種としての特殊な背景が強調される中、平凡な少年が弱さを克服していく姿は、このモチーフに最も忠実だったからだろう。また、このモチーフは決して古びることはなく、同作は2020年にアニメ化されている。


 だが、それ以前の少年漫画では、身体的に強くなろうとするあまり自らの身体を破壊してしまう物語があった。梶一輝をはじめとしたスポ根ものというジャンルである。弱さの克服というモチーフは、自己の否定として描かざるを得なかった時代があるのだ。60年代後半から70年代前半に描かれた『あしたのジョー』は「真っ白に燃え尽き」るしかなかったのである。これに合わせるように前述のポップは、身体的な弱さの克服ではなく、魔法使いとしての強さの獲得という道を辿っている。


 身体的な弱さの克服が孕む問題は、精神や心のありよう、知的な活動へと位置を移されている。既に、『ジョジョの奇妙な冒険』第3部において、鋼入り(スティーリー)ダンが自らのスタンド「ラバーズ」を最弱としながらも最恐であると述べている。従来の身体的な(正確には登場人物の分身とも言えるスタンドの「身体」であるのだが)「弱さ」が単なるスペックの次元の話に移っており、目的達成の手段での下位に置かれている。


『ジョジョ』シリーズはその第1部の段階で精神の高貴さによってジョジョとディオが対比されており、強さと弱さを精神の問題とされている。「人間をやめる」精神性こそを「弱さ」とするのである。そうして、主人公たちは徐々に身体的な修行をしなくなっていく。第1部、第2部では波紋の修行を行なっていたジョジョたちが、90年代から身体・精神ともに修行を行わなくなっていくのである。

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