第85話
「クーシャには店番を任せっきりだったからな。日頃の礼も兼ねて、たまにはお洒落も良いだろう」
「あら、ええやん」
その日の朝。
自分はイチャイチャしている夫婦を横目に、セドル君の着替えを手伝っていました。
「綺麗なネックレスですね」
「ほんま、ゴムージにしては気が利くで」
「嫁には綺麗でいて欲しいからな」
ゴムージはクーシャさんにもプレゼントを買っていました。
彼はいかにも高価そうな、赤い宝石がついたネックレスをクーシャさんの首にかけました。
ゴムージ曰く、割と奮発したのだとか。
「ありがとー、宝物にするわ。また貢いでなダーリン」
「へいへい」
ネックレスを撫でて小躍りするクーシャさんを見て、ゴムージは苦笑しました。
セドル君は、そんな二人の様子をポカンと眺めています。
「トウリちゃんもアクセサリーとか要らんの?」
「いえ、自分は」
「ウチのおさがりで良ければ、あげよっか?」
女の人はアクセサリーが好きと言いますが、クーシャさんの目の輝かせ方は凄まじいものでした。
きっと、ゴムージから貰ったからこその喜びようなのでしょう。
「トウリちゃんはそやなぁ、赤よりも青系の方が似合いそうや。ちょい待っとき、幸せのおすそ分けを……」
「あー。えっと、その」
ですが自分は、着飾ることにはあまり興味がありません。
職業柄、化粧をすることにすら抵抗があります。
なのでアクセサリーを貰っても、正直困ってしまうのですが……
「ほっといてやれよ。先輩はそう言うの、苦手なクチだろ」
「えー、そうなん?」
「まだ、いまいちピンと来ていないんです」
自分の困惑を察してくれたゴムージが、助け船を出してくれました。
この男は最初から、自分がアクセサリー類に興味が無いと気付いていたようです。
その辺の機微の察し方が、商人らしいというのでしょうか。
「勿体ないわぁ。トウリちゃん野暮ったい服ばっか着てるし、お洒落してみればええのに」
「自分の身の丈にはあっています」
「良いじゃねぇか、それはそれで先輩の良さだ」
まぁ、自分はそのあたり一般女性とは感性が異なるのでしょう。
クーシャさんは自分を微妙な顔で眺めたあと、ゴムージにお礼のキスをしました。
ゴムージもキスを仕返したので、自分は無言でセドル君の目を塞ぎました。
ああ、毎朝のことながらLoveな熱気に当てられそうになります。
「今日は出勤日なので、お先に失礼します」
「行ってらっしゃいトウリちゃん」
「トゥーちゃん、ばいばい」
自分は二人の熱に当てられる前に、職場に退散することにしました。
幸せで、眩しすぎるその風景から逃げるように。
この日はゴムージが、家でセドル君の世話をしてくれる予定でした。
自分はいつも通りアニータさんの診療所で、応急診察の手伝いです。
クーシャさんはゴムージ雑貨店の看板娘として、今日も元気に働く手筈です。
いつもと変わらない、平穏で静かな日々。
自分を追いかけ、玄関の外でずっと手を振ってくれているセドル君に微笑み返して、アニータさんの診療所に出かけました。
────その笑顔はもう二度と、戻ってこないとも知らずに。
ゴムージの雑貨店は、元は倉庫だった建物を改装して作られていました。
場所はゴムージ家のすぐ隣で、1分で行き来できる距離です。
その倉庫の入口にレジカウンターを置いて、注文された商品をクーシャさんが取りに行って代金と引き換え渡すような仕組みです。
女一人で店番と聞けば不用心に思えますが、店前は人通りが多く、強盗などが現れても誰かが助けに入ってくれるでしょう。
人通りが少ない時間になると、クーシャさんは早々に店を閉めます。
そんな訳で、今までは特に問題なく彼女一人で店番ができていたのです。
「……随分、儲かってそうだな」
「ええ、おかげさまで」
クーシャさんはその日も、いつものようにニコニコと笑顔を振りまいて店のカウンターに立っていました。
ただこの日は、朝にゴムージから贈られた高価なネックレスを身に着け、いつも以上に機嫌が良かったでしょう。
「そのネックレスは幾らしたんだ?」
「さぁ? 旦那が買ってきてくれたもんで」
「旦那さんは何やっている?」
「行商やよ。仕入れたもんを売るのが私の役目や」
「ちっ」
そんな彼女の笑顔を見て、店内に入っていた客は舌打ちしました。
その理由は、
「随分と、不当に貯め込んでいるんだな」
「はい?」
この客はある過激な思想家によって、「資産家は祖国を滅ぼす敵」であるという認識を植え付けられていたからです。
いや、正確にはこの男は客ではなく、
「お前らのせいで、何人の罪なき市民が死んだと思っている?」
「あのー、お客さん?」
「貴様らが良い思いをして、贅沢を極めたばかりに」
最初から、略奪を行うためにオセロ村に訪れていた暴徒の一人でした。
それは、突然の出来事でした。
平和だった村にいきなり大きな悲鳴が上がった直後、数発の銃声が鳴り響きました。
「いったい何事だ?」
「……何やら不穏な雰囲気ですね」
この時、自分はアニータさんの診療所で仕事をしている最中でした。
診察を中断して窓から外の様子を窺うと、銃を手に持った男が大声で何かを叫んでいるのが見えました。
「我々は───、革命に───」
「────村長を、出せ────」
それは、数十名の小汚い身なりの武装集団でした。
遠すぎて話の内容は断片的にしか分かりませんが、どうやら「金と食料と財産をよこせ」という要求みたいです。
それが革命のためであり、祖国のためなので協力しろという言い草でした。
「盗賊だな。……どうしたもんか」
「村長を出せと言っていますが」
彼等は通りがかった住民を脅し、口の中に銃口を突っ込みました。
あのまま発砲されたら、頭が吹き飛んでしまうでしょう。
脅された村人の、顔が真っ青になっています。
「あ、あぁ。お爺……」
「……っ」
そんな粗暴な男どもの呼びかけに応じ、1人の老人が恐る恐る歩いてきました。
自分は、その老人に見覚えがありました。
以前、自分がヴァーニャで会話を交わした老夫婦の旦那さんです。
「……」
「つまり、……」
男は老人と言葉を交わしました。
老人は腰を低くして、ペコペコと頭を下げなから何か交渉しています。
彼は必死に頭を下げ、賊に何かを懇願していました。
「あっ!」
暫く言葉を交わされた後。
武装した男はおもむろに、銃を老人に向けました。
老人は目を見開き、男はニヤリと唇を歪めます。
「いかん、逃げろ爺────」
直後、村に大きな銃声が響き渡り、老人は顔面を吹っ飛ばされました。
大きな悲鳴が村中に響き、頭を失った老人は力なく倒れてしまいます。
「この男は───、我々に協力しないのであれば───、我々は革命の敵に対し───、命を懸けて戦う覚悟が───」
老人の頭を吹き飛ばした殺人男は、再び演説を始めました。
おそらく老人は村の為に、彼らの要求を断ろうとしたのでしょう。
その結果、銃で撃ち殺されたのです。
「ただいまより徴収を行う───」
粗暴な男たちは銃を構えたまま、散ってそれぞれ民家を回り始めました。
そして住人に銃口を突き付け、家から財産を持ち出し始めます。
居留守を使った家は燃やして、堪らず出てきた人を撃ち殺してしまいました。
「卑怯な人間を我々は許さない────」
それは紛うことなき略奪でした。
老人を殺す事で本気だと示し、速やかに財産を奪うその手口。
そのやり口の慣れ方を見るに、もう何度も略奪を行ってきたのでしょう。
「こ、ここに来たら、アタシが対応する。トウリちゃん、患者を奥にまとめて隠れさせとけ」
アニータさんは顔を青くしながらも、そう言って玄関口の方へ行きました。
診療所の主として、矢面に立つつもりのようです。
この非常時に、かつて軍人だった自分のとった行動は────
────部屋の隅で、顔を青くして屈み、震える事でした。
「ひぃっ、また銃声が」
「何なんだよ、あいつらは……っ!!」
自分は、無力でした。
銃声が聞こえるたびに恐怖で心が凍り付き、涙を浮かべることしか出来ませんでした。
装備も何もない今の自分では、武装した集団に為すすべがありません。
「……ゴムージ」
外の賊達は、やがてゴムージの家に入っていきました。
きっと、彼の家の財産や商品を根こそぎ奪っていくのでしょう。
ゴムージは口が上手いので酷い事にはならないと思いますが、心配でした。
「くそったれ、何だってんだよぉ」
まさか真昼間から堂々と、襲撃してくる賊が居るとは。
この地域の警察は、軍は、何をしているのでしょうか。
ガクガクと、腰が震えて動けません。
「だ、大丈夫だお癒者さん。いざとなりゃ、俺が」
「す、すみません」
よほど酷い顔色だったのか、自分は患者さんに心配されてしまいました。
戦場帰りで鉄火場に慣れている筈なのに、この場の誰より落ち着いていなければならないのに。
「……大丈夫、の筈です」
いえ。違いますね。
自分が戦場帰りだからこそ、銃の音が怖くて震えが止まらないのでしょう。
銃の恐しさを知っているからこそ、恐怖に押し殺されているのです。
あの武器がどんなに簡単に人の命を奪えるか、衛生兵だった自分はこの上なく熟知しています。
────ああ、本当に情けない。
そんな自嘲と共に、自分は目を閉じて泣いていました。
……すると。
バァン、と。
突然にゴムージの家の方から、大きな銃声が響き渡ったのです。
「……っ!」
「トウリちゃん!?」
確かに聞こえました。彼の家から大きな銃声が。
あの家の誰かが、撃たれた可能性があります。
そう思った瞬間に腰の震えが止まり、自分は立ち上がっていました。
「すみませんアニータさん」
「な、なんだトウリちゃん」
「自分はゴムージの様子を見に行ってきます」
「ちょ、ちょっと!」
嫌な予感で、動悸が止まりません。
何か致命的な事が起こったような悪寒が、喉を渇かしました。
「……ご迷惑はかけません!」
「おーい!」
自分はゴムージに貰った黒い鉄筒を肩にかけ、裏口から診療所を飛び出しました。
冗談ではありません。口が上手いのが取り柄でしょう、ゴムージは。
どうして、発砲されるなんて事になったのですか。
「……」
自分は走りました。万が一のことがあれば、彼を助けるのは自分の役目です。
この数か月の平穏は、彼のお陰で手に入れました。
彼だけは、絶対に見捨ててはいけないのです。
自分は敵の位置を確認しながら、民家の裏を駆けました。
発砲音がしてからまだ数分ほど、即死でなければまだ助かる見込みはあります。
誰にも見つからぬように、足音を忍ばせて。
見つからぬ様ゆっくりと、ゴムージの家の裏口付近まで走って────
「……あ」
その、ゴムージ雑貨店の入り口に。
見覚えのある
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