第32話 魔境?
「フィオ、貴様には呆れたぞ。流星の秘術の重要性は、とくと説明したはずであろう」
筋骨隆々の化け物が、オレの前で目を怒らせて立っている。
その男の髪の毛は薄く白みがかっているが、顎髭は立派に蓄えて轟々を伸ばし放題になっていた。
「まったく嘆かわしい。少し甘やかし過ぎたようだな」
この男は
そして、オレの実の父親でもある。
「里に戻ってきたのもいい機会だ、久々に稽古をつけてやる」
「……」
せっかくなので、ミクアルの里の成り立ちについて説明しておくと。
この里は二百年前に、当時の魔王を倒した『勇者ミクアル』の一族が山籠もりするために作ったのが始まりだ。
勇者ミクアルは魔王が復活した時に備えて、自らの武術を弟子や子孫に継承しようと考えた。
そこで彼は見込みのあるものを選び、山奥に隠れ里を作って修行を行ったのだ。
やがて、その噂を聞いた各地の武術家たちも、修行のためミクアルの里を目指すようになり。
武芸者たちはミクアルの一族の強さに感服し移り住み、ミクアルの一族と結婚して子どもを儲けた。
そういう経緯で徐々にミクアルの里は大きくなり、人数も増えていった。今ではその人口は数百人にのぼる、大きな村落へと成長したのだ。
そしてこれこそ、村人全員が『兄弟姉妹』という文化の元である。
ミクアル一族だけで里を形成していた時の名残で、村の民はみんな血縁であるという風習が残っているのだ。
そして『全員が兄弟姉妹』というミクアルの里で、最も慕われている者が村長に選ばれる。
……それがこの、オレの目の前にいる筋肉モリモリマッチョマンの変態なのだ。
「ついでに、流星の秘術についても学び直して貰おう。継承の祠で、みっちり貴様の根性を叩き直してやる」
この男が村長に選ばれた理由は、単純にすごく強いからだ。
オレも幼い頃からこの男と世直しの旅をしていたから、その腕は良く知っていた。
凄まじい剛腕で、素手で大岩を叩き割ることができ。魔法の扱いも器用で、土魔法を柔軟に操って動きを妨げる。
柔らかくも剛いその戦闘スタイルは、間違いなくミクアル最強だった。彼をおいて、村長になる者はいないだろう。
「お前にはもっともーっと、成長して貰わねば困るからな」
そして何故オレが、子どもの頃からこの男に連れまわされていたのか?
それはオレが、このミクアルの里の『次期村長』候補だからである。
オレは幼少期から回復魔法で非凡な才能を発揮し、十歳にしてミクアルの里で一番の魔法使いになっていた。
さらにその頃にミクアルの里を救う『ちょっとした活躍』をしたこともあり、村人からも次期村長はオレで決まりみたいな空気が出来ていたのだ。
村長もオレに後を継いでほしいようであり、幼いころからそこら中の戦場に連れまわされ。英才教育という名の児童虐待を受けた。
そういう経緯もあって、オレはこの里の継承者でほぼ決まりみたいな感じになっている。
ただ正直、オレはフリーダムな奴しかいないこの里を纏めきれる気がしない。結婚まで行ったら、アルトに押し付けてやろう。
そんな風に現実逃避していたオレに、村長は容赦なく雷を落とした。
「どこを見ている! 目を逸らすなフィオ!!」
「……うぷ。気持ち悪い」
大声で怒鳴られ、オレはつい村長を直視してしまった。
汗を光らせ、生々しく漲る、
そう。この村長とかいう男。これが正装だとかいって、ミニスカ巫女服を着て大真面目に話をしているのだ。
異様に丈の巫女服姿で、筋骨隆々のマッチョがオレを正論で殴ってきても、頭に入るわけがねーだろ!
「よし、復習だ。まず! このように力をためて……ふぬぅぅぅぅぅ!!」
「あ、あ、あ」
巫女服の変態がうなり声を上げると、全身の筋肉が盛り上がっていった。ぷちぷちぷちとサラシが切れて、村長の汚い乳首が露わになる。
そうだ、思い出した。オレが流星の巫女について何も覚えてなかった理由を。
「ふぬぅうん!」
パァン!!
やがて大きな炸裂音と共に、巫女服が弾け飛んだ。
「この、ようにぃぃぃ!! 高ぶる魔力をぉぉぉ!! 一身に集めてぇぇぇぇ!!」
「やめろ……、やめてくれよ……」
そして穢れた股間のふくらみが、オレの顔の前でぶら下がり、ぷるぷると揺れる。
巫女服が弾けたことで、オレの胴より太い太腿と汚れた赤いふんどしが露わとなったのだ。アルトに褒められた、オレの自慢の碧い目が、どす黒く濁っていく。
「全身でぇぇぇぇぇ!! 祈りをささげるのだぁぁぁぁぁ!!」
ビリビリ。
……全裸。
そんなオレの気持ちを知ってか知らずか。村長の全身の筋肉はどんどんビルドアップし、やがて唯一
「これぞぉ!! 代々伝わる神聖なる儀式ぃぃぃ!! 即ち、流星の祈りだぁぁぁぁぁぁ!!」
「……ンヴォエェェ!!」
あまりの禍々しさに、正気を保つ事が難しくなってしまったのか。
あるいはオレの防御本能が、目の前の
「汚すぎる……」
「おい、フィオ!?」
やがて頭でぷつんと嫌な音がなり、オレは泡を吹いて気を失ったのだった。
【ルート視点】
「フィオの奴、疲れていたようだな。講義を始めてすぐに寝落ちしよったわい。こりゃ、明日も補習じゃな」
「……。良いから服、着てください」
おかしい。
僕の、もう一人の目指した先。その背中を追い続け、今の僕を形作ったヒーロー。幼い日の、憧憬の果て。
次は全裸で気を失ったフィオを抱きかかえ、戻ってきた。
この人、この短時間でフィオに一体何した!?
「……」
フィオを散々に罵倒していた少女メルは、顔を真っ赤にして手で覆っていた。意外にも初心な反応だ、少しだけ安心した。
ミクアルの里はフィオやこの老人のようなキ……エキセントリックな人物ばかりではないらしい。
「このアホ
「おお、これは失敬。メル、我が家にこのお三方を案内しておいてくれ。ワシもすぐに着替えて向かおう」
「……はぃ」
彼女は顔を赤らめたまま、くいくいと僕の服の袖をつまんで引っ張った。ついてこいと言いたいらしい。
ガハハと全裸で腕を組み笑う男から目を伏せ、僕は彼女について歩き出した。これ以上、僕の幻想を壊されたくなかった。
世界はいつだって、こんな筈じゃ無かったってことでいっぱいだ。
「あそこが、村長の家」
「……ああ」
彼女についていくと、僕たちは大きな館に案内された。
庭には全裸のマッチョの石像が気持ち悪いポーズを取っている。間違いなく、先程のお爺さんの家だろう。
「すまなかった、お前ら。客人になんてモノを見せるんだ……、
メルはそう言って、気を失ったフィオを抱えながら申し訳なさそうに謝った。
「メル様。本当にあのお方が、このミクアルの里の村長なのでしょうか? 他の村人も、もしや……」
「待って、誤解しないで。違うから、アイツとフィオがぶっちぎりでヤバいだけで、ここはのどかで平凡な里だから」
クリハさんは、半目になって呆れていた。無理もない、彼女のような常識人からしたらこの里は人外魔境にしか見えないのだろう。
かくいう僕も、この里に対し不信感を感じ始めていた。
「一本の樹を見て森を理解した気になるな、と言われたことはないか。アレはごく一部の特殊な例なんだ」
「確かに、君の言う通りだ」
だがメルがいうには、村長とフィオだけがおかしいだけらしい。
その言葉を信じ、納得しようとして。
────高速で飛行する何かが、僕の頬をかすめた。
「幼女は、いねぇかぁぁぁぁ!!」
「消えろ」
一閃。
何の前触れも無く突然飛んできた「何か」をメルは反射的に蹴り飛ばした。
吹っ飛んだソレは断末魔の声を上げ、岩にめり込み、土砂に埋もれ視界から消えた。
「……。今の、何です?」
「恐らく魔王軍だ。ここまで1人で攻めてくるなんて、度胸ある魔族もいたもんだ」
「いや、人に見えましたけど。厳かな修道服を着ていたように見えましたけど」
「きっと信仰心のある魔族だ」
嘘だ。絶対、この里の危険人物かだ。メルの目がどんより濁ったのがその証拠だ。
……そういえばミクアルの里には王国の司祭様が題材していると聞いたことがあるが。
違うよね。さっきのはただの修道服を着た変態で良いんだよね。
「とりあえず、早く村長の家に入ろう。中にさえいれば安全だ。兄弟たちにはしっかり言い聞かせておくし」
「……え、外を出歩くのはまずいの?」
「その、なんだ。別に散歩したいなら止めないが、何が起こっても自己責任で頼む」
「ここは危険地域か何か?」
せっかくの機会なので、ミクアルの里を見て回りたかったんだけど……。
この里は散歩するだけで、危険が伴う場所らしい。
「バーディさえ正気に戻ってくれたら、護衛して貰えるんだけど」
「ホゲェ……責任って何だっけ……」
「だめだこりゃ」
頼れる僕らの槍使いバーディは、白目を剥いて口から魂が抜けかかっていた。
そんなに責任取りたくないなら、ヘンな事をしなければいいのに。
「その戦士、そんなに強いの? さっきから最低なうわごとしか言ってないけど」
「え? まぁ、仮にも勇者パーティの一人だからね。人間性はさておいて、国で最強の槍使いだって話だよ」
「ふーん? じゃあ後で手合わせして貰おうかな」
メルはそう言って、胡散臭そうにバーディを見ていた。
一応、ちゃんと強いんです。その男。
「そんなに里を見て回りたいなら、私が案内してやるよ」
「え、いいのかい」
「……放っておいて死なれても、寝覚めが悪いし」
気を失ったフィオをベッドに寝かせたあと。
バーディと僕とクリハは、ミクアルの里をメルに案内してもらうことになった。
「バーディ、そろそろ正気に戻ってくれ。ほら、あそこに美人が居るよ」
「えっマジで!? うおお!! 本当に居た」
「あー、アンデュワ姉さんだね。あの人既婚者だよ、村長の奥さんのひとりだよ」
「がっでむ!!!!」
ミクアルの里は、メルの言う通りのどかで平和な場所だった。道はしっかり舗装され、下水路などもあるらしい。
風に揺れる風車の、脇に備わった風見鶏の音が心地良い。里の中央を横切る河川は補強されていて、日本の土手のようだ。
前世の暮らしを思い出してきた。良い場所だ、ここは。
「はい! はい!! はいはいはいぃ!!」
……そう、感傷に浸っていたんだけれど。
「その首貰った、今日が貴様の命日だ師匠ォ!!!」
「舐めるな小僧ぉ!!! ワシの魔偽裂殴打を受けてみろぉ!!」
川沿いの路傍では、熱血な青年と人相が悪い老人で決闘が行われていて。
周囲ではやんややんやと、楽しそうに野次馬が酒を飲んでいた。
「うふふ、お医者さんごっこー!」
「やめろ、それはフィオだから出来た遊びで、お前が真似しちゃ……ぎゃあああ!!」
「あああ、またやったわね! もう、お友達の
また土手では幼女が満面の笑みで、素手で男の子の腸をぶちまけていて。
すぐさま駆けつけてきた大人に怒られ、涙目になっていた。
「……のどか?」
「うん。うん、これで、いつもよりのどかなんだ……」
「えぇ……?」
成る程。こんな場所で育ったら、フィオが常識を失うのも無理はなかったのかもしれない。
まだ滞在して数時間なのに、既に僕も常識が揺らぎつつある。
「なぁ、メルさんとやら。この里では、女とヤったら責任取らなきゃ不味いの?」
「うっさい、死ね。私はまだそういうの知らんし。外でそれが常識なら、そうだと思うぞ」
「ん? 色事を良く知らない割には、随分と正確な回答だなお嬢ちゃん。さてはムッツリスケベだな? けしからんな、このエロ幼女め」
「おいルートとやら、この男が本当に勇者なの? 性格が終わってるんだが」
「人間性は置いておいておく、と言っただろう。あのフィオと一緒に色街に行くような男だぞ、バーディは」
「……は? え、え、え!? フィ、姉ちゃんと、色街!! はぁぁ!!?」
バーディとフィオがよく、一緒に色街に出掛けていることを告げると。
メルは素っ頓狂な叫び声をあげ、バーディに食って掛かった。
「おいお前ぇぇ! 姉ちゃんとどういう関係だ、いえ!」
「お、おい、妙な誤解すんなよ。俺とフィオとはそういう仲じゃないから?」
「じゃ、じゃあなんで姉ちゃんとそんなとこ行ってるんだよ!!」
「あー、遊び? 何でも良いだろ、オレとフィオがどこで遊ぼうとお前に関係ねえだろ」
メルの剣幕に押されたのか、バーディは面倒くさそうにそう答えた。
……その言葉が、メルにとって逆鱗に触れたらしい。
「……ス」
「あん?」
すぅぅ、とメルの瞳から光が消えて。
「ぶっ殺ス!!」
「のわぁ!! いきなり何するんだ、この幼女!」
「綺麗な姉ちゃんを返せ!! この●●●!!!」
「うーわ、何をいきなりブチ切れてんだこのガキ。よっ、ほっと、やるじゃねぇか。結構いい動きじゃねぇか」
顔を真っ赤に上気させ、バーディを射殺すよう睨んで叫びだした。
あれ、実はこの娘、結構フィオが好きなのか? だとすれば、口が悪いのはテレカクシなのかも。
「お、珍しいな。おーい皆、メルの奴が見かけない顔と喧嘩してるぜ!」
「マジじゃねーか。ホラホラ、張った張った!」
喧嘩が始まると、がやがやと村人が集まってきた。
メルは本気で殺しにかかってそうだが、止めようとする人はいない。この程度の喧嘩は日常茶飯事なのだろう。
「うう、遊びだと、ふざけんな!? 姉ちゃんはな、ああ見えて乙女なんだぞ!! 男っぽいからって、そんな、そんな扱いを────!!」
「ほほう。フィオの乙女っぽいだと? そんな所がどこにあるんだ、言ってみろよ嬢ちゃん」
「本当だっつの!! それはラント兄が、姉ちゃんに告った時の話でなぁ!!」
少女メルが顔を真っ赤にして怒り、バーディの煽りに食って掛かる。
それと同時に、周囲でメルをあおっていた青年の顔も凍り付く。
「ラント兄はわざわざ鉄棒の前まで姉ちゃんを呼び出して────」
「おいやめろメル、誰かあの幼女を止めろぉぉぉ!! 俺の黒歴史がっ!!」
「うるせぇ、ラントは黙ってろ!! よし良いぞメル! 続けろ!!」
「ぐぬぉおおおおおお」
どうやらやじ馬に居た青年の一人が、メルが話題に挙げた『ラント兄』らしい。
哀れ、彼は周囲の野次馬に拘束され、メルにより黒歴史をあらわにされてしまった。
聞くとラントは少年時代、体力アピールのため懸垂をしながらフィオに告白したそうだ。
そんな面白い告白して成功するはずもなく、メルは『どんな振られ方をするのだろうか』と、他の村人とともにワクワクして覗き見ていたそうだが……。
『あ、う……』
フィオは告白された後、顔を赤くしてモゾモゾと黙り込んでしまい、
『告白されたのは嬉しいんだが、やっぱりラントはちょっと』
『そんな!?』
少年ラントを期待させておいて、バッサリ振ったそうな。
ふむ。今度フィオが女装を強要して来た時に、良いカウンターになりそうな話だ。覚えておくとしよう。
ちなみにこの喧嘩は、地面に倒れ込んだメルに、バーディが高笑いしながら屁をぶっかけるという非人道的侵略行為をもって終結した。
そのあまりに無残な結末に、僕はバーディへ個人的な制裁を加えようと決めた。
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