第12話 淫夢っ!

 アルトに抱きすくめられ、どれだけの時間がたっただろうか。一瞬のようにも思える。1時間はこのままだったかのようにも思える。


 オレは、今、全身を押さえつけられている。筋肉質な腕に、鍛え上げられた体幹に、射貫くようなその眼光に、あらゆる行動を封殺されている。両手を胸の前で繋ぎ、仰向けで神に祈るような姿勢のまま、オレは固まってしまっていた。脳内から、疑問符が湧き出ては沈み、膨れては萎む。


 一体、何が起こった!? なんで、どうして、こうなった!? 


 真剣な奴の目をまともに見れない。せいいっぱい顔を逸らしても、アルトの視線は外れない。


 感じる。何か、強い意志で、オレを押さえつけているのを感じる。


 この膠着状態は、いつまで続くのだろうか。オレはいつまでこの男に、こんな状態で拘束され続けねばならないのか。


 永遠にも思えたその均衡は、直ぐに崩れ落ちた。


 奴が動いたのだ。いや、この状況では奴しか動けないのだけれど。


「……ッ!」


 アルトは断りもなく、黙ったままオレの大腿部を撫で上げた。ぞくり、と悪寒が背筋を走った。


 奴の息が、どんどん荒くなってきた。奴の手がさわさわと、少しずつオレのアレへ向かって進んでいく。


 どうしよう、このままだとオレは昨日のようにヤられてしまう。また、凌辱が始まってしまう。


 それは、嫌だ! 二度とごめんだ、あんな屈辱は! 


 ……噛みついてやる。それ以上手を進めてみろ、お前の鼻っ柱を嚙み千切ってやる。覚悟しろよこの色情魔。勝てないまでも、せめて一矢報いてやる……。




 すり、すり。




 ところがアルトの手は、太腿の付け根で止まった。それ以上、進んでこない。ポタリ、と汗がオレの頬を打つ。横目で見ると、アルトの顔は、心配になるくらい真っ青だった。


 アルトからごくりと生唾を飲む音が聞こえて、その眼球は忙しなく左右に揺れていた。オレの肩を押さえる腕は震えているし、下半身に置かれた手先は既に汗でビッショリだった。アルトの手は、ひんやりと冷たい。


 ……ふむ、さてはテンパってやがるのか、アルトの奴。昨夜はあんなに傍若無人だったくせに、今になってチキってやがる。まったく、情けない奴だ。


 いくら待っても、手はオレの先へと進んでこない。そのまま太腿を撫でられ続けるだけだ。少し、くすぐったい。


 ははん。やはりコイツは、いざオレを前にして臆病風に吹かれているのだ。


 奴の惨状を前に、オレは少し余裕を持った。ヤられる寸前ではあるけれど、アルトより精神的に優位に立てるのは気分がいい。


 さて、次はどうするんだ? とうとう、ヤバイ所に手をやるつもりか? 迂闊にもアルトは、オレの肩を抱いてはいれど腕を押さえてはいない。両手はフリーだ。


 さあ来やがれ、触れてみろ。渾身のビンタをお見舞いしてやる。





 ぐい。





 突然、オレは頬を撫でられ。


 目の前に、先程まで思いっきり張り倒すつもりだったアルトの顔が現れた。


 アルトが手を伸ばしたのは、オレの顎だった。ヤツはオレの顎先を指で、クイと押し上げたのだ。


 心の準備もないままに、オレとアルトは至近距離で目と目が合う。その瞬間、迂闊にもオレは思考を一時的に止めてしまった。


 ───近い。


 頬が、真っ赤に染まってしまう。この展開は、想定していなかった。

 

 ちょっと、待ってくれ。何でコイツは、今日に限ってこんなに的確に揺さぶりかけてくる? 実は女慣れしてるんじゃねぇか!? 


 息がかかり合う距離。


 蛇に睨まれた、蛙。


 まな板の、鯉。


 ああ、駄目だこれ。どうしようもないじゃないか。


「……いいな?」


 奴は真顔で、そんなとんでもない事を問う。


 ……良い訳があるか!? 頼むからここから逃がしてくれ! 


 ────止めろ、オレを見るな。


 肩を掴まれている。体は覆いかぶさられている。顔は吐息のかかる距離。


 何かを期待した表情のアルト。乱れた呼吸音。顎を掴まれ、外せない視線。







 ────何故か、オレは、頷いていた。



 おい、何をやってるんだオレは。馬鹿じゃねぇの。意味が分からない。何頷いているんだ、この妙な空気に流されたんだろうか? ああ、そういえばオレってば前世むかしからせがまれると断れない性質タチだっけ───


「分かった。行くぞ、フィオ」

「……」


 もう、自分で自分の考えていることが分からない。奴の顔が近づく。思わず、目を閉じる。そして、



 ────唇を奪われた。舌を入れたりとかは無かったけれど、数秒間はタップリと吸われた。唾液の糸が引かれ、オレの頸を冷たく刺激した。


 そう言えば、昨日はキスとか無かったな。これ、ファーストキスか。


 奴がオレを抱きすくめている間に、オレはぼんやり、そんなことを考えていた。











 もう、コイツが何なのかよくわからない。


 気が付いた時には、丸裸になっていた。いつの間に脱がされたのか、覚えていない。


 気が付いた時には、体が熱く火照っているし、頬が真っ赤に上気していた。


 初夜の時が嘘みたいに、快感しかない。コイツ、鈍感糞野郎だと思っていたが、こりゃ童貞じゃねーな。流石に上手すぎる。コノヤロー、女に興味ないふりして、コッソリやることはやってるんじゃねーか畜生め。


 ────脚が、大きく跳ねる。


 ……あ。今、凄い声出したな、オレ。こんな声出せるのか、初めて聞いたぞ。


 なんだコレ、何も考えられない。今、何をされてるかもわからない。体が自分のモノじゃないみたいに跳ね回っているのだけが、分かる。どんな体勢で、どんな顔をしているんだろうか、オレは。奴に、どんな景色を見せてしまっているんだろう。


 ああ、ああ。堕ちていく。これは、抗えない。


 そして、物凄い快感と共に背筋がピンと跳ねて、そのままオレの意識が飛んだ。












 そして、朝日が照り付ける。まどろみと光彩が安い宿の相部屋に混ざり合い、心地よい朝を演出した。


「……はっ! なんだ、ただの淫夢か」


 オレはいつものように、起床時間にスッキリと目を覚ました。寝起きがいいのが、オレの自慢の一つなのだ。


 それにしても、随分と悪い夢を見たものだ。本当、妙に生々しい夢だったな。心なしか、身体が暑苦しい。風邪でも引いて、熱でうなされたのだろうか。ボディチェック、ボディチェック。風邪ならちゃちゃっと治さなきゃな。


 もぞり。暑苦しくオレを圧迫してる何かが、動いた。何だ? 野良犬でも潜り込んできたか? 





 ────いや、違う。オレってば、誰かに抱き着いてない? 







 ……バシ──ン。


 心地よい朝に、少女の悲鳴と気持ちいい炸裂音が響き渡る。


 覚醒したオレは混乱の極致で、布一枚身に着けず抱き着いてしまっていたその男を、全力で張り倒したのだった。 


 汚い小さなその民宿に居た全員が、少女の悲鳴と叫び声で昨夜に何があったのかを理解したという。


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