第16話



 ゆっくりとエメラルドの瞳を開け、うるると揺らしたアザリアは彼の胸に自身の額をぐりぐりと押し付けた。

 ふわっと香るミントの香りが鼻腔をくすぐった。



「………わたくしはまだ死にたくない。

 けれど、わたくしの心は、危機管理能力は、何故かこの件を調べろと叫んでいるわ」



 ———シャン、



「教えなさい、アルフォード・クライシス。

 この件に何が絡んでいるのか。何が潜んでいるのか。

 そして、………何がここまで多くの悲劇を生み出し続けているのか」



 首元にナイフを突きつけたアザリアは、いつもの艶やかな微笑みを微塵も浮かべていない。

 ただただ冷酷に、冷淡に、そして滔々と尋ねる。

 いつもの暗殺姫としての姿ではない声に、表情に、空気に、王子はくちびるを戦慄かせる。


 何かを隠していることが明確な表情に、アザリアは一部の情報の漏れも許さないと言わんばかりに、すうっと瞳を細める。

 妥協を許さない狩人の瞳をしたアザリアに、王子は大きく溜め息を吐く。



「“今は”何も知らない。だが、………この件には父上が関わっていると俺は思っている。ただそれだけだ」



 大きく感情の入った震える声。

 緊張した筋肉に、わずかに痙攣した瞳。



(———………何かを隠している………、)



 アザリアは彼の首にナイフの刃を当て、ちろちろと流れ始めた血液を冷ややかな目を向ける。だんだんと深く食い込むナイフに、王子が抵抗することはない。


 真っ赤な鮮血が彼の身につけている白いシャツを汚す。



 アザリアが手心を加えることはない。

 ただただ無慈悲に、遠慮のかけらもなく相手を追い詰める。



 だってそれが、


 ———暗殺者だから。


 

「っ、」



 深く食い込んだナイフによる刺し傷が熱を持ち始めたのか、はたまたアザリアがナイフに仕込んでいた毒に侵され始めたのか、王子が苦痛の声をあげる。けれど、アザリアはそれ如きでは止まらない止まるところを知らない。



「………む、昔の側近の、」



 口を開いた王子に合わせ、アザリアはナイフを食い込ませる手を止めた。



「………………昔の側近の幼馴染が赤の一族の娘、だっ、たんだ。

 前日、まで、あんなことが起きるような兆候も、なかった、らしい、し、それどころか警備体制は万全で、何か脅しが、あったのかと言えば、そうではなかっ、たらしい。

 ………なら、おう、けが、関わっているとしか、………………考え、られないん、だ」


 ただの幼稚な戯言と切り捨てられるような内容。

 彼の昔の側近がどんな人間なのかも分からない状況では、一切の信憑性のない情報。

 それに、素人目で見ることと玄人目で見ることは大きな違いがある。

 だからこそ、アザリアは眉を潜めた。



「そんな信憑性のない内容に踊らされろと?もう少しましな冗談を言ってちょうだい」



 アザリアの言葉に、王子はグッと口を噤む。



「もういいわ。………調べれば良いのでしょう?

 報酬、しっかりと上乗せしてちょうだいね」



 感情に動かされ、愚かな発言を重ねた王子に冷たい視線を送ったアザリアは、ひらっと手を振り、次の行動のためのプランを頭の中で練り続ける。

 幾重にも予防線を張り巡らせ、絶対的安全経路を導き出す作業が、アザリアは嫌いじゃない。



(………わたくし、何をやっているのかしら)



 ハンドラー以外の命令に従っていることに違和感を感じながら、アザリアはぎゅっと拳を握り込む。


 ぎじっという音を立てる手のひらには何も握られていない。

 そこに何か大切なものを置いてきたような、そんな心地がした………。


 部屋に戻ったアザリアは、早速国王と第1王子、そして王妃宛に手紙を書いた。

 内容はどれも季節の他愛もない挨拶から始め、徐々に踏み込んだ内容にしていき、王子への愚痴を書き、わずかに助けを匂わすような文章につなげる。

 悲痛さを滲ませるように数滴目薬を落とせば、お手紙は完成。


 国王はもちろん読んでくれるだろうが、第1王子と王妃は5分5分と言ったところだ。

 第2王子の恋人からのお手紙と言われれば、読む確率は高いだろうと踏んでこのぐらいなのだから、そうでなかった時の未来が危ぶまれる。



「失敗ばかりを考えてはダメ。

 いくつものパターンを考え、材料を用意し、刻み、使える具材だけをお鍋でことこと煮込む。

 しっかりしなくちゃ。この任務は、いつもとは勝手が違うのだから………」



 この任務に当たるにあたって、アザリアは普段のように組織を頼ることができない。


 組織はアザリアが赤の一族に関わる案件に触れることを、ものすごく嫌っているから。


 もしも頼れば、アザリアは間違いなくこの任務から降ろされてしまうだろう。

 そうなれば、赤の一族を調べることはもちろんのこと、もう王子を殺すことも叶わない。


 それは、アザリアの暗殺者人生史上最高の汚点となってしまう。



「意地でもこの任務は達成させる。

 たとえこの案件のせいでこの国が、世界が滅びようとも———」



 ネズミを、否、大きくて格好の餌食を見つけた猫のように、アザリアはエメラルドの瞳すぅっと細める。

 エメラルドの瞳の奥底に渦巻き燃え盛るのは圧倒的質量を持った誓いと決意。



 暗殺姫アザリアは、今日も溺愛王子を殺せない。

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