殺人現場に詩をそえて
【圭】再来
ここに来るのは実に3年ぶりだ。この三角形に近い独特な建物の構造。「警視庁」、そう書かれた石碑も懐かしい。思わず表面をなでる。圭の復職を祝うかのように、満開の桜が咲き誇っている。
圭は3年のリハビリを経て、刑事として再び警視庁に戻ってきたことに感涙していた。ダメだ、感傷に浸っている場合じゃない。圭はある目的を持って戻ってきたのだ。マッドグリーンに復讐するという大きな目的を持って。
圭は早速エレベーターに乗り込むと、6階のボタンを押す。久しぶりに西園寺警部や氷室先輩に会う。二人はどういう反応をするだろうか。復職を喜んでくれるのか、それとも初対面のように冷たい反応なのか。捜査一課の部屋に入った瞬間、答えがでた。
「圭、久しぶりじゃないか!」西園寺警部が駆け寄ってくるなり、抱きついてくる。あまりの力強さに、思わず悲鳴をあげる。西園寺警部の肩越しに見えたのは、壁に寄りかかり微笑んでいる氷室先輩だった。
「警部、圭が苦しそうですよ。その辺にしておいたら、どうですか?」氷室先輩がやんわりと注意する。
「すまん、すまん。あまりにも嬉しくてな。そうだ、圭、君のデスクは当時のままにしておいたぞ」西園寺警部が圭のデスクを指す。
デスクには雑多に置かれた書類の数々、そして――マッドグリーンについてまとめたファイルがあった。マザー・グース事件、あれは圭の人生を一変させた。最初は無差別連続殺人事件ということで、マッドグリーンを追いかけていた。しかし、父さんと母さんを殺されたことを皮切りに、目的が大きく変わった。二人のことだけではない。圭自身も殺されかけたのだから。
圭はデスクに近づくと、ある本を置いた。『
「あれ、圭は読書嫌いじゃなかったか? それとも、入院中に読書好きになったのか?」氷室先輩が問いかけてくる。
「ええ、今でも読書は苦手です。でも――これだけは、手放せないんです」
「『自省録』か。懐かしいな。圭の親父、剛の愛読書だった。彼の口癖はこうだった」
「まっすぐでいるか、もしくはまっすぐにされるか。嫌というほど聞かされましたから、言われなくても覚えていますよ」圭は西園寺警部の言葉を引き取る。
それは龍崎家の家訓だった。そう、警察官ならまっすぐでいなくてはならない。まっすぐにされるのは犯罪者だ。果たして、いつまでまっすぐでいられるだろうか。圭は二人の仇を見つけたら容赦なく殺す。その時は、まっすぐにされる側になるだろう。
父さんは絵本の代わりに『自省録』を圭に読み聞かせていた。子どもに哲学書なんて難しい本が分かるはずがないのに。さっきの家訓以外にも、何かぐっとくる言葉があった気がする。しかし、さっぱり覚えていない。
そんなことを考えていると、見慣れない顔が部屋に入ってきた。圭が首を傾げていると、西園寺警部が「今年から捜査一課に配属された滝沢だ」と説明する。
「初めまして。あなたが龍崎さんですね。滝沢と言います」青年は自己紹介をすると、握手を求めてくる。
「こちらこそ、よろしく」圭は応じた。
「圭にも後輩ができたわけだ。復職して早々だが、滝沢の指導を頼むぞ」と言いながら、西園寺警部が圭の背中を思いっきり叩く。あまりの力強さに、危うく転ぶところだった。
「後輩の指導ですか……。うまく出来るかどうか……」圭が不安を口にすると、「俺と同じように指導すればいいんだ」と氷室先輩。
果たして、後輩の指導という重要任務をまっとうできるだろうか。氷室先輩は圭より経験豊富だった。それに対して、圭には3年というブランクがある。自分のことで手一杯にならないだろうか。
「まあ、そう構える必要はない。ゆっくりでいいんだ。焦る必要はない」西園寺警部は圭の心を読んだかのように、そうつけ加えた。
それから数日は忙殺される日々だった。自身のリハビリに加えて、後輩の指導。西園寺警部の采配は正しいのだろうか。圭は疑問に思った。
そんなある日だった。
「龍崎先輩、なんというか――先輩は時々、自分のことを『オレ』とか『私』とか言いますよね。なんでですか? あ、あの失礼な質問でした。すみません」と滝沢。
どうやら、西園寺警部は滝沢に例のことを話していないらしい。どう説明したものか。
「なんて言ったらいいか……。僕はもともと三つ子だった。一卵性の三つ子だったから、姿は一緒だった。2億分の1の確率らしい。長男の僕は警察官、次男は探偵、三男は弁護士になった」
「へえ、一卵性三つ子なんて、まるでドッペルゲンガーみたいですね」との滝沢の言葉に、圭はうなずく。
「それに、三人とも事件に関わる仕事だなんて、まるで運命的ですね」
それは運命や偶然では片づけられない。父さんが警察官だった影響があるのだから。そして、父さんは圭たちが自身と同じく警察官になることを願っていた。そんな思いで圭たちの名前をつけたのだから。
「そんなある日だった。僕たち三人は交通事故にあったんだ。トラックに轢かれて、三人とも虫の息だった。そんな僕たちを助けてくれたのが、おじだった」圭の言葉に滝沢は「ひえ」と悲鳴をあげる。
「おじは名医なんだ。
「龍崎明って、あの天才外科医の!? なるほど、それで三人とも助かったんですね?」
「それは少し違うかな」圭は滝沢の言葉をやんわりと否定する。「いくら名医でも、三人全員を救うのは無理があったんだ。だから、おじさんは僕を選んだんだ。一番傷が少なくて、助かる見込みがあったから」
「そんな……。龍崎先生がそんな選択をするなんて、余程重傷だったんですね。先輩の弟さんたちは……残念でした」と滝沢。
「まあ、最後まで聞いてよ。話には続きがあるんだ。おじさんは一つの決断をしたんだ。僕が弟たちを忘れにように、無事だった部分を僕に移植することを」圭は刹那から移植された腕を見つつ続ける。
「その手術以降、僕に異変が起きたんだ。一日おきに僕、次男の刹那、三男の寛と精神が入れ替わるようになった。信じてもらえないかもしれないけれど」
「本当ですか!? あれ、その話が事実なら……もしかして、先輩が自分のことを『オレ』とか呼ぶのは、別人格だからですか?」滝沢は自分の考えを信じられない様子だった。
「その通り。だから、君を指導していたのは僕たち三人だ。ごめんね。てっきり西園寺警部から話があったと思ってたから」圭は謝罪する。
「それは、警部が悪いですよ! 先輩が謝る必要はありません。まったく、警部も――」滝沢がその先を続けることはなかった。滝沢の後ろに無言で――それも威圧するかのように、西園寺警部が腕を組んで立っていたのだから。
「あのー、警部。どこから聞いていましたか?」滝沢が恐る恐る聞く。
「全部だ。滝沢が私の悪口を言ったのを含めて、だ」と西園寺警部。
「冗談ですよ、冗談」
二人のやり取りを見て、圭は微笑ましくなった。氷室先輩に目をやると、肩をすくめていた。
「しかし、今日は暇だな。まあ、俺たち警察が暇ってことは、何も事件がないってことだから、いい事だけど」
氷室先輩はあくびをしながら伸びをする。一見、安堵して隙があるように見えるが、それは違う。いつでも出動出来るよう、常に警戒をしているのだ。圭にはとても出来そうにない。
そんな時だった。備え付けの電話が鳴る。滝沢が西園寺警部の追跡をかわして、電話にでた。
「こちら、捜査一課です!」滝沢が息を切らしながら、応対する。
「ええ、なるほど。分かりました。今から行きます」そう言うと電話を切る。「受付からでした。捜査一課宛てに手紙が来たそうです。急いで取りにいきますね!」滝沢は西園寺警部から逃れる言い訳ができたのか、嬉しそうだった。
しばらくすると、手紙を持った滝沢がやって来た。歩き方はまるで軍人のように大げさだ。そんなにカチコチにならなくてもいいのに。圭は滝沢を見て過去の自分を重ねて合わせていた。
「警部、これです。受付に届いたのは」滝沢がうやうやしく手紙を差し出す。
「ご苦労様。滝沢、新米だからといって、そこまでかしこまる必要はないからな」警部は封筒を受け取ると、差出人を確かめるために裏返す。差出人は空欄だった。
「しかし、ここ宛てに手紙なんて穏やかじゃないですね」氷室先輩の声にも緊張感がある。
「さて、中身を拝見しようか」
西園寺警部が封筒を開けると、一枚の手紙が入っていた。几帳面に三つ折りされている。定規を使ったのか、折り目がきっちりとついている。送り主はきっちりしないと気が済まないに違いない。手紙を見るなり警部の表情が変わった。まるで氷像のように。
「おい、滝沢。こいつを受け取ったのは受付だったな?」
「はい」
「そいつの
「それが、帽子にマスクをした妙な人物だと聞いています」滝沢が答える。
「男か女かは?」
「それも分からないそうです。受付も不気味がってました」
「なるほどな。よく分かった。おい、圭。今から手紙を見せるが、冷静でいろよ」
そう前置きをして西園寺警部が手紙を渡してくる。警察官になって数年。手紙一つで動揺するわけがない。そう思っていた。中身を見るまでは。
そこには毒々しい緑色でこう書かれていた。
「汚れちまつちまつた悲しみに……。私の手はすでに血で汚れている。愚かな警察諸君よ。今度は私の犯行を止められるかな?」と。
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