75.キリエ村で暮らし始めました

本日、二話更新です。

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 キリエ村の朝はいつも心地いい。

 窓を開け、海の音を聞いた。

 朝食はパンと甘めのカフェラテ。

 それと、いつも村長がくれる新鮮野菜で作ったサラダだ。

 この村は冬でも暖かい日が多く、いつ見ても何かしらの葉物野菜が畑で青々と育っていた。


「たしか、ハム買ってあったよね」


 魔導具の冷蔵庫からハムの塊を取り出し、できるだけ薄く切る。

 刃物は未だに苦手だが、小さめの包丁なら使えるようになった。

 万が一怪我しても自分で治せばいいだけの話だ。

 サラダの皿に、厚みがまちまちなハムを載せた。


(……不格好だけど、別にいいよね。食べれば一緒!)


 机の上に全て並べ、食べ始めた。

 近所にあるパン屋さんの食パンは香り豊かで、何もつけなくても焼くだけで充分おいしい。

 でも、野イチゴのジャムをつけて食べる。

 下によく来る常連のおばあちゃんがくれたものだ。


『リア先生に治してもらうと、しばらく若い頃みたいに足腰が動くのよ。

 だから昔よく行ってた野イチゴがたくさんある場所まで、行ってきちゃったわ』


 そうくしゃくしゃの顔で笑うおばあさんは今年で80歳だと聞いた。

 彼女だけじゃない、この村の人は皆元気で活動的だ。

 一人暮らしのエリアーナを気遣って、おすそ分けもよくくれる。

 道を歩けば必ず挨拶もしてくれるので、もうほとんどの村人が顔見知りだ。

 『エリアーナ先生』だと長いので、みんなからは『リア先生』と呼ばれている。

 初めは先生と呼ばれるのにくすぐったさを覚えたが、今もう慣れた。

 

 のどかなで豊かな田舎町。

 そこの暮らしは、エリアーナにとてもよく合っていた。

 馴染むのにも、時間はかからなかったと思う。

 ここの時間はゆっくり流れる。

 窓から海を眺めながら、食後のカフェラテを飲み切った。

 


 エルフの里を去った夏のあの日。

 一人でキリア村へやってきたエリアーナをニルス村長は、労わるように迎えてくれた。

 よっぽどひどい顔をしていたのだろう。

 自宅へ招いてくれた。

 村長の家はとても温かな場所だった。

 奥さんやニーナたちの兄弟は皆優しく、用意してくれた食事もとてもおいしかった。


 その日の夜。

 自分の生い立ちやジルコにしたことを、村長と奥さんに話した。

 話している途中でまた泣いてしまったが、気を悪くする様子もなく最後まで聞いてくれた。

 全ての話が終わると、奥さんがそっと抱き締めてくれた。

 石鹸の柔らかな香りに、前世の母を思い出す。

 我慢していたことが一気に溢れてしまう。

 一人だったけど、二人になって、結局独りだ。


「辛かったね……。よく頑張ったよ。君は、頑張り続けた。

 ジルコくんのことも、僕は君の決断を尊重するよ。

 彼の幸せを願ったんだね。

 そう簡単にできることじゃない。

 本当に……エリアーナさんは、頑張り屋さんだね」


 ニルス村長が、頭をなでた。

 大きく、武骨で、土の香りがする手だった。

 こんな素晴らしい二人に育てられたのだから、ニーナたちがあんないい子なのも納得だ。


 その後、エリアーナの住まいについても、村長がある提案をしてくれた。

 実はこの村に一つだけあった回復師院が、先月に廃院となってしまったそうだ。

 それまでは高齢の回復師が一人いたが、余生を娘の家族と過ごすため引っ越したという事情だった。

 その回復師院兼自宅が家具そのままで空き家なので、使って欲しいと願ってもないことを言ってくれた。

 しかも、回復師院として働いてくれるなら、家賃は格安でいいと。

 エリアーナが回復魔法を使えることは、ニーナから飛紙で知らされていたそうだ。

 もちろん、二つ返事で了承した。


 

 朝食を食べ終わり、家全体に浄化魔法をかけた。

 これをすると、掃除洗濯が一気に終わる。

 魔力を大量に消費するような出来事もないので、浄化魔法の大盤振る舞いくらい余裕だった。


(今日は休診日だから、1日中勉強できるぞ!)


 机の上に、魔法陣に関する本を何冊も置いた。

 それを開きつつ、実際に魔法陣を描く。

 発動に成功し、光でできた蝶が何匹も飛び出す。

 しばらく宙を舞ったあと、スーッと消えた。


(光魔法のこの魔法陣も、問題なく描けそう)


 今日描いた魔法陣について、帳面に記す。

 日付や魔法陣の感想、注意点を書いていた。

 それを何となく見返す。

 一番最初のページは、この村へ来た翌月くらいからだ。


 キリエ村の回復師院は、とても平和だった。

 もちろん、呼ばれればどこへでも行くし、急患が出れば夜中でも駆り出される。

 でも普通の日は、患者数もそこまで多くない。

 つまり、空き時間が結構ある。

 その空き時間を有効活用する方法として、魔法陣を学び始めた。

 幸いなことに、家を買おうと思っていた資金が丸々ある。

 だからそれを使って、魔法陣の本を買いまくった。


(少しでも描き間違うと発動しないけど、確実に描けば自分の加護以外の魔法も使えるから正直かなり便利だよね)


 最終的な目標は、転移魔法陣を描くことだ。

 これを使えれば、休みの日に気軽に出かけられる。

 エリアーナの潤沢な魔力なら、発動は問題なさそうだ。

 では何が問題か。


(転移魔法陣、複雑すぎ!細かいし、描写が難しいし、手先が不器用な自分が恨めしい)


 そのため、転移魔法陣に挑戦しては失敗し、気分転換に他の魔法陣を試すという日々だ。

 複雑ではない魔法陣の発動は問題ない。

 ……このまえ、土魔法でご飯用の茶碗を作った。

 でも魔力を込め過ぎて、ラーメン丼みたいなものができた。

 まだまだ魔法陣は初心者だ。



 ―― ドンドンドンッ!


 昼も過ぎ、お茶を入れようかとしていた時だった。

 だれかが下の階の扉を叩いている。

 おそらく、回復師院への客だろう。

 急いで下り、扉を開けた。


「リア先生!うちのばーちゃんが、脚立から落ちちまったんだよ!

 打ち所が悪かったみたいで、青い顔で意識がねーんだ!

 急いで俺んちまで来てくれ!」


 野イチゴジャムをくれたおばあさんのお孫さんだ。

 家の場所はわかる。


「身体強化で走って向かいます!

 あなたは無理せず、あとから来てください」


「わかった!ばーちゃんを、頼んます!」


 反動が来ないぎりぎりまで身体強化をかけ、走り出した。

 彼女の家は、村の外れにある。

 何人もの村人とすれ違ったが、エリアーナのただ事ではない様子に道をあけてくれた。

 緊急時だとわかるのだろう。

 後ろから声援を貰った。

 それに反応できなかったので、今度会ったら詫びておこう。


 赤い屋根の大きめな家が見えた。

 そこへ向け、全力で走る。

 扉をノックした。

 反応はない。

 急いで中に入った。

 

「おばあさんはどちらですか!」


「あ!こっちです!!厨房です!!」


 声の聞こえた方へ向かう。

 そこには青い顔であおむけに倒れているおばあさんと、家族がいた。

 

「母が自分で棚の上の物取ろうとして、脚立から落ちちゃったみたいなの。

 物音に気付いてすぐ駆け付けたけど、その時にはもう倒れてて!

 先生どうか、かあさんを助けて!」


「わかりました。すぐに回復魔法をかけます!

 絶対助けますので、少しだけ下がっていてもらえますか」


 そう伝えると、距離を取ってくれた。

 娘さんやその旦那さんは心配そうな表情を浮かべ見守っている。


れ出た命の欠片よ

 在るべきところへ逆流せよ ≪大回復マグ・レクーティオ≫」


 おばあさんを青い光が包む。

 特に、後頭部と背中が強く光った。

 転んだ時にそこを強く打ったのかもしれない。

 

「……ふぅ。もう大丈夫です」


 回復魔法をかけ終わる。

 念のため顔色や呼吸を確認したが異常はなさそうだ。

 意識もすぐに戻った。

 起き上がってエリアーナを見送ろうとするのを、ご家族に止められていた。

 泣いて、喜んで、また心配して……。


(家族って素敵だな)


 おばあさんの家を外から見上げ、そう思った。

 いつか、自分にも『家族』と呼べる人ができるのだろうか。


(……想像つかないや)


 今は未来のことなどまったくわからなかった。

 まだ過去とも全然さよならできずにいる。

 

(ジルコさん、元気かな。無理してないといいな……)


 最近エルフの里の長が決まったと、誰かが話していた。

 でもまだ耳にするのが辛くて、詳しく聞く前にそこを離れた。

 おそらく、ジルコが新しい里長になったのだろう。

 慣れない里での生活や、長の仕事で苦労しているはずだ。

 

(がんばれー、ジルコさん。負けるな―、ジルコさん。あなたならきっと、立派な長になれる!)


 夏よりも色が薄くなった冬の空に向け、届かぬ声援を送った。

 声には出さない。

 それはまだ、無理だ。

 名前を呼んだらきっと、会いたくなってしまうから。

 もう、自分の知る『彼』はどこにもいない。

 会えることなど、ありえないことだ。


 

 優しい風が吹く。

 少しだけ伸びた髪を揺らした。


(あの場所は……)


 村の外れにあるおばあさんの家からは、以前ジルコと行った丘が見えた。

 風に後押しされた気がする。

 そこへ向かった。


 全力で走った場所をゆっくり歩く。


 二人で競った場所を一人で登る。




 

 そして、上までたどり着いた。





 

 

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